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空と海と風と 夫婦で愉しむ道草遍路  第十一回

◆人は神仏の声が聴けるのか--釈迦・イエス・空海の共通点--

  6月上旬のことである。朝起きたとき、首を寝ちがえたような筋肉のつっぱりを感じ、鈍痛を覚えた。それはすぐに激痛に変わり、たまらずに車を飛ばして町の総合病院で診察してもらったが、レントゲン写真で見ても骨に異常はなく、痛み止めの薬をもらっただけだった。

 病院からの帰り、あまりの痛みに耐えられず、途中で針灸院に飛び込んだ。年配の針灸師は「こんなもの病院なんかに行かなくても針で一発で治る」などと大 口をたたいたが、結局何ら効果はなかった。数日間一人で痛みに耐えながら仕事を続けていたが、授業中、板書しようにも右腕が上がらなくなる。腕にも手にも 力が入らなくなり、ついにデスクで字すら書けなくなる。そのうちに立っていられなくなって、6月20日、ついに倒れた。

 私は個人経営の学習塾の塾長なので、私が倒れると即、授業に支障をきたす。そのため簡単に休むことができない。倒れたとはいえ、授業中は必死の思いで立 ち上がっては生徒に指示をして、問題をやらせては事務所のソファーにひっくり返るという状態を続けて、代講の講師を探した。

 幸い、高校と中学校で臨時教員をしている教え子や、私立高校の年配の先生たちがピンチヒッターでやってくれることになり、私はソファーに芋虫のように這 いつくばった状態で指示をすることになった。立っていると右肩胛骨の下に激痛が走るのだ。横になればなんとか我慢できるほどの痛みに戻る。  そのうちに、立っていようが横になろうが痛みは治まらなくなり、大の男が悲鳴を上げるほどの激痛が絶え間なく襲ってきた。ある晩など悶絶するかと思うほ どの痛みに襲われ、原因のわからぬ妻は手の施しようがなく、狼狽のあげく救急車を呼ぼうというが、そんなもの呼んだとてどうにもなるまいとわかっていた私 は制止した。妻は七転八倒する私を抱きかかえて「死なないで、死なないで」と泣き出す始末。「心配するな。そういうことにはならん。ただの筋肉痛だ。すま ん、塾のことしばらく頼む」それだけ言うと、あとは唸り声を上げるばかりだった。

 数日後、近所の整形外科に這うようにして行って症状を話すと、MRIのある大病院で首の検査を受けるように紹介される。MRIのカプセルの中に入れられ て精密写真を撮ると、頸椎4番と5番の椎間板ヘルニアと判明した。痛みは治まらない。くだんの個人病院で痛み止めの薬を飲み薬から座薬に変えてもらうが、 夜中に肩胛骨の下の患部が焼けるようで効果は全くない。ちょうど身体の内部から何かが肉を喰い破って出てくるようなものすごい痛みである。

 飲み薬と並行してその病院では、物理治療とかいう首の牽引を始めた。アゴにベルトを引っかけて首を引っ張るのである。現代医学とは、こんな野蛮なことし かできないのか。俺をロクロ首にする気なのか。凹んだものを引っ張り出せばいいのは、スッポン料理屋のオヤジのやることだ。俺はスッポンじゃないぞ。数回 通ったが、この医者は近所の評判も悪いことを知り、ロクロ首にされぬうちにヘルニアの名医がいるという隣町の市民病院に変えた。

 今度は文字通り2時間待ちの3分診療である。噂の大先生はご多忙で不在。代わりに若い医師が診断する。ロクロ首のやぶ医者には何を尋ねてもラチがあかな かったので、大病院のこの医師に改めて原因は何かと聞けば、なんと「老化」だと答える。病気の原因がすべて「老化」で片づくのなら、素人にでも診断でき る。老化すればみんながみんなヘルニアになるわけがなかろう。万病の中でのヘルニアの発病原因を聞いているのだ。日本語が通じないのか。原因がわからなけ れば、療養生活の方法や生活改善などの対策も立つまい。現代医学では未だに原因不明だというのなら、そう説明すればよい。とにかくどうすれば治るのか名医 の大先生に尋ねてくれと言うと、こういう場合はどのみち手術しかないと言う。

