人は生きることに疲れると旅に出ます。
知らない町を歩いてみたいどこか遠くへ行きたい知らない海を眺めていたいどこか遠くへ行きたい遠い町遠い海夢はるかひとり旅・・・・
とは、永六輔の詩だったでしょうか。
「自分を見つける」「自分を見つめなおす」、旅は昔から「私さがし」の方法でした。
人間は弱いもの。仕事に疲れ、人間関係に疲れ、お金に疲れ、子育てに疲れ、だんだん「生きる力」が欠乏していきます。
また反面人間は勝手なもの。物のない時代は物の豊かさを求めてがむしゃらに働き、物があふれるとこんどは心を病んで精神不安に陥ります。
そのはざまで心のバランスを保つため人は時々「日常」から離れ、旅に出ては束の間の癒しを試み、また「生きる力」を呼び戻そうとします。
一九六〇年代、「魂の自由」を求めてアメリカの若者が「魂の旅」に出ました。
ヒッピーといわれる人たちです。
自ら社会からドロップアウトし野宿生活をしフリーセックスやLSD・マリファナを楽しみました。
社会秩序の中にいる自分はほんとうの自分ではなく、ほんとうの私は「自由」や「ドラッグ」の中にいると考えました。
彼らの中から東洋のスピリチュアルなものに関心をもった人たちが現れ、インドの「ヨーガ」や日本の「禅」の修行に盛んに参加していました。アメリカにおける仏教への関心はこの「禅」への関心から高まりました。鈴木大拙老師の影響は多大なものがありました。
東洋のスピリチュアルなものへの関心はそれ以後も高まり、アメリカンブッディズムが盛んです。
「自我」の主張に明け暮れとうとう神を遠ざけてしまった「近代主義(モダニズム)」の「人間中心主義」がもたらした「魂の枯渇」。
人間を解放するはずだった科学や技術の進歩が逆に人間を「魂の抜け殻」に追いやってしまった二十世紀末、ポストモダンといいサブカルといいニューアカといい、まだまだ「魂の旅」は続きスピリテュアルレボリューションが起きています。
一九八〇年代、「ニューエイジ」(日本では「精神世界」)ムーブメントがアメリカで起りました。
何百万もの人たちが前世療法・チャネリング・ヒーリング・ミュージック・クリスタルに夢中になり、とくにアルコール依存症の人たちの立ち直りに大きな役割をはたしました。雑誌『ニューエイジ・ジャーナル』はインテリ層に多くの読者を獲得したものです。
一九九〇年代には「魂ブーム」が起りました。
人間の「明」の部分にピントを当ててきたこれまでのスピリチュアルムーブメントに対し、人間の「闇」の部分を取り上げました。
しかしさかんに使われる「魂(ソウル)」という言葉も含め、この方はかならずしも本来の意味と方向で流行しているとは限りません。
こうした「魂の旅」の文脈の中で日本ではオウムの挫折が起きました。
あの事件は世間が騒ぐレベルのものも非常に重要ですが、オウムの挫折はとりもなおさず麻原自身の挫折であり、それは一言で言えば麻原の精神性のレベルが「魂の旅」の主人公としてあまりに低俗に過ぎたのです。
しかし幹部も含めたあの自信に満ちたツッパリぶりには、仮にも「魂の旅」の歴史でも背負っているかのような自負があったのでしょう。テレビ番組で「幸福の科学」と論争していた時の麻原は、「幸福の科学」などまるでガキ扱いみたいなものでしたから。
アメリカのスピリチュアルムーブメントではチベット密教に関心をもつ人たちが多くい ます。
なぜか。それはいまでも「瞑想法」「観想法」が実際に行われていて指導者(グル)に従い、「神秘体験」「覚醒体験」「宇宙意識体験」が人為的にシステマ ティックにできるからです。日本ではオウムがこれを最終的には悪用しました。
オウムの騒ぎにかき消されたようでしたが、日本では「ホリスティック医学」や「トラ ンスパーソナル心理学」などといった新しい非宗教の「個(我)を越えたつながり」志向の理論学習やセミナー・ワークショップに関心が集まり、新しい「私さがし」=「魂の旅」が試みられています。僧侶をはじめ仏教関係者との交流も盛んです。
私たちは「私さがし」は究極、「癒し」でもなく「覚醒体験」でもなく「個を越えたつながり」でもなく、それらをさらに突き抜け人間の「闇」の部分をも引き受けた「魂の救済」にならなければゴールにはならないと確信しています。
仏教の全思想史はまさに「魂の救済」のトレースでした。
密教はその最後に開いた仏教思想史の精華であります。
その最後の伝承者である空海に託された密教思想にこそ「魂の旅」の「方法」があり、それは今「母なる空海」として甦ろうとしています。