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522 |
漢人司馬達等ら渡来し、仏教を奉じる。大和国高市郡坂田原に草堂を結び、本尊を安置し帰依礼拝 |
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527 |
継体天皇、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を奪還するため、近江毛野が率いる兵6万を任那へ進軍。筑紫君磐井、肥前、肥後、豊前、豊後を制圧し、ヤマト王権の進軍を妨害 |
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528 |
磐井軍と継体天皇が派遣した物部麁鹿火軍による筑紫三井郡での決戦。激戦の末、磐井は捕らえられ処刑される(日本書紀) |
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535 |
欽明天皇即位。他勢力によって擁立された安閑朝および宣化朝と一時並立するも、最終的に欽明が継体の没後を担う(諸説あり) |
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538 |
百済の聖明王、仏像や仏書等を日本に贈る(仏教公伝) |
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552 |
百済の聖明王、仏像仏具経論を献ずる。天皇、重臣に礼拝の可否を問うたとされる |
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553 |
海中から樟木を採取して造形した比蘇寺の仏像成る |
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570 |
蘇我大臣稲目没する。諸臣、堂舎を焼き、仏像を難波江に投じる |
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574 |
聖徳太子(厩戸豊聰耳皇子)誕生する |
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578 |
百済の聖明王から派遣された造寺工や造仏工など6人渡来。日本初の寺院建設の準備が進められる |
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579 |
新羅王より仏像が献上される |
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584 |
司馬達等の娘・嶋ら三名、高句麗僧恵便に師事して出家し、善信尼、恵善尼などと名乗る(尼僧のはじまり) |
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584 |
この頃、司馬達等ら、崇仏派の蘇我馬子が邸宅内に仏殿を建立し、百済から請来した弥勒仏を安置した際に、仏舎利を献上し斎会を催す |
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585 |
排仏派の物部守屋による廃仏運動。司馬達等を面罵し、善信尼ら3人の法衣を剥奪し、鞭打ち監禁に処したとされる |
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588 |
百済から仏舎利が献じられたのを機に、蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)の建立を発願する |
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592 |
崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位する |
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593 |
聖徳太子、四天王寺の建立を発願する。摂津難波の荒陵にて建立に着手。同時期に、社会福祉事業として四箇院の制(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)を実施する |
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594 |
聖徳太子、摂政となる |
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594 |
推古天皇、聖徳太子と蘇我馬子に詔して、三宝(仏・法・僧)を興隆させる(仏法興隆の詔) |
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596 |
百済国から6人の僧、寺大工、露盤博士、瓦博士、画工などの技術者の支援により、日本最初の本格的な寺院である飛鳥寺の主要伽藍が完成する |
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