医者はすぐそれだ。西洋医学というやつは血も涙もない。人体も車の修理と同じだと考えている。首を切るというのだ。脊髄の手術である。しかも、手術に失敗 しても文句は言いません、という念書を一筆書いてくれと言う。馬鹿も休み休み言え。そんな無責任な手術を誰が受けるというのだ。当たるも八卦、当たらぬも 八卦とあきらめられるのは鑑定料3000円の占いだろう。いつから医者は街頭易者と同じ発想になったんだ。東洋には医は仁術なりという思想があったはずだ が、医療ミスによるトラブル防止を真っ先に考えるような金術医者に、心安らかに首を切ってもらう馬鹿がいるものか(だが、実際にはいるらしい)。

 身体を治すのは、まず心を癒すことから始まるのではないか。病は気からという、無学なバアサンでも心得ている真実さえ現代医学は無知らしい。もうよい。 万一失敗して車椅子生活にされるぐらいなら自分で治す。人間には自然治癒力というものが備わっているのだ。とカラ元気を出してはみるものの、不安は募る一 方だ。電気療法やら気功やらもやってみたがさっぱり効果なし。

そんな頃、妻の手術の折り般若心経を勧めて下さった同業のS先生に、足の甲の痛点を探ってそこを奥さんに押してもらってみなさいと教えられた。両手をこす り合わせて熱くなった手で爪先から膝に向けて押していくというS先生のアドバイスがヒントになって、妻に患部をなでてもらった。気慰めだが気持ちは安ら ぐ。私はこれが一番よいと思った。

妻も私が落ち着くのを見てとると、両手をこすっては祈りながら懸命に患部に「手当」をしてくれた。そのうち軽くマッサージをし始める。気持ちが良くなって 痛みが和らぐようになる。「気持いい? じゃあ、体にいい証拠よ」妻は揉みほぐすように、うつ伏せになった私の背中を毎晩一時間ほどさすってくれた。仕事 を一人で切り回してくたびれているのだろう。時々居眠りをするが手は動き続けている。結局これが一番効いた。芋虫生活二嵂月、私はやっと立ち上がることが できたのである。

 針も薬物もロクロ首療法も気功も電気治療も何ら効果はなかったが、妻の献身と時が解決してくれた。心と身体とは連動している。当たり前のことだ。首は切られずにすんだので、現在まだつながっている。

 1997年は、そういう災難に遭遇したために遍路旅行には行けなかった。まる一年間のブランクである。だが、私が本気で空海に近づくのはこの時期からで ある。寝たきり生活の間、私は最悪の場合の身の処し方や生活などの現実問題に一通りの見通しと覚悟をつけた後、書架にあった梅原猛の『仏教の思想』やその 他から少しずつ空海を読み始めていた。人生一寸先は闇である。何が起こるかわからない。50歳を迎えた私は、これを契機に生き方を変えなければという思い がさらに募ってきた。

 よくよく考えると、四国遍路を始めたときから転機は訪れていた。そのきっかけは妻である。私を暗い過去の澱む四国へと連れ出した彼女の意識は、いや無意 識は、ある解決を求めて私の前に現れていたような気がする。私は人間的に未熟なのである。それはわかっているが、どこかで四国遍路を避けようとする意識が 私には働いていた。反面、空海に会いたいという、これも偽りのない私の気持ちであった。この矛盾した気持ちは、この病床生活を境にして徐々に統合されてい く。

 ところで、密教などという普通の人には縁遠いものが、実は30年近くも前に私たちの話題にのぼったことがあった。まだ結婚する前、彼女に「あなた、密教 をやったら?」と言われたのである。私が東京でグラフィック・デザインの勉強をしていた頃で、デザイン事務所を持つ広告業界のある先生に「君、カメラを やってみないか」と勧められたことがあった。そのとき、彼女は私に「あなたはレンズを通すカメラのように間接的に世界を把握する人ではありません。カメラ では将来きっと行き詰まると思うわ。あなたは媒体を通すのではなく、対象をじかにつかみ取ろうとする人です」と言われた。その後、密教の話が出てきたので ある。彼女はまだ23歳だった。あとで聞くと、本人は何も密教のことは知らない。何となく土俗的で直接的な感じがして、ふとそう思っただけだと言う。

 密教における宇宙観によれば、人間と自然、生物と非生物、心と身体、精神と物質など、日常的に背反すると見られる要素は、究極的には同じ本質を分かち合 う不二であるとされる。宇宙万物を生成する根幹(梵)は万物と連続しており、個別的に見える人間においても、それらは等しく「梵」の生命とつながっている と考える。梵我一如という。

