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600 |
この頃、ウッディヨータカラ、ニヤーヤ学派、『ニヤーヤ・ヴァールッティカ』『パーンチャラートラ本集』、ヴィシュヌ派 |
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600 |
シュリーヴァッツァーンカ、ブラフマダッタ、ヴェーダーンタ学派 |
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601 |
『添品妙法華経』訳出 |
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606 |
ハルシャヴァルダナ王、北インド一帯を統一 |
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608 |
セイロン王アッガボーディ2世の治下において、カリンガ王と妃、セイロンに到りジョーティパーラの下で出家 |
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609 |
吐谷渾王伏允、黄河の河源に亡命 |
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617 |
ソンツェンガムポ王生まれる(チベット年代記説) |
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620 |
ソンツェンガムポ王、吐谷渾と通婚、官位十二階位制を発足 |
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628 |
長安を出発した玄奘、クムル(伊吾)を経てカラ・ポージョ(高昌)に到り、麹文泰王の援助を受け、中央アジアへ向い、サマルカンド、バクトラなどを経てカピシャに到り、シャラカ寺院にて安居、その後カシミールに到る |
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? |
南インドの東南海岸地方にパッラヴァ王朝おこる |
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634 |
吐谷渾王伏允、唐に滅ぼされ、吐谷渾混乱 |
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636 |
新羅国、皇龍寺に百高座を設け、仁王経を講じさせ、僧100人を度す |
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638 |
玄奘、西北インドよりマガダのナーランダー寺院に入る。ハルシャ王の庇護のもと3年ほど滞在 |
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638 |
吐蕃軍、松州を包囲。グンソン・グンツェン王即位 |
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640 |
唐の文成公主、ソンツェンガムポ王妃として吐蕃へ |
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643 |
グンソングンツェン王死す。ソンツェンガムポ王再び王位へ |
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645 |
玄奘、パミール高原を越え、タクラマカン砂漠の南方の西域南道を通り、カシュガル(喀什)、ホータン(于闐)を経て長安に帰する |
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646 |
玄奘、諸経典の翻訳の傍ら『大唐西域記』12巻を撰述する |
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646 |
文成公主、唐よりジョーシャカムニを将来してソンツェンガムポ王と同居 |
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649 |
ソンツェンガムポ王死す |
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649 |
この頃より、インドのタミル地方にバクティ(神への信愛)を念じるアールワールと呼ばれるヴィシュヌ派系の宗教詩人が活動 |
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650 |
この頃、知識論の学僧、ダルマキールティ(法称)の活躍。仏教および、インド哲学諸派の認識論と論理学に多大な影響を与えた |
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663 |
百済滅ぶ |
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664 |
玄奘、玉華宮で入寂 |
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668 |
高句麗滅ぶ |
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670 |
吐蕃、安西を攻め、西域に進出する |
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671 |
義浄、広州より出港しインドに向う。途中、シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)、マラーユ、コータ(羯荼)タームラリプティ等に滞在 |
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674 |
義浄、大乗灯禅師と共にナーランダー寺院に到り、滞在中マハーボーディ寺院、ヴァイシャーリー等の仏蹟を巡歴 |
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680 |
文成公主死す |
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698 |
外戚のガル一族亡びる |
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