空海年表・クウカイ クロニクル
両部の大経と無上瑜伽タントラ[600〜]

隋唐時代、諸王の庇護のもと中国仏教はさらに発展し、東アジアにおける諸学の中心を担っていく。国禁を破って天竺へ赴き、仏典を請来した玄奘にはじまり、密教を伝えた善無畏・金剛智、浄土教の善導、禅宗の弘忍・慧能、華厳宗の法蔵らが活躍。初代吐蕃王ソンツェン・ガンポによってチベット仏教が起こり、日本では遣唐使往来のなか、各地に国分寺・国分尼寺が建立され、大仏を中心とする鎮護国家のネットワークが形成されていく。

 
602
百済僧観勒来日し、「三論」「成実論」とともに天文、暦本、陰陽道など伝える
606
仏師鞍作止利の制作による丈六釈迦如来坐像(飛鳥大仏)が飛鳥寺に設置される。以後、本尊として信仰をうける
606
聖徳太子、『勝鬘経』『法華経』を講じる
607
小野妹子が国書を持って隋に派遣される。倭王が「天子」を名乗ったことに煬帝が立腹
608
小野妹子、煬帝の家臣である裴世清を伴い帰国。返書を百済に盗まれて紛失した旨を言明
622
聖徳太子没
624
はじめて僧正・僧都をおく。観勒、日本で最初の僧正に任命される
625
高句麗僧慧灌来日。三論宗初伝といわれる
630
第一回遣唐使
634
役小角誕生(修験道の開祖) 大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市茅原)
645
中大兄皇子、蘇我氏を滅ぼす
645
仏法興隆の詔。十師の制を定める
646
大化改新
653
道昭、入唐し玄奘に学ぶ(660頃帰朝)
669
中臣鎌足、山階寺(後の興福寺)を造営
670
法隆寺焼失
672
壬申の乱
673
川原寺で一切経を書写する
676
放生会はじまる。諸国に『金光明経』『仁王経』を説かせる
680
皇后の病気平癒を願って、薬師寺建立を発願
683
僧正・僧都・律師を任じ、僧尼を監督させる
685
家ごとに仏像・経を置き、礼拝させる
694
藤原京に遷都
699
役小角を伊豆に流す
600
三論宗の吉蔵、揚州慧日道場に入る
600
文帝、信行の『三階集録』を禁断する
600
日厳寺建立される
600
晋王広(煬帝)太子となる
601
文帝、諸州に舎利塔を建立する。のち、三度におよぶ
601
陸法言ら『切韻』なる
604
科挙制始まる
604
煬帝、即位する
605
通済渠・永済渠などの大運河工事始まる
609
隋、吐谷渾を撃ち、西域交通路を確保する
609
道綽、玄中寺に詣で浄土教に帰する。融併寺塔の勅出さる
607
日本、第一回遣隋使派遣
612
高句麗出兵、三たび失敗する
618
煬帝殺害され隋滅ぶ。李淵(高祖)、唐を建国する
621
傅奕『寺塔僧尼沙汰十一条』を上表する
622
開元通宝銭を鋳造する
622
法琳『破邪論』を著し、仏道の二教論争激化
623
三論宗の吉蔵入寂
624
均田法、租庸調法、戸籍法を定める
624
道宣、終南山へ入る
626
玄武門の変。太宗即位する。貞観の治始まる
626
高祖、仏道二教論争に沙汰し、両教の勢力をそぐ
627
玄奘、長安を出発し西域へ向う(時期は諸説あり)
637
『道僧格』なる。道先僧後の詔出される
637
貞観律令が制定される
637
魏徴、府兵制を布く
640
孔穎達ら『五経正義』なる
640
安西都護府を設置
640
華厳宗初祖杜順、入寂
644
太宗、高句麗遠征に失敗する
645
顔師古没。書家褚遂良
645
玄奘、インドよりかえる
645
浄土教の道綽入寂
645
玄奘、前後十七年のインド留学より帰国し、『大毘婆沙論』『倶舎論』『成唯識論』『大般若経』『大唐西域記』などの翻訳著述をはじめる
645
道宣『続高僧伝』、玄応『一切経音義』なる
648
長安の大慈恩寺が建立される。西北に翻経院が設置される
653
道昭、入唐して玄奘より法相宗を学ぶ
