空海年表・クウカイ クロニクル
仏典結集と初期密典の編集[BC〜]

古代インドでリシ(聖人)達によって神秘のヴェーダが詠唱されていた頃、中原では呪術的な初期の青銅器文明が栄えた。ゴータマ・シッダールタおよび六師の思想活動とほぼ時期を同じくして、諸氏百家による侃々諤々の論争が盛り上がりをみせた。数度にわたる仏典結集が起こり、初期の密典や大乗経典が編纂されるなか、古代の遊牧国家を中継して仏教が東漸していく。

年代
BC
5000
縄文中期。大型貝塚形成。大規模な定住型集落
BC
3000
縄文後期。装飾性に富んだ大型土器や石斧、土偶など作られる
BC
1000
縄文末期。より小型の土器、玉の装身具、巫祝のための道具類など作られる
BC
300
弥生前期。水稲農業はじまる
BC
100
弥生中期。小国家発生。青銅器の伝来
BC
5000
黄河中流域に仰韶文化、長江下流域に河姆渡文化(後者で稲作はじまる)
BC
4000
東北地方の遼河流域に、龍や動物を象った玉石(装飾品)を特徴とする紅山文化が起る[BC4700〜BC2900]
BC
3000
黄河中流から下流にいたる地域に、黒陶を特徴とする竜山文化が起る[BC3000〜BC2000]
BC
2000
中国最古の世襲王朝である夏王朝が起ったとされる(長らく伝説と見られていたが、二里頭遺跡などの発掘により、近年の研究では実在の可能性が高まっている)[BC2070〜BC1600]
BC
1600
殷王朝起る。青銅器と甲骨文が高度に発達した文化[BC1600〜BC1027]
BC
770
東周・春秋時代[BC770〜BC403]
BC
221
秦の始皇帝による中国統一
BC
213
万里の長城、築城開始。始皇帝の命により、博士官所蔵の書および実用書以外のすべての詩書百家語が焼かれる(焚書)
BC
212
始皇帝の命により、儒学者など諸生460余人が咸陽で生き埋めにされる(坑儒)
BC
139
張騫、月氏に向かって出発
BC
121
張騫、大夏に到着
BC60
漢、西部都護府を初めてタリム盆地に置く
BC54
匈奴、東西に分裂する
BC2
この頃、漢の印綬を受ける西域諸国367におよぶ
BC2
この頃、大月氏王の使者伊存、景盧に浮屠経を口授し、初めて中国へ仏教を伝える
BC
メヘルガル(パキスタン・バローチスターン州)で農耕、牧畜を行う初期村落文化が起る[BC7000〜BC2500]
BC
3000
ハラッパー、モヘンジョダロなどの都市の形成(インダス文明)文字の使用、度量衡の統一、諸工芸の発達[BC3000〜BC2000]
BC
1300
アーリア人、インド侵入
北方ではガンダーラ墳墓文化などの地域文化が展開
BC
1200
前期ヴェーダ時代、『リグ・ヴェーダ』成立。
BC
1200
祭祀、儀礼を重んじた半農・半牧社会
BC
1000
アーリア人の一部、ガンジス河上流域に進出
BC
1000
後期ヴェーダ時代、『サーマ』『ヤジュル』『アタルヴァ』の3ヴェーダが成立
BC
1000
初期『古ウパニシャッド』、『ブラーフマナ』成立
BC
800
ガンジス平原の広域開発、ヴァルナ身分制度が成立
BC
800
この頃、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド文献が編纂される
BC
800
バラモンの権威とバラモン教の確立
BC
800
ウッダーラカ・アールニ、ヤージュナヴァルキャなど哲人の活動
BC
566
ゴータマ・ブッダ誕生(時期は諸説あり)
BC
500
この頃、ゴータマ・ブッダ、および六師の思想活動
BC
500
この頃、六師の一人、ジャイナ教の始祖マハーヴィーラ(大雄)ヴェーダに依らない自由な思想を展開し、禁欲主義を貫く(ジャイナ教の起こり)
BC
486
