昨夜は熟睡した。朝、宿舎の玄関を出ると、辺りには山の吐息のような朝霧が流れ、眼下には山影が淡く浮かんでいる。宿舎横の広場には、すでにリュックを 背負った何組もの登山客が集まっていた。みんな脇の登山道から石鎚山へ登るのである。私たちもトレッキングシューズに履き替えるとリュックを背負った。
熊笹の生い茂る狭い登山道を歩いて、西日本最高峰の懐へと入って行く。人に踏み固められた道はおおむね歩きやすいが、場所によっては石が剥き出しになっ てゴツゴツしている所もある。雑木林を抜けたり崖道を渡ったりして、山の斜面をうねうねと登って行く。9時頃には霧も晴れ、右手に広がる山並みが遠くまで 見渡せた。
10時頃いったん休憩した後、なおひたすら山道を登って行くと、やがて彼方に山頂の全容が見えてきた。
「うわあ、あんな高いところまで登れるかしら」と妻が思わず嘆息をもらす。確かに登山者を一瞬たじろがせるような威容である。
白装束の行者の一団が私たちを追い越して行った。足元を見れば白足袋である。なかには中年の女性もいる。一行は慣れた足取りで大声で呪文を唱えながら足早に登って行った(石鎚山はかつては女人禁制の道場であったが、現在は7月1日のみ女人禁制)。
さらに1時間ほど登って行くと、山頂は
空海が登拝した霊峰はもう少しだ。私たちは石鎚山の霊威に打たれたかのように疲れも忘れて登って行った。
正午、綾線にたどり着いた。西条方面からの登山道と合流する所が山頂の入り口になっていて鳥居が立っている。登山客はみんなここで手足を投げ出してノビている。さて、ここから先は霊域であり、岩場を鎖を伝って登るのだ。
一瞬、垂直に鎖が垂れ下がっているのかと見まごうほどの急斜面。鎖場があることを知らなければ、岩壁に人間が一列に貼り付いてじっとしている様子は奇妙 に見える。よくよく見れば、少しずつよじ登っているのがわかるが、その光景が「蜘蛛の糸」を登る地獄の亡者たちを想起させて、私はおかしくなった。
妻は緊張しているのか口元を引き締めて見上げている。
全国の霊山中、最大最長といわれる石鎚山の鎖場は五ヶ所ある。クライマックスは頂上までほぼ連続する三つの鎖場。総延長、150メートルはゆうに超える。私たちはそこから挑戦する。時間をかければ巻道で登る方法もあるが、私たちは正面突破で行くことにした。性格である。
妻がまず岩峰に挑んだ。鎖は一握りもある鉄棒が繋ぎ合わされていて、岩に埋め込まれているように重い。私は彼女のすぐ下から登った。
「ケンゴさん、ちゃんと後ろにいてよ!」
「大丈夫だ。落ちて来たら受け止めてやる。腕で登ろうと思っちゃ駄目だ。足場を決めろ。次は右足を鉄の輪っ環に入れろ!」
妻は渾身の力を振りしぼって登って行く。徐々にではあるが、それでも真下に見えている鳥居が足元でいつしか小さくなっていた。確かに登っているのだ。他 にも女性の登山者が鎖にしがみついているが、みんな必死の形相である。無理もない。一度足を滑らせたら最後、真下の鳥居まで落下するしかない。女性にとっ ては天上のお釈様に救いを求めるカンダタの心境であろう。私一人ならさっさと登れる崖だが、女房を連れた遍路旅はこのじれったさと面倒臭さに耐えることこ そ修行なのかもしれない。なにしろ、ここは古来より〈
そんなことを自分に言い聞かせながら、私は〈女人禁制〉の霊山をひたすら女房の尻を押したり支えたりして登って行った。こうして二人はついに霊峰を極めたのである。
山頂からの眺めは絶景である。うねりくる山々はすべて眼下にあり、秋の気を含んだ青山は、美しい稜線を描いて幾重にも重なり合いながら、遥か瀬戸内海の空に融け込んでいる。
頂には蔵王権現を祀る小さな祠がある。近くの岩場で弁当を食べながら、妻と私は前方の峰を見つめていた。尾根の谷を隔てた数百メートル向こうに円錐のように切り立った「天狗岳」が見える。
腹ごしらえがすむと二人は立ち上がった。いよいよ四国随一の山岳霊場の「奥の院」を目指すのだ。駱駝のこぶのようにいったん尾根伝いに下って再び登る山頂の地形は、龍骨のように東西に長く南北は狭い。右側は熊笹の茂る転げ落ちそうな急斜面。反対側は垂直の岩壁である。
天狗岳の近くまで来ると、いよいよ這いつくばって前進するようになった。鷲のくちばしのように宙に突き出た岩にへばりついている妻は、下をのぞき込んで 目を回している。私も岩にしがみついて見下ろすと、目もくらみそうな凄まじさである。遥か真下には二つの登山道の合流点が白い糸ほどの細さで繋がってい る。たむろする人の姿は蟻である。
陽射しを浴びた山裾は青々とし、山頂に近づくにつれて紅葉してくる山肌の変化が明瞭に観察される。だが、天狗岳の岩峰は日射を遮る高さにあり、私の足元から垂直に絶ち割られた岩壁は、
もう一息だ。岩をつかみながらようやく登りつめた三角点は、何とわずかタタミ三畳ほどしかなかった。私たちはついに西日本最高峰の頂点に立ったのである。
「やったぜ! アミーゴ」
妻が息を切らせて私の肩にしがみついた。
四国全山の極みから見下ろす素晴らしい眺望に、彼女は輝かしい
きっと空海もこの場に座ったであろう。まさに石鎚山上は「石峯に股がる」という感覚である。若き空海が『三教指帰』に書き残した言葉は、この場に来てみてありありと実感された。
「或るときは石峯に
あるときは石峯(石鎚山)において食糧さえままならぬ状況下で苦行したという意味である。「轗軻たり」とは事が思うように進まぬさまをいう。修行に打ち込む空海の苦悩と嘆きが聞こえてくるようだ。
私は空を仰いだ。澄み渡った天空を見上げていると、自分が透明な風となって空中に浮かんでいるような不思議な気分になってくる。
千二百年前の暗闇の中で、この石峯に跨って満天の星空を仰ぐ孤独な空海の姿が目に浮かんだ。そして土佐の御蔵洞で荒れ狂う海に向かって祈りを捧げるあの 空海を思い出した。「空」と「海」、遠く隔たりながらも常に隣り合う二つの世界の狭間にあるもの、それは大地である。地の涯の辺地では海に向かって叫び、 地の極みの石峯に跨っては、獅子のように夜空に吼える空海の姿が瞼に浮かんできた。
祈りの声はあの谷々に響き、あの峰々に
自然と人間が不即不離の一体であるという密教の霊妙を、空海はこのときも体感したであろう。そして、天翔ける「風の空海」があればこそ、彼だけが大日如 来から大宇宙の実相を承継することができたのだ。ヤマトの神々を曼荼羅という宇宙法界に目覚めさせるには、始源の闇を突き抜ける旋風と化した空海がなけれ ばならなかった。
千二百年前、空海が見た石鎚の空と自然を、今、私たちも見ている。