本書は吽(ウン、フーム、huum)という字を字相と字義との二方面から解釈したものであるが、その思想は理趣釈、金剛頂経釈字母品、守護国界主陀羅尼経、大日経疏等に基づくものである。
字相とは言葉の浅略の解釈にして、言葉の表面上の意味を示すものであり、字義は言葉の深秘の解釈にして、如実に実義を示すものである。
まず字相を説く段では、吽字は賀(カ・ha)・阿(ア・a)、汗(ウー・uu)、麼(マ・ma)の四字の合成であり、この四字のそれぞれの字相を言えば、訶(賀)は因(サンスクリットのhetva(hetu、因)の最初のh)、阿は不生(aadi(本初)のa)、汗は損滅(uuna(損滅)のu)、麼は増益(mama(吾我)のm、一切諸法に我(アートマン)を見る我見我執をここでは増益と言っている)の意味をもつ。
つぎに字義を明かす段では、別釈と合釈との二節を設けている。
別釈段では、訶字の実義は一切諸法因不可得の義、阿字の実義は一切諸法本不生不可得の義、汗字の実義は一切諸法損滅不可得の義、麼字の実義は一切諸吾我滅不可得の義であると説くが、いずれも不可得を観ずることが字義の根本義である。そこで吽字の字義を知ることは訶・阿・汗・麼の四字の実義をさとって一切法不可得の理に契証することで、この四字の実義を知るものは如来であり、実義を知らず字相のみに執着しているものは妄想の凡夫である。
つぎに合釈段では、訶・阿・汗・麼の四字を順次に法身・報身・応身・化身の意味に解釈し、あるいは理・教・行・果の意味に解釈し、また吽字の密号・密義を知ることが正覚を成ずる要道であると説き、また吽の一字を三乗の人(声聞・縁覚・菩薩)の因・行・果に約して説き、また因・根・究竟の三句(『大日経』住心品の有名な「三句の法門」)は吽の一字に帰するとも説き、最後に吽字の六義(擁護・自在能破・能満願・大力・恐怖・等観歓喜)をあげて説明している。
字義の解釈は確かに密教独特のものであるから、大師は多くの著作の中でしばしば字義について述べているが、直接的には吽字義において字義に関する大師の見解を表明している。
本書の著作年代は明らかではない。古来、即(身成仏義)・声(字実相義)・吽(字義)の順序に相前後して著作されたものであり、順次に身・口・意の三密を詳説したものといわれる。もししからば、即身成仏義・声字実相義以後の著作であると推定される。
(『弘法大師著作全集』第1巻(山喜房仏書林、1968年)解説、勝又俊教)
※空海は梵字・悉曇つまりサンスクリットやそのサンスクリット音のままに唱える真言・陀羅尼に大変通じていた。だから「阿(ア、a)」はサンスクリットアルファベット(悉曇字母)の最初の字であり、人間が口を開いて発する最初の音であること、「吽(ウン、huum)」はまた口を閉じて発する最後の音であり、この「阿・吽」の2字が一切諸法の「本初」と「究極」の象徴であることを知っていた。『大日経』の胎蔵界では「阿・吽」は大日如来と金剛薩埵、『金剛頂経』の金剛界ではその逆を象徴する。大寺院の仁王門に立つ金剛力士の「あ形」「うん形」や、相撲の「あうんの呼吸」はこれからきている。
【要文名句】
●もし人あってよくこの吽字等の密号密義を知らばすなわち正遍知者と名づく。いわゆる初発心のときに便ち正覚を成じ、大法輪を転ずる等はまことにこの究竟の実義を知るによってなり。
●この一字をもって三乗の人の因・行・果を摂するにことごとく摂して余なし、および、顕教一乗・秘密一乗の因行果等准じてこれを知れ。
●この一字をもって、通じて諸経論等に明かすところの理を摂することを明かさば、しばらく『大日経』および『金剛頂経』に明かすところ、みなこの菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となすの三句に過ぎず。もし広を摂して略につき、末を摂して本に帰すれば、すなわち一切の教義この三句に過ぎず。この三句を束ねてもって一の吽となす。広すれども乱れず、略すれども漏れず。これすなわち如来不思議の力、法然加持のなすところなり。千経万論といえどもまたこの三句一字を出ず。
【関連サイト】
【参考文献】
★『弘法大師著作全集』第1巻(山喜房佛書林、1968年)
★『弘法大師空海全集』第2巻(筑摩書房、1983年)
★『現代語訳 吽字義』(福田亮成、ノンブル社、2005年)