ゴータマ・ブッダ入滅(時期は諸説あり)
BC
400
この頃、『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』の原型、ヴェーダの補助学「ヴェーダーンタ」成立(詳細な時期は不明)
BC
390
マガダ王アジャータシャトル即位
BC
350
この頃、カピラ、サーンキャ学派を開く
BC
350
この頃、『中期ウパニシャッド』成立
BC
327
アレクサンドロス大王、インドに侵入
BC
317
チャンドラグプタ即位、マウリヤ王朝始まる
BC
300
ビンドゥサーラ王在位
BC
268
アショーカ王即位
BC
261
アショーカ王、仏教に帰依(アショーカ王碑文)
BC
259
アショーカ王、カリンガ地方を征服
BC
255
アショーカ王、教法大官の制度を設ける
BC
251
アショーカ王、翌年にかけて石柱詔勅を刻す
BC
251
分別説部の伝承によれば、この頃、パータリプトラ結集(第三結集)行われるという
BC
250
ディオドトス1世の下にセレウコス王朝よりバクトリア王国独立
BC
233
アショーカ王没(時期は諸説あり)この後、マウリヤ王朝の勢力弱まる
BC
233
この頃、仏教が全インドに普及
BC
206
シリア王アンティオコス3世、西北インドに侵入
BC
200
この頃、ヒンドゥー教起る
BC
103
タミルの軍、セイロンのアヌラーダプラに侵入し、マハー・ヴィハーラ寺院などを破壊
BC
101
この頃までに小乗部派の分裂ほぼ終わる
BC
89
セイロン王ヴァッタガーマニー・アバヤ、タミルの支配からアヌラーダプラを奪還
BC
89
セイロン仏教、保守的なマハー・ヴィハーラ(大寺)派と進歩的なアバヤギリ・ヴィハーラ(無畏山寺)派とに分裂
BC
89
アバヤギリ・ヴィハーラ(無畏山寺)を建立しマハーティッサに献ず
BC
80
『バガヴァッド・ギーター』の原型成立
BC
62
セイロン王チョーラナーガ、仏教教団を敵視し、18寺院を破壊
57
『後漢書』によると、この頃、後漢の光武帝が倭奴国の使節に印綬を与えたとある。漢委奴国王印(金印)はこれに当たるという説あり(ほかにも諸説あるため真相は不明)
147
この頃、倭国で争乱が起ったとされる(倭国大乱)
239
倭の女王卑弥呼、帯方郡に遣使。魏の皇帝、卑弥呼を親魏倭王とす
247
卑弥呼、狗奴国と交戦
248
卑弥呼死す。後継に宗女の壹與が即位
8
前漢滅亡し、王莽、新を建てる
16
匈奴、西域を支配する
18
山東農民の起義、赤眉の乱おこる
25
劉秀(光武帝)、漢室を復興し、洛陽に都する
64
北匈奴との互市が開かれる
64
明帝、金人を夢み、秦景らを再域に遣わし仏法を求める
65
楚王英、仏教を信奉(のちに自殺)
65
初めて度遼将軍を置く
67
迦葉摩騰(摂摩騰)、竺法蘭が『四十ニ章経』などを携え秦景と洛陽へ来たる。翌年明帝は白馬寺を建立し住持させる
67
明帝の求法により仏教伝来するという
70
竺法蘭『十住断結経』を訳出する
75
班超、西域に遠征。宦官専横始まる
75
帝、洛陽に仏寺を建立し、釈尊の画像を安置する
124
班勇、匈奴を撃ち、西域交通が復活する
124
この頃、許慎『説文解字』なる
147
この頃、民衆の反乱あいつぐ
147
安息の沙門安世高、洛陽へ至り『修行道地経』などの翻訳を開始する
150
月氏の沙門支婁迦讖、洛陽に至る
156
鮮卑、モンゴルを統一する
166
この頃までに、大秦王安敦の使者、洛陽へ来る
167
党錮の獄おこる。李膺、杜密ら二百余逮捕される
167
支婁迦讖『般舟三昧経』などの翻訳を始める
167
この頃、鄭玄、『詩経註』『三礼注』などを著す
184
張角ら、黄老の教えに基づく太平道を奉じ反乱(黄巾の乱)後漢滅亡に向かう
