『空海の夢』は、明恵上人が空海の夢を見る『夢の記』の一節ではじまる。そこに松岡さんが実際に見た空海の夢の話が続く。松岡さんは、明恵の夢を「私にとってもあまりに象徴的」だと言う。その意味をこれからこの本であれこれ書くのだと宣言して、いよいよ本論に入る。
空海には、久米寺の東塔の下に『大日経』を発見する夢告の伝説がある。宗教の開祖には夢告による啓示や霊験の例も多い。
フロイトは夢を心理分析の対象にした。夢が人間の心の奥にひそむ深層心理にリンクしているという。唯識の学匠も深層心理学に入って意識下に潜在意識「阿羅耶識」を想定した。『空海の夢』を執筆中に松岡さんも空海の夢を何度も見たそうだ。
●2--東洋は動いている
空海を現在化して語ろうというこの『空海の夢』が、「東洋」の気候風土からはじまっているところに、松岡さんの視野の広さと考えの深さとリアルさがあらわれている。松岡さんの文化人類学がそうさせたのだろうが、そこには高橋秀元さんや藤原新也さんや杉浦康平さんとキャスターの紫煙をもてあそびながら夜遅くまで議論を続ける松岡さんが透けて見える。
空海の思想の背景にいわば「東洋の砂と森と海」ともいうべき自然軸と、その軸の変遷の影響下にある精神軸とを想定しておかなければならない。
乾期には歩き、湿期には坐るという瞑想哲人の姿がこうして形成された。そこには「砂漠的唯一神性」と「森林的判断中止性」がよく中和する姿が認められる。
巨大なスケールによる「砂」と「森」の交代が文明の発生や交代のみならず、思想文化の主役にさえなっていることがみえてくる。
しかし、
気候風土のファクターをすべて点検してもなお、一個の思想の背景を語りつくすには足りないとも言うべきである。
樹林の中ではじっくり方向を考えないと道に迷う。迷えば死ぬこともある。思索も時には必要だ。
松岡さんは、空海の思想の背景について「東洋」とくにインドの気候風土から解き明かした。それを次の名文でむすんでいる。
空海には、生命の普遍性や言語の普遍性に対する信じられないほど今日的な考察がある。それは東洋の風土とともに空海がみつめつづけた世界の光景だった。
●3--生命の海
どこかの本にあったこの「生命の海」という標題を松岡さんはすこぶる気に入っているらしい。その「生命の海」に、松岡さんが「数年思索し続けてきた空海像や空海の背後に流れる思潮の全体像」も集約されてしまうというのだ。
ただ、「生命の海」は、「生の哲学の謳歌」のみによって語られるのではなく、「死の哲学」をも含む「生物全体の生命の海」でもなければならなかった。
続いて松岡さんは生物学の話に入り、生命の進化と変異、退化と絶滅の繰り返しを「生命の無常」と言い、ギリシャ・インド・中国の哲人が気がついた「生命相違の問題」に話が及び、そして生命科学と宗教の対話に進む。
生命が意識を獲得したということは生命の歴史の中でも最大に特筆すべきである。
生命が意識をもつことによって生じたもうひとつの異例は、神や超越者を想定したことであった。
空海の全体を「生命の海」ととらえるには、私はその水面下に生物学的な生命のひしめきを包含しておかなければならないとおもっている。即身成仏の「即身」の解明はまさにその点にかかっている。
空海の生命像は今日の最新のライフ・サイエンスによる生命像の本質にさえ迫っている。
DNAの二重螺旋構造の提唱として知られるフランシス・クリュックが『生命の起源と自然』を発表し、生命が宇宙からやってきた可能性を承認、「生命の海」の宇宙的ひろがりについての信用すべき保証書を交付した。
ここで重視しておきたいことは、生命にとって意識とは何なのか、何であろうとしているのか、ということである。
仏教とはせんじつめればいかに意識をコントロールできるかという点にかかっている。生命は進化して意識をもった。
ヒンドゥイズムの「梵我一如」。