 空海が盛んに修行した求聞持の法とは、星空を通して宇宙の精神(梵)と一体化する神秘世界の体得であった。空海密教では、万物の背後には大自然の無意識 の海があるとし、それは内なる我(真我)と一体化し融合することによって実感することができるとする。宇宙の無意識は現象界を時々刻々変化させながらも、 総体としては調和を保ち、それは本質において清浄なる世界であるとする。教主とされる大日如来は、この真実を森羅万象を通じて常時人間に説法しており、そ の教えを最高の教義とするのが密教である。

 一方、近代の科学思想は非人間界に意志の存在を認めない。さらに近代的な物理学は、自然現象と「心」とを完全に切り離すことを前提として始まっている。 西洋医学が病気を単なる「物」の現象として取り扱い、人間の「心」とは分離して取り扱うようになったのも、物理学の伝統的な思想に立っているからである。

 近代科学の大前提となったデカルト的な二分法が精神(主観)と物質(客観)を切り離したのに対して、精神と物質との間に相互作用的な関係を認める東洋思想が、近年、医学や物理学でも見直されている。だが、この真理を限界まで突きつめたのは1200年前の空海密教である。

 人間存在の究極的な真理を知りたくば宇宙と一体になれと空海は言う。宇宙との合一という意味は、くだいていえば大自然の中から直接仏の声を聴けというものである。ここにいう仏とは釈迦如来ではなく、大日如来の説法のことである。

 仏教と密教とは、密教側からは一般的に区別されている。歴史上実在した釈迦を教祖とする仏教は顕教(けんきょう)(あ きらかにされた教え)と呼ばれる。釈尊は「応身の如来」と呼ばれ、仏教はその説法をもとにしている。これに対して密教は大日如来を教主とする。大日如来は 「法身の如来」と呼ばれ、肉体としては存在しないが、宇宙法界を象徴化した絶対真理を仏身とする究極の最高神である。宇宙の声なき声のことである。すなわ ち「法身大日如来」の説かれた教えのことを密教というのである。

 現代人の感覚では、釈尊が説法することは理解できても、姿、形、言葉をもたぬ法身たる大日如来が法を説くわけがないし、聴くこともできないというだろ う。その通りである。法身はサンスクリット語や日本語では語っていないし、第一、言葉という概念ではとらえられない。ゆえに、それは「秘密語」といわれて いる。究極の真実は真実の言葉、すなわち「真言」で語られているのである。

 素人の私には不思議なことだが、法身は本当に説法するか否かという問題が奈良仏教以来しばしば論争になってきたそうだ。私は即座に「法身は説法する」と 直感した。妻に話すと、妻も即座に当たり前だと言った。法身の説法は私たちにとっては自明の理であった。別に二人とも密教を知っているわけではないが、直 感的にそう思うのである。

 例えば、妻は困難に直面したとき、頭の中をカラにしていると、ふっと進むべき道が「聞こえてくる」などと言う(アルファー星との交信などという彼女一流 の表現も、冗談めいているが半分は真実である)。第一、法身が説法することを認めなければ、宗教そのものが根底において成立しない。私はそう思う。

 私の実感でいえば、予定調和というそれ自体完結した見えない世界のことである。それは人知を超え、時空を超えたところに実在する世界、いわゆる普通我々 が五感でとらえるところの実体とは異なる実体、現象としての実体を生み出す根源的実体とでもいうしかないが、もともとすべてが秩序立てられているところの 「それで全てよしとする世界」のことである。すべてを包摂する永遠究極の理法とでもいおうか。妻も体質的にこのような感覚が強かったから、同じような資質 を持つ私に「あなたは直接対象をつかみ取る人です」と言ったのであろう。

 私は、人間は本来誰でも少しは法身の説法が聴けるものだと思っている。しかし、俗世界に支配された愚かな知恵が雑音となって、清浄な宇宙の声を感知する 聴覚がしだいに衰えてくるのだと思う。仏教では仏の智慧(真実)に暗い根源的な無知を無明というが、それは貪欲、嗔恚、愚痴という根本煩悩に心が支配され ているからであるという。つまり、エゴに犯された無明の心がいつしか聴くもの聴けず、見るもの見えなくしているのだ。際限のない欲望に蝕まれた人生の帰す るところは、生老病死にとらわれた「苦」である。お釈迦さんはおそらく法身(大日如来)の教えを聴かれたからこそ、「苦」を解脱されたのではないだろう か。

