★空海と理論物理学
私には空海が「人間の真理」と「仏の真理」を截然と分けた上で、しかも一つの世界として把握したように思えてならない。彼は二律背反を統一するのではなく、そのままで一つながらに把握しているように思える。西洋の弁証法を学んだインテリにはこれが理解できないようである。
宮坂宥勝博士によると、田辺哲学で知られる田辺元は、ハイデッガー哲学の実存哲学と道元禅とは比較したが、密教は興味の的にはならなかったと指摘されている(『空海曼荼羅』)。日本において独創的な哲学を築いた西田哲学においても、密教が全く顔をのぞかせていないことも不思議だと言う。絶対矛盾的自己同一まで説き、鈴木大拙の影響まであって華厳まで進みながら、密教は不問にされたままなのだ。おそらくそれは弁証法的思弁を用いるからではあるまいか。
また、日本人の精神を仏教美術から考察した和辻哲郎の『古寺巡礼』は、天平芸術とギリシア彫刻とを比較しても、そこには奈良の密教像は見事に除外されていることも挙げられている。平安密教芸術などは全く埒外である。和辻は禅や親鸞や道元は高く評価しているが、どういうわけか密教の世界には入ろうとしていないのだ。
さて空海は人間の心のありかたを十段階に分析し、精神の発展段階を理解できるように『十住心論』において理論的に体系化した。第一段階の[異生羝羊心]はただ本能のままに生きる欲望人である。第二は道徳的に生きる[愚童持斎心]で、これが儒教である。第三段階が精神的存在、すなわち道教の[嬰童無畏心]。ここまでは人の世の段階で、以後、仏の真理が視野に入ってくる。
まず声聞、次に縁覚(ここまでが小乗)続いて法相、三論(大乗)そして法華、華厳ときて最後に頂点の密教がくる。
空海は西洋的な序列化や差別化をしたのではなく、密教に至る距離を表したのである。その証拠に密教から遠くに置かれた南都六宗は、空海に対して最澄に対するような反発はなかった。むしろそれぞれの宗派が密教に包括されたことを歓迎している。
空海は『十住心論』で、仏教における歴史的発展段階をも視野に収めて見事に体系化しているが、これを凌駕した仏教思想はいまだ現れていない。だから頂点の密教を潰せば日本仏教はおおむね息絶える。おそらくこれが廃仏毀釈で真言宗がもっとも狙われた原因かもしれない。
ともかく西田哲学でも柳田民俗学においても密教は切捨てられた。明治以来西洋合理主義を学問の中心にしてきたアカデミズムは密教を黙殺することから出発したようである。
えてして民族精神を口にする者を民族主義者とか国粋主義者とか右翼などと呼んできた。しかし私は密教を捨象した国粋主義者を民族主義者とは思わない。ひたすら天皇制を掲げる民族主義者は右翼ではなく右翼モドキである。何故なら彼らは宗教を学問の対象にしてきたからである。例えば本居宣長の国学以来の伝統がそうであろう。イデオロギーはそういうインテリによって形成されてくる。
今日平均的な日本人の神観念は、かみほとけのことであり、一家に神棚と仏壇を祀ってなんら矛盾を感じない。一方で神社にお参りし、他方で寺参りをする庶民のかみほとけとは神仏のことであり、それは密教が媒介となった神仏習合の神概念である。もしそこに日本人固有の宗教文化を見るのであれば、神仏習合を受け入れている庶民の方がよほど民族主義者であり、右翼と呼ぶしかないだろう。私はこれを実存の右翼というのである。
またマスクス主義者がブルジョワジーを敵視して、社会の貧しい下部構造に味方すると言うのであれば、お大師さんの乞食行道を身近に感じてその生き方を信仰の対象にし、棄民を受け入れてきた庶民こそ究極の左翼である。そして空海がスーパー右翼でかつスーパー左翼であることを感じているのは、実は素朴な庶民の方なのだ。またこの両概念を対立することなく一つに受け入れる精神こそが、日本人の潜在的意識なのではないだろうか。
そもそもデカルト的二分法は日本には存在しなかった。道教の陰陽の概念は決して対立的な概念ではない。精神と肉体、男と女、剛と柔など、本来同一であるものの異なった側面を示す対極的な概念で、陰陽道は流動的にからみ合い、互いを内包し融合し合うバランスのダイナミズムである。