661
この頃、唐の勢力圏が最大となる
661
王玄策、印度から帰朝し、仏頂骨をもたらす
664
武后、政権を完全に掌握する
664
道宣、『集古今仏道論衡』『大唐内典録』を著す
666
諸州に一寺・一観を設置させる。この頃、王玄策、インドから帰国し『再域志』を著す
668
唐、高句麗を滅ぼし、安東都護府を設置
668
道世『法苑珠林』を著す
668
華厳宗大二祖の智儼が入寂
675
則天武后の寄進を受け、龍門石窟最大の洞、奉先寺が竣工する(象徴である廬舎那大仏は武后がモデルであるという説もあり)
676
中インド僧地訶羅、長安へ入る
676
安東都護府を遼東に移す
677
長安醴泉坊の東に波斯寺が建立される
677
慧能、曹渓山宝林寺へ入り南宗禅を築く
681
浄土宗の善導が入寂
682
法相宗の祖、大慈恩寺窺基が入寂
683
武后執政する
690
武周革命。即天武后、帝位につき、国号を周と改める
690
武后(武則天)が『大雲経』寺を諸州に頒ち、天下諸州に大雲経寺を設置する
693
武后、自ら金輪聖神皇帝と称する
693
菩提流志、長安に至り、のちに大宝積経、陀羅尼経典類を翻訳する
694
マニ教伝えられる
695
妖僧薛懐義、殺される
695
明佺ら『大周刊定衆経目録』を編む
695
義浄、インド遊歴25年の後、洛陽へ帰り『弥勒下生成仏経』『薬師七仏本願経』『南海寄帰内法伝』『大唐西域求法高僧伝』などを翻訳著述する
699
実叉難陀、『華厳経』80巻を訳出する
600
この頃、ウッディヨータカラ、ニヤーヤ学派、『ニヤーヤ・ヴァールッティカ』『パーンチャラートラ本集』、ヴィシュヌ派
600
シュリーヴァッツァーンカ、ブラフマダッタ、ヴェーダーンタ学派
601
『添品妙法華経』訳出
606
ハルシャヴァルダナ王、北インド一帯を統一
608
セイロン王アッガボーディ2世の治下において、カリンガ王と妃、セイロンに到りジョーティパーラの下で出家
609
吐谷渾王伏允、黄河の河源に亡命
617
ソンツェンガムポ王生まれる(チベット年代記説)
620
ソンツェンガムポ王、吐谷渾と通婚、官位十二階位制を発足
628
長安を出発した玄奘、クムル(伊吾)を経てカラ・ポージョ(高昌)に到り、麹文泰王の援助を受け、中央アジアへ向い、サマルカンド、バクトラなどを経てカピシャに到り、シャラカ寺院にて安居、その後カシミールに到る
南インドの東南海岸地方にパッラヴァ王朝おこる
634
吐谷渾王伏允、唐に滅ぼされ、吐谷渾混乱
636
新羅国、皇龍寺に百高座を設け、仁王経を講じさせ、僧100人を度す
638
玄奘、西北インドよりマガダのナーランダー寺院に入る。ハルシャ王の庇護のもと3年ほど滞在
 
638
吐蕃軍、松州を包囲。グンソン・グンツェン王即位
640
唐の文成公主、ソンツェンガムポ王妃として吐蕃へ
643
グンソングンツェン王死す。ソンツェンガムポ王再び王位へ
645
玄奘、パミール高原を越え、タクラマカン砂漠の南方の西域南道を通り、カシュガル(喀什)、ホータン(于闐)を経て長安に帰する
646
玄奘、諸経典の翻訳の傍ら『大唐西域記』12巻を撰述する
646
文成公主、唐よりジョーシャカムニを将来してソンツェンガムポ王と同居
649
ソンツェンガムポ王死す
649
この頃より、インドのタミル地方にバクティ(神への信愛)を念じるアールワールと呼ばれるヴィシュヌ派系の宗教詩人が活動
650
この頃、知識論の学僧、ダルマキールティ(法称)の活躍。仏教および、インド哲学諸派の認識論と論理学に多大な影響を与えた
663
百済滅ぶ
664
玄奘、玉華宮で入寂
668
高句麗滅ぶ
670
吐蕃、安西を攻め、西域に進出する
671
義浄、広州より出港しインドに向う。途中、シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)、マラーユ、コータ(羯荼)タームラリプティ等に滞在
