故郷の奇しき霊山である石鎚山の名とその霊威を真魚は当然知っていた。海浜の行場である室戸崎ですでに成就している虚空蔵求聞持法を、西国一高い2000mの天空と霊地の境界で再度試すことを真魚が考えるのも不思議ではない。
その石鎚山に真魚は上った。よじ登ったと言う方が当っているであろう。
或ルトキハ石峯ニ跨テ粮(かて)ヲ断テ轗軻(かんか)タリ。(『三教指帰』)
石鎚山では、(おそらく弥山と天狗岳の)急峻の往復にも食をとらず動けなくなった、という。山岳修行者にとり断食はありうる行ではあるが2000mにもなる山の上の修行では食を確保すること自体が不可能に近い。文字通り命がけである。おそらく真魚は、天狗岳の頂の尖端で求聞持法を修し虚空に浮かぶ超常体験をしたであろう。
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石鎚山は、四国いや西国を代表する奇しき霊山である。この山に関する古記録は『古事記』『日本書紀』にさかのぼり、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)との第二子の石土毘古命(イシヅチヒコノミコト)を祀ると伝えている。
「イシヅチ」は「イシ(石)」「ヅ(の)」「チ(霊)」のことで巨大な岩峰に霊威が宿るという意味である。古来大和の金剛・葛城・大峰、加賀の白山、越中の立山などと並び広く知られた修験の山で、山そのものがご神体であるとして信仰されていた。江戸時代になるとお伊勢参りや金毘羅参りに加え、四国八十八ヵ所遍路などでも講中参りがさかんになり「お山講」という石鎚山信仰が流行した。
今石鎚山頂をめざすには成就社ルート、土小屋ルート、面河ルート、堂ヶ森ルートの4つがある。表参道としての成就社ルートと、山頂まで最短で行けるため利用者の多い土小屋ルートが一般的である。
成就社ルートは、JR「西条」駅から「西ノ川」行きのバスで「石鎚登山ロープウェー前」まで行き、ロープウェーで約10分の「山頂」駅(1300m)まで上り、石鎚神社「成就社」の正面左から登山道に入る。
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「八丁坂」「前社ヶ森」「試し鎖」などを経て「夜明峠」へ。そこから「一ノ鎖」で鉄の頑丈な鎖をたぐって急登し、「土小屋」からの道に合流する。「二ノ鎖」「三ノ鎖」を登れば石鎚神社「頂上社」のある「弥山」山頂である。鎖場にはそれぞれ迂回の道もあるし鉄の階段もあり、慎重に登れば危険はない。「成就社」には宿泊設備も調っている。
土小屋ルートは、久万・面河方面からバスまたは乗用車で「石鎚スカイライン」を経て1492mの「土小屋駐車場」へ。近くの「国民宿舎 石鎚」は石鎚登山に至便な宿舎で、山頂をめざす前日はここに泊り翌朝早めに出発するとよい。
右手に石鎚神社を遥拝する社殿を見て登山道に入り「鶴の子ノ頭」へ。ここから、階段状の上りを踏破して東稜ルートへの分岐のベンチへ。「土小屋」から約一時間半で「成就社」からのルートに合流する。
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石鎚神社は、山頂の「頂上社」、中腹の「成就社」と「土小屋遥拝殿」、そして西条市内の「総本宮」の四社を合わせた総称である。「総本宮」には、日本修験の祖である役行者が開山として祀られている。石鎚山が古くから修験の山だったことが知られる。
一方また四国霊場60番横峰寺と64番前神寺はこの石鎚神社の別当寺で、ともに石?山を山号としている。明治初期の廃仏毀釈により廃寺となってからは石鎚山の遥拝社となったが、後に再興された。横峰寺の星ヶ森には石鎚遥拝の遺構が残っている。秋から冬にかけて晴れた日には赤い鳥居の向うに石鎚山の姿がくっきりと拝める。
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私はかつて四国遍路の折、この横峰寺に下から歩いて登った。往復たしか7㎞くらいだったと思うが、幅1m程度の山道を3時間くらいかかった記憶がある。しかも日頃行いが悪いせいか、この時は扁桃腺を腫らし高熱でふらつきながらのお参りであった。
しかし、星ヶ森の遥拝所は何としてもこの足で踏んでおきたかったので無理をして星ヶ森に向った。当時道は整備されておらず何度も道に迷いそうになった。幸いお天気は快晴で石鎚山の山容がはっきりと見え、そこで『般若心経』を声高らかに唱えてきた。