理論物理学者のフリッチョフ・カプラがその著書『タオ自然学』においてミクロの世界における二重性の構造が陰陽の概念に類似していることを主張したのは30年前である。タオとはタオイズム(道教)を意味し、仏教や道教、禅など東洋思想と現代物理学の類似性をいくつか指摘している。主観と客観の合一性、時間と空間の融合、「空」の実在、対立概念の超越、万物の相互依存性などである。(カプラは空海に共感して高野山を訪ねている)
日本文化は対立概念の超越であり相互依存である。神仏は共存し、国家と宗教はバランスを保つことによって国内の安定を維持してきた。これは国家と宗教の対立から内乱が起った西洋の原理主義には見られない文化である。道教も空海の『十住心論』によって密教に至る第三段階に包括されている。
第四段階、すなわち〔唯蘊無我心〕から「仏の真理」が入ってくる。いわば「見えない世界」のことである。
他方、近代科学のもととなったニュートンの力学的自然観は、デカルト的還元主義へと発展した。世界の全ては構成要素に還元でき、全体は断片的な部分の集合体に過ぎないという世界観のことである。つまり自然現象を時計仕掛けのような部品の組合わせによるものと考える機械論的世界観である。ニュートン以来、科学者は自然や現象をその構成要素に分解してそのからくりを解き明かしてきた。
このような伝統的な西洋の考えのもとでは、要素に分解された個はそれ自体全体との関連を失う。アリは一匹のアリという固体であり、一匹のミツバチは一匹のミツバチである。ミツバチが集まったところにミツバチの集団(社会)が形成されるのである。しかしアリやミツバチは単独では生存することができない。それらは一個の生物と見なすよりも、むしろアリという集合的な生命体の中の細胞と考えることができる。一匹のアリは全体の中で一個の生命体を維持できるのである。
自然を有機的なシステムと見なす世界観は近年生態系(エコロジー)と呼ばれ、科学万能主義の批判精神となって登場した。イギリスの科学者J・E・ラヴロックは地球の生態系もまた一つの生命体のようなシステムを形成していると見なした。地球全体を一個の生命体とするこの考えはエコロジストに大きな反響を巻き起こした。彼はそれを「地球生命圏」(ガイア仮説)と呼んだ。
アーサー・ケストラーが『還元主義を超えて』を発表したのは、まだ科学万能主義の1968年だった。ウィーン大学で物理学を学んだ彼は、機械論的な還元主義が文化にも大きな影響を与えていることを見抜いた。彼は個と全体との関係において、個は同時にシステム全体の性格を帯びていることを論証した。そこには秩序形成のループ(結び目)のようなものが働いていて、自他の区別や二元論的な因果律は厳密には成り立たないことを明らかにした。原子、分子、高分子、細胞、組織、器管、固体、そして社会、生態系、地球、これらはそれぞれが独立した要素でありながら、同時により上の階層の秩序に包込まれている。しかもこの秩序システムは「下から上へ」向かうプロセスと「上から下へ」向かうプロセスの二面性があると言う。つまり自律(自由)と他律(規制)が同時に個と全体に働くのである。
現在、企業などの組織論にまで応用されている彼の概念はホロンと呼ばれている。ホロンはwhole(全体)+one(個)を意味する単語である。ホロンは時計の歯車のように全体のシステムにはめこまれて一定の機能しかはたさない硬直したシステムとは異なり、個と全体が一つの有機体であり、いわば関係の実体である。彼はその著書『ホロン革命』の中で、細胞内のミトコンドリアが上部の有機体(生命体)に連動する過程でホロンを解き明かしている。
有機システムの連続性はすでに有情(生物)の平等性を説いた仏教が見抜いたことであった。そして個は即ち全体であるというのも、法華経でいう「一即多」である。法華の思想もまた空海の『十住心論』の第八段階に包括されている。