 お釈迦さんはその体験を語って歩かれた。衆生済度を願うお釈迦さんは心の病を治す名医であられたから、病の程度と種類によって説法という妙薬を調合され たのであろう。これを対機説法という。だから、お釈迦さんの教えは矛盾が多いように見える お釈迦さんの死後、弟子たちがまとめた仏典(釈迦の言葉)は 「如是我聞」(かくの如くに我聞けり)という枕詞で始まるが、もともとケースバイケースで語られた言葉であるから、人によって内容が異なり、矛盾が生じる のは当然で、これが仏教の多様な解釈と煩雑な理屈が生まれる原因であったと思われる。

 イエスの言葉を集めた新約聖書もそうであろう。イエスも神の言葉を聴いたと伝えられている。しかし、聖書に書かれているイエスの言動も、必ずしも愛の一 貫性があるとはいえない。ために釈尊やイエスの教えを知るには、膨大な経典や聖書を必死になって学ぶか、でなければ専門家の解説(僧侶や神父の説教)を信 じるしかない。つまり、神の言葉を聴くのに人間という媒介を通すことになる。

 しかし、媒介者も所詮、先輩の媒介者から学んだ知識にすぎない。彼らは直接神の言葉を聴いた者ではない。キリスト教や仏教の内容が時代とともに換骨奪胎 してきた背景には、マニュアル(解説書=経典)を知的に解釈し、新たな見解を追加してきたことがあげられる。故に、解釈の違いをめぐって論争や宗派の対立 という、およそお釈迦さんやイエスの願ったことの本末転倒が生じる。そこに政治や権力闘争までからんだ修羅たちが、宗教という名の「業」を積み重ねてきた のが人間の歴史である。しかも、この基本的な構図は、現代の国際社会においてもなお変わらぬままに世紀末を迎えようとしている。

 今さら詮ないが、後世われわれ凡人が混乱しないように、お釈迦さんやイエスさんはその教えを体系的にまとめて、一冊書き残してくれたらよかったのかもしれない。二人の(著書)がゴーストライターの手によるものである以上、では我々はどうすればよいのか。  答えは一つしかあるまい。われわれも直接神仏の声を聴くことである。芸術鑑賞はじかに作品と向き合うことが肝要で、解説書は二義的なものである。体験に勝る解釈はないのである。

 世の中には勉強が大好きという人々がいる。そんなお勉強家たちが理屈をこねまわすと、私のような勉強嫌いな単純な頭の持ち主はよけいに混乱してくる。 どっちが正しいやら、いずれが神でいずれがサタンなのかわけがわからなくなってくる。そして、そのいずれもがわれこそ正統派であると主張し、ために国内に おいては有名な仏教教団が年中対立しているし、新興宗教の教祖も掃いて捨てるほど名乗りをあげる始末である。

 まともなものもあるとは思うが、彼らの説法や教理を馬鹿正直に学ぶと、最も危険なことは信仰の熱意が逆に罪悪を犯すこともあり得ると言いたいのである。 神の正義の名のもとにおける罪悪といってもよい。スペイン、ポルトガルは布教という信仰的正義によって他国を侵略したし、フランス、イギリスは文明の名に おいてアジア植民地覇権を正当化した。今また、アメリカは人権の名において国際間の武力解決を正義としている。いわば、それらは人間がその時々で作り上げ た「時代の神」なのである。彼らの説く(神)の言葉が、絶対的な真実であるという保証はどこにもない。

 ゆえに私は、イエスや釈迦と同列において直接「神の声」に耳を傾けたいのである。人が唱える教説(創唱宗教)に従うより先に、まず自ら「法身の声」に耳を澄ます心構えを持ちたいと思うのである。

 釈尊やイエスと同列において神の声を聴くなどとほざけば、人は馬鹿かだと言うだろう。だが、私はお釈迦さんや空海の何百分の一ぐらいは聞けるものだと密 かに思っているのだ。これはふざけて言っているのではない。頭で百の知識を入れるよりも、実感で十の本質を体得した者のほうが、知識人よりも道を間違えな いことが多いものである。教義や学問知識は大切である。だが、それに頼りすぎては自己を見失う。

 お釈迦さんが入滅されるとき、弟子たちは泣きながら「あなたがお亡くなりになると、私たちは何を灯りとし、何を法として生きていけばよいのですか」と問 うたと伝えられている。お釈迦さんは弟子たちに向かって「自分を灯りとせよ、法を灯りとせよ」と言われた。この「自灯明」「法灯明」の教えとは、人や経典 やマニュアルに頼ろうとせず、直接「宇宙の理法」を聞き、それを「灯」として自律的に生きよということではないかと、私は思っている。お釈迦さんはこれが 一番言いたかったことにちがいない。

