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当日来場者に配布された資料に、綾部氏の「空海の書法研究における方法試論−曼荼羅(マンダラ)による説明から真言(マントラ)による解明へ−」が添付されている。
綾部氏はこの論文の主旨に沿い、用意した空海の書のスライド写真をプレゼンテイションしながら熱っぽく空海の書への思いを語った。
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さらに綾部氏は、空海の作ではないとの説もある『破体心経』を梵字の「切り継ぎ」の書法を用いて「一文字や一画の中に、 様々な書体を自覚的に混合・融合させる書法」と解釈し、この稀有の書法を「合体書法」と名づけた。『破体心経』の再評価と空海書法の再発見である。
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空海の般若心経観を端的に示すのが、『般若心経秘鍵』であることは言を俟たない。そのなかで空海は、顕教経典としても確立している『般若心経』を密教にお ける立場から解釈している。『般若心経』は、大般若菩薩の、内なる大心真言の悟りの世界であり、『般若心経』全体に渡り真言(マントラ)が満ちている、と の認識の上に立っている。『秘鍵』では、かかる立場のもと、密教における『心経』の深意(深秘釈)を鮮やかに解き明かしていく。『秘鍵』における心経解釈 を吟味した時、この空海の署名のある『破体心経』の書法意図が浮かび上がってくる。
すなわち、この書は『般若心経』が、一見顕教経典に見えながら、その奥には真言(マントラ)の真理世界が満ちみちていることを、書で示さんとしたのである。 従って、ただ梵字で全文を書いたのでは意味がない。一般文字言語の手段である漢字の奥に、梵字の理法が内在していることを実証するための、漢字の中への「切継」書法の採用であり、 梵字的表現であり、合体書法なのだろう。その他、王義之書法や雑体書法、破体書法らが混在しているのも、日常世界と真言世界が連続的であることの証のひとつと捉えられよう。