ホロンの自律性は物理学的には「ゆらぎ」と呼ばれる。ある測定値を観測したとき、その値が平均値の回りで不規則に変化する現象を言う。ここに観測者の意識が観測対象におよぼす物理学上の問題が浮上した。この超常現象を伝統的物理学ではまだ神秘主義の領域に封じているらしいが、ニューサイエンスではこの非因果的な現象を解明しようとしている。
すでに1919年、ポール・カメラーは因果的にはつながっていない複数の事象が空間的に一致して起きることを「連続性の法則」で説いた。カメラーは宇宙には物理的な因果律と共存しながら、多様性のなかに統一をもたらそうとする非因果的な原理が作用していると言う。ユングもまた「共時性」という概念において、離れた空間における連続性と背後の意志的な力について論及している。
アインシュタインにその独創性を認められたパウリは次のように言った。
「基本的量子を発見して以来、物理学は、原理的には全世界を理解できるというその誇り高き主張を放棄せざるをえなくなった。しかし、この苦境はこれまでの一面的な方向を是正し、科学は全体の中の一部にすぎないという統一的な世界観に向かうだろう」と。「その背後にある意味」を問うこと。ケストラーはこの種の哲学的思考は50歳に達した科学者のあいだでは珍しいことではないというが、それは科学が仏教的視点に接近することではないだろうか。空海の『十住心論』でいえば、科学の真理から仏の真理を知る第四段階である。「人間の理法」は背後の「仏の理法」に包まれていることを予感する瞬間であろう。
分子レベルで「ゆらぎ」が生じることを物理学が発見したのはごく近年のことである。ミクロの世界では観測したとたんに現象の起こり方が変わってしまうことも報告されている。これは観測者と観測される者の相互依存を現しているとも言えるし、「空」によって[色」はつながっているとも考えられる。自然現象は観測の有無(人の意識)にかかわりなく、一定の物理的法則で起きるという科学の前提が成立しなくなっている。
D・ボームの言う「暗在系」、つまり隠された潜在的な世界が、「明在系」つまり目に見える普遍的な秩序世界を包み込んでいるというのも、このような量子力学の新しい地平を背景にして現れた。ホログラフィー(フィルムの一部分だけから全体が再現できる完全映像法)には「一つの素粒子には他の全ての粒子の営みが投影され、同時にその全ての粒子に浸透している」という考えがある。これまでの素粒子の実体論を、「関係」こそ実在であるとしたこの新しい考え方は、まさに空海の説く曼荼羅の世界を彷彿とさせる。(ボームのホログラフィーのパラダイムでは宇宙と脳は共振するという考えがある)。
ライアル・ワトソンが原子、分子のレベルから、動植物や人間まで、何十億年というスケールで生命の誕生と進化を研究した結果、そこに隠された神秘的な「流れ」を感じた。彼はそれを「ライフ・タイド」(生命潮流)と名づけた。
これら世界の先端科学の探る世界は、私の見るところ、すでに1200年前にわが国の空海が説いたことである。彼ら科学者は、今日、宇宙の摂理、即ち法身・大日如来の秘密語を聴こうとしているかのようである。(ライアル・ワトソンもまた、空海密教に共感して高野山を訪れている)
東大の伊藤俊太郎博士は「西洋は明在系の探求、東洋は暗在系の探求」と言われたそうだが、してみると、私の知る空海は、明在系(科学)と、暗在系(仏の真理)との二つの原理によって世界を把握していた恐るべき日本人であったと言える。
さらに驚くべきことに、空海は、暗在系(仏の真理)に充満する神仏の意思をも明確に聴きとっていた。量子力学と意識の研究はまだ緒についたばかりであるが、空海密教はすでに体験的に知っていた。密教の特徴は無情(無生物)にも仏性があるとした点である。仏性すなわち「意識」である。
