宗祖大師は、若き日すなわち、奈良の大学寮をめざして叔父の阿刀大足について学んだ15才から18才にかけて、さらに大学寮在学中の約2年、中国の古典・詩文を徹底的に学び暗記し、中国人以上に中国の故事に詳しかった。
そのことは、大師入唐上陸の際の「福州の観察使に与ふる為の書」に象徴的で、大師がしたためた書文(に示された中国故事の博識ぶり)を見て、福州の刺史兼観察使(巡察使)閻済美は驚愕し、態度を一変させたことはつとに有名な話である。
また、24才の時に著わした『三教指帰』には、中国古典・故事の博識が存分に表れていて、亀毛先生の篇で儒家の思想(『論語』『孟子』など孔子・孟子の思想)を批判し、虚亡隠士の篇では中国の伝統宗教である道教を批判するのだが、その一文一句に、終始、中国古典・故事を典拠とする語句が連ねられ、しかも大師オリジナルの造語が目を引く。渡辺照宏・宮坂宥勝両先生のご労作(日本古典文学大系、岩波書店)も、福永光司先生の苦心作(中公クラシックス)も、大師が依用・引用もしくは隠喩した典拠の注釈でおおわらわである。
大師は、大学寮の明経科で学ぶはずの『周易』『尚書』『孝経』『周礼』『儀礼』『礼記』『毛詩』『春秋左氏伝』『論語』のほか、中国古典の代表である『荀子』、『韓非子』、『老子』『荘子』、『神仙伝』『包朴子』をはじめ、詩文・書など多種多様の漢籍に目を運んでいたことがわかる。
大師の時代も含め、古代から幕末までこの日本では学問といえば中国の古典(とくに儒家の思想(一般にいう儒教))・故事を学ぶことであり、その「経世済民」の学が立身出世のもといにもなった。江戸時代には、朱子学や陽明学が幕府や各藩で盛んに講じられ、武家の子弟は皆武道とともにこれを学び、倫理規範に厚い子供に育てられた。
そうしたことも含め、中国・日本・朝鮮半島つまり東アジアは儒教文化圏ともいわれた。中国の皇帝は仁・義・礼・智・信(五常)に富む君主たらんとしたし、朝鮮の王も日本の天皇も、同様だった。どの国の民も、皇帝や王や天皇を人倫規範の具現者として敬い、社会生活の営みのなかに仁・義・礼・智・信をとりいれ、それを人の「道」とした。
「仁」は、他者へのおもいやり、私心を捨て万人を慈しむこと。「義」は、利欲にとらわれず為すべきことを為すこと(正義)。「礼」は、礼儀・礼節をわきまえ、人間社会の秩序を守ること。「智」は、よく学問に励み知識を豊かにすること。「信」は、友情に厚く、言ったことを守ること、他者に誠実であること、である。
ひるがえって、仁・義・礼・智・信の総本家である中国の昨今の在りようはどうだろうか。上から下までおよそそれにほど遠く、朝鮮半島もまたも然りで、友好どころか「傍若無人」「傲岸不遜」「厚顔無恥」といった四文字熟語が頭をよぎる。
おそらく、今の日本が、高校の古文でわずかばかり漢文を習うのと同様、どの国も中国の古典をまともに民に学ばせてはいまい。平気で史実を自分の都合のいいようにねじまげ「歴史問題」にすり替える「曲学阿世」の指導者らに導かれた大衆が、反日教育に染められて無節操・無礼節の暴挙・暴虐を行う様は、儒教道徳とは無縁の低俗の極みに堕ちた国の象徴である。
ときに、「傍若無人」「曲学阿世」は司馬遷の『史記』に見える。『史記』は、中国の史書のなかで最も有名で、大師の著作にもしばしば見えるのだが、この『史記』のなかには今私たちが日常語のようにして使っている名言名句がいくつもある。それらをざっと拾ってみても、「良薬口に苦し」「鶏口となるも、牛後となるなかれ」「臥薪嘗胆」「鴻門の会」「国士無双」「鹿を馬とす(馬鹿)」「四面楚歌」「酒池肉林」「背水の陣」「刎頸の交わり(友)」「右に出る者なし」「流言蜚語」「怨み骨髄に入る」「曲学阿世」「雌雄を決す」「傍若無人」「満を持す」「立錐の余地なし」「一敗地に塗る」「百発百中」「鳴かず飛ばず」等々。
このうち、
「良薬口に苦し」は、「忠言耳に逆らい良薬口に苦し」の語句で、もともと中国春秋戦国時代の法家・韓非の書『韓非子』の一文。『孔子家語』にも見える。他の人の忠告や助言を聞かない、自己中心で、傲慢自尊の人を戒める言葉。今の中国や北朝鮮にもあてはまる。