 つまり、宗教は自力でやれ、と教えられたのである。私にはこの気持ちが痛いほどわかる。お釈迦さんもまた基本的に人間の自力を信じておられ、程度の差こそあれ、生来人間は法身の説法が聞けることを知っておられたからであろう。

 空海密教も、修行プロセスは自力本願である。彼は言語を絶する修行の果てに、「法身の声」は遍く宇宙に光輝いていることを体得した。万有の宇宙に遍在し ているものは、一人ひとりの人間の内にも本来宿っているということである。宇宙に聴くということは静かに自己に聞けということでもある。聴けば、その答え は必ず現れてくる。

エデュケーション(教育)とは「引き出す」という意味であるが、その最高の知慧は大日如来の心、すなわち仏性であると悟ったのが空海であった。しかも、人 間はその瞬間「この身のままに」「この場において」即座に成仏(仏になること)できると言い切ったのが空海であった。これを「即身成仏」という。

 これは、従来の仏教においては画期的なことだった。まして、人間は永遠に神にはなれぬとするキリスト教にとっては腰を抜かすような教えである。「即心」 成仏ではない。「即身」成仏である。空海があえて「即身」という言葉を当てた意味は、この世において「生身のまま」成仏できるという意味である。転生や来 世への往生を待つことなく「今、ここで」悟りを開くことができると主張したのは、日本において実に空海ただ一人である。

 これは、空海が人間の本性と現世の両方を肯定的に見ていたことの証である。これらの理由から、空海は日本の仏教に多大な影響を及ぼした末法思想を認めな かった。のみならず、鎌倉仏教を色濃く覆う「罪業思想」や「浄土思想」を押し広げた法然、親鸞、日などの指導者とは一線を画する。これは、空海を識る上で まず明らかにしておきたい基本である。

 さて密教の知識のない妻が、私に仏教(顕教)とは言わず、密教を勧めたことは意味深い。彼女の無意識が「自らを法とせよ」と私に語ったのかもしれぬ。また、彼女が「何となくそう思った」のは彼女が「法身の声」に感応したためかもしれない。

 子どものような感性がある彼女は無邪気にそんなことを言うが、しかしよくよく考えればこれほど手厳しい言葉はない。「時代の神」や「共同幻想」に身を委 ねる気持ちを捨てよと言ったのである。彼女と巡り会ったときから、私には密教的自力本願の道を進むしかなかったといえる。それは望むところである。私はそ れしか救われようのない人間であることを知っているからだ。空海に逢うことでしか、私の21世紀は開かれないのである。一年後、私たちは三度四国遍路を決 行した。

◆第1日目(1998年8月10日)−30年ぶりの剣道−

一年二ヶ月ぶりである。
 第二十四番札所から第三十九番札所までを土佐の国「修行の道場」という。一昨年、土佐に入って第三十五番札所を打ち終えた。翌年は残りの四ヶ寺を打っ て、そのままスンナリと愛媛に入る計画を立てていたが、第3回目に出発しようとした矢先に私は突然倒れた。考えてみれば、私は一年間ある意味で修行をさせ られていたことになる。

 病後の体力の低下は著しく、30回以上軽くできていた腕立て伏せが一度もできなくなったのにはショックを受けた。木刀の素振りなどして懸命に回復を図っ た。少し体が動きだした頃、埃をかぶった防具を引っ張り出して近くの道場に行く。  剣は大学卒業とともに捨てたはずだったが、あまりに情けない自分に腹を立ててムキになって三十年ぶりの剣道に挑んだ。結果は、現役四段の若手と何とか互 角に立ち合えた。血の小便が出るほど鍛えた腕はまだ完全に忘れてはいなかった。だが、もはや剣は自在には飛ばない。  かつては、気合とともに心身のエネルギーを一剣に集中させるだけで、剣は自ら意志をもって動いた。聡明な猟犬のように、的確に、相手の隙に飛び込んだ剣 は私の手元にはなくなっていた。もはや、しぶしぶ重い腰を上げて主人の命令に従う駄犬がいるだけである。私は、清滝寺の「流汗坂」の歩き遍路の若者と張り 合う気持ちをようやく捨てる気になった。51歳になっていた。だが、椎間板ヘルニアは嘘のように治ってしまった。

 午後広島の宇品港まで、今回はマイカーで行く。1時45分発のフェリーに乗り込んで松山市に着くと、この日は道後温泉に泊まって、7月末以来たまった夏期講習の疲れを癒す。

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