空海はインド哲学の五大説(または四大説)に対して六大説をもって答える。六大とは世界を形成する地・水・火・風・空の物質的な五大原理に、精神的原理である「識大」を加えたものである。空海はその著『即身成仏義』において顕教(仏教)では五大を意志をもたぬ存在(非情)と見るが、密教では六大すべてを宇宙的な生命(法界体性)と見なすと説いている。
「いわく、六大とは五大と識大なり」
「仏六大を説いて法界体性となしたもう。諸々の顕教の中には四等大をもって非情となす。密教は即ちこれを説いて加来の三摩耶身となす」
いわば空海はデカルトの要素還元論(世界は非生命的な物質の集合体)に対して、無生物にも生命的象徴である「識大」の存在を直感したのである。だから、「心色異なりといえども、その性すなわち同なり。色即ち心、心即ち色。無障無礙なり」と、物と心は一つであることを明確に説き明かしている。物心一如であるなら宇宙でも石でも樹でも水でも交感することは原理的に可能である。まして人間は本来「我れと汝」の同体である。自己と他者の意識は時空を超えて相互に交流しているのである。
―六大法界体性所成の身は、無障無礙にして互相に渉入相応し、常住不変にして同じく実際に住せり。六大無礙にして常に瑜伽なり。無礙とは渉入自在の義なり。常とは不動、不壊等の義なり。瑜伽とは翻じて相応という。相応渉入はすなわちこれ即の義なり―
今日の物理学における物質と意識の問題は、すでにわが国の空海によって説かれていたことである。シャーマン空海の験力は自然現象をも動かしたが(例えば降雨行法)宇宙に意志がなければ天と交感することは不可能であろう。大日如来の意識が万物に遍在すればこそ、宇宙の摂理が万有に働いているのであろう。いわんや人間においておや。これが「即身成仏」の理論の原点(三摩耶身)である。
近代の知識人は外国の知識の吸収に急するあまりに、自国の英知を見失ってきたのではないだろうか。思想界が空海を捨てたことは、日本人が日本人の心を失うに等しい大きな損失であった。考えるまでもなく、もともと日本人は万有に霊性を感じていたのである。岩石樹木すべては神の憑代である。御神体がただの石であったという例はいくらでもある。だから針供養や包丁供養など、鉱物ですら祀るのである。空海はそこに日本人の霊性の高さを見ていた。
近代の合理主義が無知蒙昧な迷信と笑った民俗信仰に、仏教の五大に「識大」を加えて今日の物理学に先行する精緻な理論を打ち立てたのは日本においては空海が最初であり、空海がその創始者である。
これらの具体的な証明は、空海三千伝説のなかでも特に多い「水」を見ればよくわかる。水は常識的には生命も意志ももたないH2Oという化学分子である。空海の理論では「水」にも法身の説法があることになるが、最近私たちは「水のメッセージ」を聞くことができるようになった。
水の氷結写真に成功したIHM総合研究所の江本勝所長の『水からの伝言』によると、水も人の言葉や音楽に感応したそうである。良い言葉、悪い言葉、良い音楽、悪い音楽によって結晶の形はものの見事に変わる。そして驚くべきことに文字にすら感応した。例えば水の入った試験管に天照大神という言葉を紙に書いて貼り付けたのち氷結結晶にして見れば、六角形の枝の先は神事に使う御幣のような形になり、中央は光輝く日輪にも鏡のようにも見える見事な形を作るのである。
身体の70パ-セントが水で構成されている私たちは、もしかすると「水」こそ神としなければならないのかもしれない。空海は水に霊性があることを知悉していた。というよりも日本人の深層意識が知っていたのだ。古代日本人はひたすら「水」を拝んでいたのである。
私は長年塾で子どもと接しながら、子どもたちの身心に奇妙な変化が起きていることに十数年前から感づいていた。果たして今日信じられないような、青少年の凶悪犯罪が頻発するようになった。原因は複合的だと思うが、一つ象徴的な事象がある。「羊水の汚れがひどい」そうである。生命の水研究所所長の松下和弘博士のキレる子どもと水との研究で明らかにされたことも、やはり水分と神経組織の関連であった。
以上、空海密教と理論物理学の関連をざっと述べたが、空海を評価する日本人もいた。例えば湯川秀樹博士の次のような言葉がある。
