室戸崎の海食洞窟の行場で、虚空蔵求聞持法の修行中明星が飛来し空海の口に飛び込んだという神秘体験は、信用に足る事実だと思っていい。
空海自ら、
阿国大瀧岳ニ躋リ攀ヂ、土州室戸ノ崎ニ勤念ス、谷響キヲ惜シマズ、明星来影ス。
と書き残し(『三教指帰』)、さらには、
土左ノ室生門ノ崎ニ寂暫ス。心ニ観ズルニ、明星口ニ入リ、
虚空蔵光明照シ来リテ、菩薩ノ威ヲ顕シ、仏法ノ無二ヲ現ズ。
と『御遺告』にもある。
真魚は、室戸崎の台地が大平洋に突き出て空と海と大地とが一体になっている突端の洞窟で、宇宙の象徴である虚空蔵菩薩(明星)と一体化する神秘体験をえた。真魚はついに虚空蔵求聞持法を成就したのである。
室戸崎尖端の東側、国道55号に面した断崖に大きな洞穴が二つ開いている。向かって右側が真魚が修行の道場とした「神明窟」、左側が起居の場とした「御厨人(御蔵洞)窟」である。「神明窟」は奥に祀られている神祠まで約10mで、洞内ほとんど湿気を感じない。「御厨人窟」は奥の五所神社の神祠まで約40m、洞の天井からたえず水がしたたっている。内から外へと目をやると、鳥居越しに太平洋の水平線が見える。まさに空と海と大地とが一体の辺路(へち、へぢ)の行場であった。
御厨人窟 |
|
神明窟 |
この海食洞窟を行場としたのも辺路(へんろ)であったろう。
辺路(へんろ)は海辺の洞窟や龍神等を祀る粗末な神祠で寝起きし、漁民から施食を受けたり乞食して飢えをしのぎ、海に突き出た突端の岩や海べりの断崖の頂きや、海水が削った洞窟や波静かな入江の霊域や、神が宿る滝や巨岩巨木や清水や奇瑞のある自然の行場を巡り歩き、読経を行い、御幣を献じ、水中に入って垢離(こり、禊ぎ)を行い、かがり火(龍灯)を焚いた。
彼らが拓いた海べりの辺路(へち、へぢ)が四国にも多くあり、「辺路」(へち、へぢ)とは陸路の「縁(ふち)」すなわち海岸線を意味した。
|
|
|
四国ノ辺地ト云フハ、伊予讃岐阿波土佐ノ海辺ノ廻也(『今昔物語』)
我等ガ修行セシ様ハ、忍辱袈裟ヲバ肩ニ掛ケ、又笈ヲ負ヒ、
衣ハ何時トナク潮垂レテ、四国ノ辺地ヲゾ常ニ踏ム(『梁塵秘抄』今様)
室戸崎は、古名「最御崎」(ほつみさき)。「ほ」は「ほてる(火照る)」の「火」、「ほつ」は「火の」で、「ほつみさき」とは「火の御崎(岬)」である。「火の岬」が転じた「日の岬」は、日本全国に点在する。
室戸崎は空海以前から辺路(へんろ)の行場であったろう。彼らはこの海浜や洞窟でかがり火(龍灯)を焚くのを行としていた。水平線の彼方の「常世」の神である龍神に奉げる聖火である。それを空海は承知していた。『三教指帰』では、
飛燄ヲ鑽燧ニ望ム。
冬ハ則チ頸ヲ縮メ袂ヲ覆テ燧帝ノ猛火ヲ守ル。
と言っている。
ある朝空海は、行場の「神明窟」で虚空蔵求聞持法の修法に入り虚空蔵菩薩の真言を唱えつづけていた。
ノウボウ アキャシャギャラバヤ オン マリ キャマリ ボリ ソワカ
ノウボウ アキャシャギャラバヤ オン マリ キャマリ ボリ ソワカ
ノウボウ アキャシャギャラバヤ ・・・・・
するとある瞬間、虚空蔵菩薩の象徴である明けの明星が飛来して、真言を唱える真魚の口に入った。真魚という小宇宙(人間)が大宇宙(虚空蔵菩薩という宇宙の仏)と無二一体となったのである。この超常状態を密教では「成就(シッディ)」という。具に言えば、真魚の誦ずる虚空蔵菩薩の真言のなかに言霊のように内在していた虚空蔵菩薩が、明星の姿となって真魚の口のなかに顕われたのである。