207
曹操、鳥桓を破り、胡人二十余万を捕える
207
曇果・康孟詳、『中本起経』を訳出
208
劉備、孫権連合して南下する曹操を撃つ(赤壁の戦)
220
後漢滅び、三国時代となる
220
曹丕、漢室を奪い魏朝を建てる(魏呉蜀に分立し、三国時代はじまる)
220
この頃、支謙、呉に入り『方等首楞厳経』など訳出
225
曹植、魚山に遊び梵唄をつくる
225
諸葛孔明、南進して南中四郡を大定する
247
康僧会、建業に来たる(帝、建初寺を創建して住持させる)
249
魏の何晏殺され、王弼も死ぬ
250
曇柯迦羅、洛陽へ来たり『僧祇戒本』を訳出し、羯摩授戒法を行う
250
この頃、清談玄学が盛行する
252
呉の孫権没する
252
康僧鎧、洛陽へ入り『無量寿経』などを訳出
254
曇諦、洛陽へ入り『曇無徳羯磨』などを訳出
259
この頃、竹林の七賢あらわれる
259
白延、洛陽へ入り『首楞厳経』『菩薩修行経』などを訳出
260
朱子行、梵本を求めて于闐国へ赴く
260
杜預『春秋左氏伝集解』
265
司馬炎(武帝)魏を滅ぼし、晋朝を建てる
265
この頃、三張、二陸、両潘、一左ら活躍する
280
西晋の統一
286
月氏の訳経僧である竺法護、『正法華経』を訳出する(法華信仰および観音信仰を中華世界にもたらす)『大宝積経』『維摩詰経』など、前後数十年のあいだに多数の大乗経典を訳出
21
パルティアの王ゴンドファース、ガンダーラ地方を支配
21
セイロン王アーマンダガーミニー、不殺生の勅を下す
25
クシャーナ(貴霜)族が他の月氏部族を支配する
50
この頃(1世紀中葉)、西北インドのガンダーラ美術、北インドのマトゥラー美術発生
60
クジューラ・カドフィセースが西北インドに侵入。クシャーナ(貴霜)王朝の勢力を確立
60
この頃を中心に西暦200年頃までの間に、『般若経』『法華経』『華厳経』『無量寿経』などの初期大乗経典成立
90
後漢の竇憲、匈奴を破り更に伊吾を撃破する。班超これに応じて北道諸国を制圧する。月氏王、副王謝を遣わして班超を攻める
90
この頃(1世紀末)、インド・カールリーの石窟寺院建造される
100
『バガヴァッド・ギーター』の現形が確定
100
『ミーマンサー・スートラ』成立
120
この頃、ローマ人たびたび南インドに訪れる
120
この頃、六派哲学のひとつ、ニヤーヤ学派はじまる。ガウタマ(アクシャバーダ)が著したとされる『ニヤーヤ・スートラ』を原典とする
129
クシャーナ王朝のカニシカ(迦膩色迦)王即位、カニシカ大塔など建造
130
ガウタミープトラ・シャータカルニ王、南方シャータヴァーハナ王朝(アンドラ王国)強大になる
140
アシュヴァゴーシャ(馬鳴)、『仏所行讃』『金剛針論』など著す
150
この頃、ガンダーラ、マトゥラー、アンドラの美術、隆盛を極める。一方、アマラーヴァティの大塔もこの頃より建造され始める
228
この頃、中部ビルマでは、仏教とバラモン教がならび行われ、数千の沙門が活動していたと伝えられる
230
クシャーナ王朝のヴァースデーヴァ王、魏に使を遣わす
234
ナーガールジュナ(龍樹)、『中論』『十二門論』『大智度論』『十住毘婆沙論』など著す
249
イクシュヴァーク朝の治下、ナーガールジュナコンダで仏塔などの造営盛んに行われる
251
ササーン朝のシャープル1世の勢力が西北インドに及び、クシャーナ王朝衰退
260
この頃、龍樹を祖とする中観派の後継者ラーフラバドラ(羅睺羅跋陀羅)の活躍
275
最古のプラーナ『ヴアーユ・プラーナ』の一部成立
276
大乗系のサンガミトラの教育を受けたセイロン王マハーセーナ、マハー・ヴィハーラ派を弾圧(大臣メーガヴァンナ・アバヤらの反対を無視し、サーガリヤ派のためにジェータバナ寺院を建立)