「長い日本の歴史の中で、空海は最も万能な天才であった。世界的スケールで見ても、アリストテレスとかレオナルド・ダビンチとかいう人よりも、むしろ幅が広い。宗教、文芸、美術、学問、社会事業の各方面にわたる活動を通観すると、超人的というほかはない。もう一つ特筆すべきは、おそらく空海は思想体系を構築した最初の日本人だったろうことである。当時の日本と中国の思想・文化の落差が大きかったことを考え合わせると、これまた奇跡的である。」(和歌森太郎著『弘法大師空海-密教と日本人』)
「詩の心と科学する精神は同じものである」と言った湯川博士には、きっと詩人空海の心がわかっていたのであろう。湯川博士は、晩年核廃絶を訴え、人類の平和の実現に命を燃やした日本人であった。
ようやく奥の院の御廟の橋まで来た。
橋の向こうに千年杉に囲まれた燈籠堂が少し見える。これから先はカメラ撮影も禁じられている霊域である。私たちは襟を正す思いで、やや緊張ぎみに歩を進めて行った。
★奥の院・弘法大師御廟の前で
燈籠堂の中は1000年近く燃え続けている「消えずの火」を中心に、堂内いっぱいに灯籠が吊るされている。「消えずの火」は、ご入定された弘法大師の、いまだ消えぬ命の灯だといわれている。ここは日本最大の灯明信仰の霊場でもある。
空海は死期の近きを覚ったのか、天長9年(832)この奥の院において万灯会を盛大に営んだ。万余の灯籠にいっせいに灯火がともされると、闇夜に輝くめくるめくような光の中で、空海は誓願を立てた。そのときの願文に空海の悲願が伝わる。
「虚空に尽き、衆生に尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」
この大空があるかぎり、生きとし生けるものが存在するかぎり、最後の一人が涅槃に至るまで、私の悲願は達成されない、と言う意味であろう。まさに桁はずれの破天荒な誓願である。この永遠なる衆生救済の悲願が、永い歴史を通して弘法大師信仰を呼びおこしてきたと言われている。多くの祖師の中で弘法大師だけが今なおその肉身を留めて神仏と化し、御廟の奥から人々を救い続けているという留身入定信仰はこうして興った。
62歳。承和2年(385)3月。いよいよ空海自身が予告した死期が6日後に迫った日、空海は高弟を集めて最後の遺言をしたと伝えられている。それは「我が死後は兜率天に往生して、弥勒慈尊の御前に侍るべし」という言葉であった。遠い昔、若き空海が乞食姿で「これは兜率天へまいる旅姿だ」と勇躍して仏道に飛び込んだとき、彼が最初に求めた仏のことである。それはきっと母の面影とも重なる慈愛の菩薩ではなかっただろうか。
空海は逝った。
弘法大師御廟は燈籠堂が守るように背にした裏山にある。
線香の煙る御廟の御前には、多くの参詣者が敬虔な祈りを捧げている。読経は漂い昇る紫煙とともに絶えることなく響き流れている。千年杉に囲まれた檜皮葺の御廟の門は柵で遮られ、その向こうに堅く閉ざされた石室の入り口らしき御廟が見える。
あの奥に、大日如来の印を結んで結跏趺座(けっかふざ)した空海がいるのだ。妻と二人でようやく空海に逢いにきたのである。4年間、空海を追い求めて、とうとうその膝元にたどり着いたのだ。
私は御廟の正面に立った。千羽の折鶴を勾欄に奉納した妻が寄り添う。私たちは経を唱和して深い祈りの中に入っていった。空海に逢うことが日本の再生だと信じてきた私は、思いの丈を訴えた。妻も永い祈りを捧げていた。
空海との対面は終了した。
御朱印集軸の中央に残っていた朱印を頂き、最後の納経を終えると、奥の院の参道を中の橋駐車場方面に向かう。陽は強く照りつけ汗がにじんできた。見上げると、空は高野の山に葬られた何十万の魂を吸収したかように青く澄みわたっている。(父母の魂もあの空に融け込んでいるのだろうか)
私は放心したようにそんなことを考えた。妻も言葉少なくなっていた。