「臥薪嘗胆」は、紀元前6~5世紀の呉と越の争いに由来する故事。薪の上で横になることで痛さを思い出し、苦い胆(きも)を嘗めることで苦さを思い出し、苦痛に耐えて成功をものにする喩である。中国・韓国・北朝鮮そしてロシア、弱った獲物をしとめようと集まるサバンナのハイエナや禿鷹のように、手足に食らいつき、横から後ろから遠慮なくかぶりついてくる国にかこまれ、じっと耐えるしかない日本の姿でもある。その意味で、今の日本は「四面楚歌」であり、デフレ克服、経済再生、東北復興の意味では「背水の陣」である。
中国人はもともと拝金主義・金満主義で、「酒池肉林」(物欲の満足)の輩である。世界中に根を張る華僑の金稼ぎぶりを見れば一目瞭然で、金品の充足こそが人生の目的である。道教はこの世での不死不老・長寿延命まで金丹で得ようとした。かつての宮廷の奢侈は、今の一党独裁の汚職体質につながっている。
田中角栄首相と周恩来総理が日中友好条約に調印した時、日本と中国は日中戦争の過去は措いて「刎頸の交わり(友)」(お互いに首を斬られても後悔しない仲)になるはずだった。それが、あれから40年、今では東シナ海で一触即発の敵対国となりはてた。中国が、党独裁の都合にいいように史実をねじまげて改ざんし、反日教育で巧みに大衆をマインドコントロールし、都合の悪い情報や事実は「でっちあげ」で通す「曲学阿世」「傍若無人」の国に変貌したからである。反日扇動の裏には日中戦争の「怨み骨髄に入る」思いが見え隠れしている。田中角栄はその後、ロッキード事件で失脚の憂き目に遭い、「刎頸の友」だった政商小佐野賢治も失意の日を送った。
いつの日か、東アジアの覇権をめぐって日中が「雌雄を決する」日がくるかもしれないが、軍事衝突ではなく日中戦争の正しい歴史認識でやってもらいたい。日本(の日中近代史研究者・日中戦争研究者・外交官・中国研究者)はその日まで「満を持して」準備すべきである。
日本の主張が、「立錐の余地なく」集まった世界中の歴史家の前で認められれば、中国は「百発百中」だとうそぶいていたミサイルも使うことなく、戦わずして「一敗地に塗れ」、世界中の笑いものになるだろう。そうすれば、しばらく「鳴かず飛ばず」だったこの国も、ようやく活気を取りもどし、アジアのなかで再びリーダーとなれるのではないだろうか。
いささかパロディーじみたが、ひるがえって現在の日本を見れば、儒教道徳の衰退という意味において、東シナ海の向うの国々と大差ない。お恥ずかしい限りである。
「仁」においては、自分さえよければいい、自分の利益だけを求める、自分勝手・個人主義・利己主義の横行。共同体意識のなくなった地域社会。「無縁社会」。親子の愛情も通わない「幼児虐待」「わが子殺し」。
「義」においては、義理も人情もない薄い人間関係。社会秩序を守ろうとしない不道徳。「誰でもよかった」仁義なき殺人。老いた親と次世代別暮らしの恩義なき核家族。利欲にとらわれ一家団欒のないバラバラ家族。
「礼」においては、老いも若きも万引きで捕まっても言い訳・開き直り。神前仏前で帽子をとらない中高年。何でも安きにつく消費者感覚。生活全般、礼儀作法・品位品格の欠如。
「智」においては、本を読まず学問も積まず、ネット情報・マスコミ情報に左右される、知識の蓄積のないB級文化の横行。学問知・経験知の乏しい人間の増加。
「信」においては、世の中はすべて金次第。お金がなくなると人をだまし、人を裏切り、平気でウソを言い、人のお金に手を出す。オレオレ詐欺の横行。
このように、東アジアの儒教文化圏は今、「儒教はどこへ行った」の状態である。
周知のように、大師の「十住心」は人間の道徳意識の芽生えを第二住心(「愚童持斎心」)に置いているが、ということは、大師の目線では、いまの日本の現状は「愚童持斎心」のレベルすら危ういということでもある。これでは、東シナ海の向うの野蛮国に対し立派なことは言えない。
安倍内閣が教育再生会議を立ち上げ、いじめや体罰の問題に向き合う姿勢を示したことはけっこうなことだが、同時にやるべきことは、戦後のアメリカンデモクラシーをはきちがえ、仁・義・礼・智・信を「前近代」として遠ざけてきた今の<壊れた中高年><尻切れトンボの中高年>の再教育ではないか。
つまり、国際社会から「尊敬される日本人」の再生。
武力で国家間の紛争を解決する国でない日本は、畢竟国際社会から一目置かれる国であるほか、他国からの挑発や攻撃に抗する方法はない。それには儒教道徳の仁・義・礼・智・信を国民レベルの最低線として学び、生活や仕事の場で実践する一人一人がいなければならない。大河ドラマ「八重の桜」の会津藩士は、今の私たちにそれを言おうとしている。