生命の一部として突出してきた意識が、虫や鳥にはありえなかった「自己の未来」を発見し、それが端的には死の輪廻にほかならないことをも知って、哲人たちは死の到来の前に意識の内実をふたたび生命のよってきたる母体、すなわち大自然、大宇宙と合一してしまうことを構想したのであった。
仏教。
その「我」が問題だと考えた。
仏教者たちはなぜ「我」というものが意識の中にこびりついてしまったのか、まずその原因の除去からとりかかることにした。
出家。
しかし、社会にいて「我」をとりのぞくのはなかなか困難なことだった。社会生活の只中でいっさいの「我」の原因にあたる言動を廃止するのが困難ならば、そこから脱出するしかないだろう。
釈迦(釈尊)の仏教、つまり仏教のはじまりでは、この世で生きていくことを「苦」とみなした。
「苦」とは「四苦八苦」。「四苦」とは「生・老・病・死」すなわち「生れて老いて病んで死ぬ」私たちの「生きること」そのもの。「八苦」はその四苦に「愛別離苦(愛着あるものから離別する苦)」「怨憎会苦(怨みや憎しみと出会う苦)」「求不得苦(求めても手に入らない苦)」「五陰盛苦(肉欲が過ぎて陥る苦)」を加えた「生きていくことで味わう苦しみ」。
この「苦」を克服して解脱(サトリ)に到ることこそ釈迦仏教の命題だった。釈迦はヒンドゥーの哲人たちが考えたと同じように「苦」の原因を「我(自我意識)」と考えた。その「我(自我意識)」をどう超克するか、それが釈迦の瞑想のテーマだった。瞑想による直感連鎖で「我(自我意識)」を超克するビジョンをイメージ編集するのが当時のインドの森林修行者の「方法」だった。
釈迦は結果の出ない苦行(タパス)をいったん中止し、ブッダガヤの尼連禅河のほとりで村娘・スジャータの施食(蘇乳、ヨーグルト)を受けて体力をつけ(苦楽中道)、ふたたび菩提樹の大樹のもとで瞑想に入り解脱(サトリ)に到った(成道)。
釈迦が会得したビジョンは「十二因縁(無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死)」。「我(自我意識)」の根本を「無明」とみなした。
「無明」とはサンスクリット語で「アヴィドゥヤー」、単語の和訳としては「知(のはたらき)のないこと」。この「無明」こそ仏教思想のキーワードの一つなのだが、この言葉にひそむインド哲学上の深い意味を教えてくれる仏教書はない。この「無明」を「無知」という日本語とか「智慧のないこと」とか「根本煩悩」と解説するのは誤解のもとで、生半可な仏教解釈学の悪しき事例だ。
私は、「生命が意識をもつ以前の原初的な生物学的活動」、「一個の生命に宇宙の全生命史の流れが留まることなく流れている状態」、「消すことのできない生命の業火」、と考えている。インドの哲人たちはそれほどに瞑想と哲学を進化させていた。そうでなければ後年『阿毘達磨倶舎論』や『唯識三十論』などは出てこない。
この「無明」にはじまる十二の執着を次々と克服していく直感ビジョンを「サトリ」といい、その「サトリ」の心理に従っている状態を「解脱」といった。
松岡さんは、紀元前五〜六世紀頃釈迦やヒンドゥーの哲人たちが問題としたインド(哲学)独特の「(自)我(アートマン)」からの解脱の問題を、意識をもってしまった生命の問題としてとらえた。それはまさに「無明」をこそ正視していたのではないか。そのことを言い換えて「生命の海」と言ったのだと思う。この生命科学の視点こそ、「我」の問題を思想してこなかったインド学・仏教学の手狭さを痛烈に射抜いている。松岡さんのすごさがこれでまずわかる。
この辺まで読んできて、私が学んで身につけてきた(仏教)文献考証学を中心とした「近代仏教学」という研究方法が、逆に私の仏教理解をいかに狭いものにしてきたか、痛恨の思いで思い知った。文は読めても内容がわからないはずだった。