私たちはそのあと苅萱堂や金剛峯寺や宝霊館や女人堂など一通り見て回ると、その日の泊りである花山温泉へ向けて高野山をあとにした。高野聖たちが隆盛ならしめた「空海の山」は圧巻だった。奥の院の空海はまるで王者のようであった。
★空海不在-信仰の真実-
山を下りながら、車の中で妻がようやく高野山の感想を口にした。
「ねえ。奥の院に感動した?」
私は返事をするのにはばかられて黙っていた。
しばらくしてまた同じことを尋ねる。
「高野山は空海の思いが一番こもっている所じゃないか。今日は人出が多かったから、そんなふうに感じるんだよ。きっと静かな日にでも行けば、違った印象を受けたと思うよ」
「うん。そうね...」
妻は浮かぬ口調でそう言ったきり黙りこくってしまった。私は妻の不信心を諌めたい気がした。いや、それは自分自身の気持ちだったのかもしれない。私はそんな自分の心が疎ましく、あえて心の内をのぞこうとはしなかった。そうすればするほど、一方では御廟の前で熱心に祈る人々が羨ましくもなってくる。妻と同じように心の底にわだかまる疑念が、ややもすると頭を持ち上げるのを振り払った。
「でも高野山もよかったよ。潅頂も受けられたんだし...」
「ええ。あれはよかったわね。今日はあなたの誕生日だし・・きっと、お大師さんのお導きかもね」
私の心を察したのか妻がそんな慰めを言う。
空海に逢った、そう確信したい。しかし、御廟の前に立ったときから何か実感が湧かなかった。返ってくるものが感じられなかったのである。この空しさはどうしたことだろう。きっと空海に逢える。何かが起こる。どこかでそう期待して高野山まで来てみたが、私の心に喜びは湧いてこなかった...。
私たちは本当は信仰に縁のない人間なのかもしれない。かつて一番札所の大師堂の前に立ったときから、やはり、私は一歩も空海に近づいてはいなかったのかもしれぬ。4年の歳月をかけた四国遍路の仕上げに、高野山はそんな自分の正体を見せつけたようである。
何かが音をたてて崩折れていった。
私は仏母院の空海の声を思い出そうとしたが、何故かそれも、もう聞こえてこなかった。
〈幻聴だ。幻聴だ...〉
どこかで誰かが囁く声がする。
それは、理想や、真心や、情熱や、ひたむきなものを、いつもシニカルに嗤(わら)い茶化すあの声だ。人生を斜に構えた連中の、それは私が戦おうとしてきた、あの白蟻どもの嘲(あざ)笑いである。
敗北...頭の中が真っ白になっていく。悔しさに唇を噛んだとき、
「四国が懐かしい・・」
妻の口からふとそんな言葉がもれた。
花山温泉に着いたときは日もすっかり暮れ落ち、辺りはまっ暗になっていた。先に風呂から上がって部屋に戻った私は、大きな徒労を感じながら奥の広縁の椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと暗い窓の外を眺めていた。なすすべもなく、テーブルにあった宿泊客の落書き帳を読んでみた。いろいろな客のさまざまな思いが書き込まれている。その中に六十代の一人の女性の書き残したものが目に止まった。夫婦で宿泊したようである。
―お父さんと結婚以来初めて温泉旅行をしました。花山の温泉はとっても気持ちがよかったです。お父さん、ありがとう。こんなステキなところに連れてきてくれて本当にありがとう。私の腰痛もきっと治ります。お父さんの持病もきっとよくなると思います。お父さん、体を大事にして、どうか長生きしてくださいね―
私は質素な六畳の一室を見回しながら、仲の良さそうな老夫婦の姿を思い浮かべた。きっとこれまで一度も夫婦で旅行することもなく、ひたすら働きづめに生きてきたのだろう。なのにこんなつつましい旅館の一泊旅行で、こんなにも喜んでいる人がいる。幸福とは何だろう...。
そんなことを考えながら、私は妻と回った四国を思い出していた。土佐の御蔵洞、石鎚山、星ヶ森、岩屋寺、捨身ヶ嶽、屏風ヶ浦、剣山、仏母院...四国の山河が走馬灯のように目裏を駈けめぐる。
妻が浴衣の襟を合わせながら、気落ちしたような表情で部屋に入ってきた。
そのときである。私の背筋を衝撃が走った。
(空海は不在だった!)
