最近しきりに「母なる空海」という言葉が浮かぶ。父ではなく、母である。なぜ母なのか。
「母なる大地」「母なる国」という。折口信夫は古代日本を「妣なる国」とよんだ。英語ではマザーランドとかマザーカントリーという。日本語では「母国」である。そういう「母なる空海」なのだ。
空海が各地に潅漑工事を敢行したことはよく知られている。また丹生明神との出会いを契機に、水銀鉱脈を始めとする鉱山開発にもとりくんだ。なぜ、こんな困難なことに立ち向かったのか。まさに「母なる大地」や「母国」を潤いのあるものにしたいと決断したからだろう。
加えて空海は「母国語」にとりくんだ。母国語とはむろん日本語であるが、空海が生きた時代はまだ日本語システムが確立していない時代だった。万葉仮名は 使われてはいたものの、まだ仮名はなく、仏教史にとって有名なことだが、読経時のボーカリゼーションを漢音にするか呉音にするかも、まだ定着していなかっ た。ようするに日本語は揺動きわまりない状態にあった。
このとき、唐語を完璧に習得し梵字や梵語さえマスターしようとしていた空海は、未成熟な母国語にかぎりない愛着をおぼえ、その確立を 志した。学校もつくり、辞書もつくった。あまつさえ書道も確立してみせた。そのような母国語に対するマザープランは、のちに「いろは歌」が空海によってつ くられたのだという伝説になった。実際には「いろは歌」はもう少しのちに作成されたのではあるが、それも実は空海亡きあとの真言僧たちの研究によって作成 されたと考えられる。さらに、あまり知られていないようだが、「五十音図」さえ実のところは真言僧の"発明"だった。ようするに空海は母国語の完成を後世 に託して入定したのであった。
このような空海を「母なる空海」とよびたいのである。母というものは万物を生み出す母体であり、万事を願って安寧を祈る姿を持ってい る。そこには男性や女性を越えた広大な願いがこめられている。ならしばらくは、空海の願いを「母なる空海」の声として耳を澄ます季節があってもいいのでは ないだろうか。