674
義浄、大乗灯禅師と共にナーランダー寺院に到り、滞在中マハーボーディ寺院、ヴァイシャーリー等の仏蹟を巡歴
680
文成公主死す
698
外戚のガル一族亡びる
700
道昭没、火葬に付す(火葬のはじめ)
701
大宝律令(僧尼令)制定
702
諸国に国師を置く
710
奈良時代はじまる
712
『古事記』成立
712
華厳宗の法蔵入寂
717
行基の民間活動を禁じる
718
唐招提寺建立藤原不比等ら、大宝律令を一部改修して『養老律令』編纂(757年に施行)
718
道慈、唐より帰り、大安寺に住する
720
興福寺に悲田院・施薬院設置
720
『日本書紀』成立
723
興福寺に施薬院・悲田院を設ける
728
『金光明経』を各国に頒つ
735
玄昉、唐より経論五千余巻をもたらす
736
唐僧道璿、天竺僧菩提僊那、林邑僧仏哲ら来日
740
新羅僧審祥、はじめて『華厳経』を講ずる
741
諸国に国分寺・国分尼寺創設
743
大仏建立の詔
745
行基を大僧正に任ずる。玄昉、筑紫に左遷
749
大仏本体の鋳造が終わる。行基没
752
東大寺、大仏開眼供養
753
鑑真日本に来る
754
鑑真、東大寺大仏前にて、聖武太上天皇らに授戒
755
東大寺に戒壇院を設ける
757
進納得度制はじまる
759
唐招提寺建立
760
荷沢神会没
761
下野薬師寺・筑紫観世音寺に戒壇を設ける(日本三戒壇の設置)
763
鑑真没
766
道鏡、法王となる
708
浄覚『楞伽師資記』なる
705
中宗、復辟し、唐朝再興される
706
この頃、流亡農民増加し、多く私有荘園に入る
710
劉知幾『史通』なる
710
韋后、中宗を殺す
712
華厳宗の法蔵入寂
713
玄宗即位し「開元の治」はじまる
713
僧尼の偽濫者一万二千人余を還俗させる
716
ナーランダー寺の善無畏、長安に入る。『大日経』など訳出
719
慈愍、インドより帰国し、浄土宗慈愍流を開く
720
金剛智と不空、相次いで洛陽へ入る
721
呉競『貞観政要』
723
彍騎、創設され、庸兵制はじまる
726
『初学記』なる
729
李通玄『新華厳経論』を撰する
730
智昇、『開元釈教録』を著す
732
開元礼なる
733
天下を十五道に分つ。戸毎に『老子』を備えさす
736
玄昉帰国
737
開元律令格式なる
738
この頃、『遊仙窟』の著者張文成没する
738
玄宗、天下の諸郡に開元寺を建てる
746
玄宗、楊貴妃を溺愛し国政を傾ける
746
不空、再びセイロンより来たり、浄影寺に灌頂壇を開く。『金剛頂経』『発菩提心論』など訳出
747
度牒制はじまる
751
タラス河畔の戦。大食軍、唐を破り、これより西域唐勢力は後退する
751
悟空、中使張韜光に従って再域へ入る
752
この頃(元和年間)、憲宗皇帝、知玄を悟達国師とする
755
後周の世宗の廃仏
755
安史の乱
757
安禄山殺され、玄宗、都にかえる
758
塩の専売制はじまる。のち酒茶も専売される
760
史思明、洛陽を占領
764
青苗銭実施。この頃、吐蕃・回紇の長安侵寇度重なる
768
長安大興善寺に灌頂道場を建立する
710
唐の金城公主、吐蕃に嫁入りする
717
金城公主、唐蕃和平を仲介する
718
ティソンデツェン王、生まれる
734
唐と吐蕃の間の日月山に境界碑が建立される
736
和平を破って、唐が吐蕃を襲う
739
金城公主死す
747
唐の高仙之、吐蕃の西で大勝する
752
南詔のカクラボン、吐蕃王の義弟になる
753
唐に河西九曲を奪回される
754
ティソンデツェン王、仏教の国教を決意する
755
唐で安禄山の乱おきる
761
ティソンデツェン王
763
吐蕃占領地拡大、10月長安に進入する
767
唐に派遣する