私は妻に一気に語りはじめた。
「聞いてくれ。僕も正直に言う。僕たちはやはり空海に逢えなかったんだ」
「やっばり憲吾さんもそう感じたの。そうなのよ。だって私、淋しかったもの」
「君の正直さが気づかせてくれたんだ。四国が懐かしい。それだ。空海は四国にいるんだよ」
「あっ、そうか!」
妻の顔がみるみる輝いた。
「そうか。そうだったのね。じゃあ、高野山はも抜けのカラなの?」
「いいや。空海はときどき帰るんだ。空海ならきっとこう言う。全国から多くの参詣者も来る。天皇さんもお参りになる。だからときどき高野にも帰る、とね。信者のためには立派な寺院も造営してハッキリ目に見えるようにしなければならん。しかし、あれは象徴である。だが現実の象徴は理想と同じくらい大切である。私が東寺を教王護国寺としたのも同じことだとね。空海は理想を形にしなければ、国も文化も築かれないことを知っていたんだよ。だから真言密教の聖地を高野山に築いたんだ。国土を守ろうともした。でも空海は国家や教団は現世の仕組みにすぎないこともわかってたんだ。だが、仕組みを形成できぬ民族に社会は作れない。社会は秩序であり信頼である。自国の信頼を築けない民族に世界の平和を築けるはずがない。文化とは精神の秩序である。空海は留守中その仕事を阿闍梨たちに任せて、自分自身は日本中を歩き回っているん
だよ」
「そうか。だから四国が恋しいのね」
「そうさ。空海はこのことを僕たちに教えるために高野山に呼んだんだ」
「大日如来との結縁も、そのためだったのね」
「そうさ!」
そう言ったとき、私たちは思わず同じ言葉を口走った。
「吾に会いたくば四国にくるがよい!」
妻と私は愕然(がくぜん)とした。空海が私たちを高野山に呼びよせた理由が、今豁然(かつぜん)と開けたのだ。信仰の真実が奈辺にあるのか、その秘密の扉を、このどんでん返しで開いて見せたのである。
空海の凄さが電撃のように走る。
沙門空海は衆生と共に在り...
空海の風は四国から吹き上げる実存の風なり。
涅槃に解放する日本のつむじ風なり。
そは国家や権威が煽るものにあらず、
汝らひとり一人の、その仏性が巻き興す即身成仏の風なり。
汝らの無言の仏性が結集し、その一億三千万の風が、
慈悲と連帯の世を拓く世界の旋風となるべし!
一瞬、私の身体の中を風のようなものが駈け抜けていった。
(またきっと一番札所から回りましょう。四国で待っていてくれるお大師さんに会いに)
喜びに潤んだ妻の瞳が、そう私に語りかけている。
虚空に尽き、衆生に尽き、涅槃尽きなば、我が願いもまた、尽きなん。 (空海)