国道沿いのホテルを8時30分出発。
第六十一番札所・香園寺から第六十四番札所までは、予讃本線沿いの約十キロ以内に固まっており、鉄道と並行する国道11号線を車で走れば札所間は数分の距離である。朝の内にすべて打ち終えて、それから先には進まずあとは例によって観光見物にしている。
ホテルのある石鎚山駅より東予市に向かって二つ目の伊予小松駅の近く、国道11号線とJR予讃本線との間に極めて簡素な寺があった。山門をくぐると大き
な石標には一国一宮別当と彫ってある。ここも、もとは伊予三島水軍の菩提寺として、大三島の大山祇神社の別当寺を務めてきたという。今では国道の騒音が飛
び込んでくる市街地の寺である。本堂の裏に回ってみたら、すぐそばを鉄道が走っていた。
寺を出るとUターンしてもと来た方向に向かう。国道を左折するとすぐに寺は見つかった。城門のような山門をくぐって境内に立つと、本堂、大師堂、納経所、本坊がすべて見渡せる小規模な寺であった。
境内の片隅に「成就石」と呼ばれる直径一メートルほどの石があって、石の中央に30センチほどの穴があいている。目隠しをして本堂前から杖を突き出して
近づき、見事杖が穴に通れば心願が成就するといわれている。妻がやりたそうだったので目隠しをしてやると颯爽と杖を構えた。だが、カッコよかったのはそこ
まで。歩くにしたがってだんだん腰が引けてきて、自分の歩く方角と杖の向きがもうてんでん勝手な方向を向いている。おまけに鐘撞き堂の方へ寄り始めた。私
は運動神経抜群のわが妻に思わず天を仰いだ。それでも右だ、左だとリードしてやって何とか穴に通した。
この石は石鎚山麓の滝つぼにあったもので、この寺の名物である。しかし、朝参りのお遍路さんでこんなことをしていたのは、私たち夫婦ぐらいなものだった。少し幼稚なのかもしれない。
吉祥寺より3,5キロ。今朝出発したホテルの前を通過して東へ1キロも行くと、やがて桜並木の参道に着いた。ここは、石鎚山信仰の別当寺として役小角が開いた寺である。青い目の若い雲水姿のお坊さんと出会った。「はろう!」と「コンニチハ」で互いに合掌。
境内に入ると雰囲気は一変する。欝蒼とした森に囲まれた境内は広く、一見して神仏習合の地であることがわかる。大師堂、護摩堂、薬師堂、そして奥に入母 屋造りの本堂などの伽藍が現れてくる。境内の中ほどにある石段を登って見ると、蔵王大権現の社があり、石鎚修験総本山の風格に溢れている。
毎年7月1日の山開きには、この寺に集合した行者や信者たちが先達の吹く法螺貝とともに30キロの道程を登るという。その数は数千人ともいわれている。この石鎚信仰を支える筆頭は病気平癒の現世私益である。まだまだ古い信仰を捨てない日本人も多いのだ。
その石鎚権現を祀る「成就社」を参拝することにして、信者と同じコースを私たちは車で行ってみることにした。昨年の10月に登った土小屋コースとは反対側、つまり西条市方面から登ることになる。
前神寺を出発して石鎚スカイラインを経て下谷に着く。そこから石鎚山の全容を仰ぐ遥拝所(石鎚山神社・成就社)の近くまではリフトで登れる。リフト乗り 場までの坂道の途中には、石鎚山の神々の石像が勢揃いしていた。石鎚大神、石鎚大権現は最上壇で髪を逆立て忿怒の形相である。仙人のような格好で、手には 天狗の団扇やら、玉石やらを持っている。その下には見るからに験力を発揮しそうな迫力で役行者尊像が座っている。ここまでは、その身なりから道教が色濃く 出ている。
彼らの周囲を赤い炎をたなびかせた不動明王やカラス天狗が守護し、弘法大師立像はやや小ぶりで少し脇に立てられていた。さすがにここでは空海は後輩だ。石鎚は古代の先輩神々たちがひしめく霊山である。
展望台まで登って目近な山頂を仰ぐ。石鎚山は眺める場所によって山の姿がずいぶん異なるのに驚いた。土小屋方面からは北斎の赤富士のようにそそり立って見えたが、西条側からは山頂が横広い絶壁のように見える。
展望台から成就社まで山林を10分ほど歩くと広々とした境内に出た。平日のためか人影は少ないが、参道には食堂や土産物店なども並んでおり、石鎚信仰の 盛大さが感じられる。コンクリートの立派な神殿に入ると、正面祭壇の後ろがそっくりガラス張りになっており、そこから山頂が一幅の絵のように仰ぎ見られ た。ここが西の遥拝所である。妻と柏手を打って拝礼。
今夜の宿泊地の伊予三島市と、西条市の中間の山岳部に別子銅山の跡地がある。伊予三島市に向かいながらついでにそこも見学しようと、5時前にはテーマ パーク「マイントピア別子」に到着。観光坑道を鉱山鉄道で入り、江戸時代から未来に至る鉱山風景や歴史などを見学してまた温泉に入った。ウチの会長の旅行 プランである。
パーク内にある「ヘルシーランド別子」でゆっくり入浴をした後、途中で夕食をとってホテルに着いたのは10時半を回っていた。万歩計は一万六千歩を示して いた。旅行に出て以来毎日一万五千から二万歩いている。できるだけ歩くような旅の計画を立てて、日頃の運動不足を補うことも心がけている。