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「即身成仏」-「成仏」と「万人の救済」の両立

歴史的経過 

 西暦紀元前5世紀頃、仏教の開祖・釈尊はさとりを開いて仏陀となった。仏陀とは覚者を意味する普通名詞なので、当時は必ずしも釈尊ひとりをさす語ではなかった。釈尊以前にも多くの仏陀がいたという、いわゆる過去仏信仰があったことは、過去仏を祀るいくつかの塔を修理したと記録するアショーカ王の石柱から知られるし、最古層の仏典では釈尊の弟子たちも仏陀と呼ばれていた。 

 しかし、やがて歴史上に出現した仏陀は釈尊ただひとりであると信じるグループと、仏陀の永遠性を信じるグループとに分かれた。後者は仏陀を極度に理念化し、無数の仏国土を想定した。たとえば阿弥陀仏の西方極楽浄土や薬師仏の東方瑠璃光浄土などである。後者のグループはみずからの仏教を「大乗」と称し、仏陀を釈尊に限定する仏教を「小乗」と呼んだ。西暦紀元前後のことである。大乗仏教は北伝としてシルクロードを経て中国・朝鮮・日本へと伝わり、小乗仏教は南伝としてスリランカ・タイ・ミャンマーなどに伝わった。チベットへは大小乗ともにインド仏教がまるごと伝わっている。 

 仏教の歴史の中で、儀礼の作法や道具、あるいは修行の方法などが、きわめて厳格に定められるようになったのは、だいたい6世紀末以降のことである。一つ一つの要素は古いインドの民間の習俗や信仰に由来するのだが、それらがふんだんに取り入れられて、壮大な体系に整えられた仏教の形態を秘密仏教、略して「密教」と呼んでいる。 

 なぜ仏教を秘密としたかというと、複雑化した儀礼や修行法をむやみに公開すると誤解を招くと考えられたからである。密教の本質はむしろ並みはずれた寛容性と総合性にある。いかなる土着の宗教も、また各地で尊ばれていた神々をも拒むことなく包摂して壮大なパンテオンをつくりあげたのが密教であり、その成果が曼荼羅である。曼荼羅とは、この宇宙のすべてが根源的叡智の多様な具現であるとする密教の立場を絵画的に表現したものである。


救済の主体としての仏陀 

 仏教を民衆レベルで存続させてきた根底のものは、実際のところ、仏陀の慈悲によって救われるという人々の思いと、仏陀に対する祈りであったであろう。なんとなれば、人々が真に宗教を必要とする局面はその宗教の持つ救済機能であるはずだからである。 

 このことは一見自明すぎることであるが、意外と看過されやすい点である。人はどのような問題を抱えているにせよ、適当に努力して何とかなる問題であるならば、宗教に頼ったり宗教を求めたりはしない。理性や財力や物質的な面で解決できることならば、それなりの解決法は世間で見つけることができるだろう。世間の間尺というか人間の分限を越えた事態なり問題に直面したとき、人はその分限を越えた座標軸の存在を信じたくなる。個の救済といい集団の祝祭といい、宗教の必要とされる局面はそういう特殊な救済機能にほかならない。 

 インド仏教の初期、少なくとも釈尊在世中において、釈尊を除く一切衆生が迷える衆生であった。迷える衆生に与えられた一つの処方箋が出家だった。世間苦から逃れ、安らかな境地を得るために人々は出家した。出家者に世の人々の救済の義務はなかった。出家者もまた、仏陀たる釈尊の慈悲にあずかる被救済者だったのである。 

 出家仏教に対して在家仏教という考えが生まれた。仏陀を仰ぎ慕うだけでなく、むしろ俗なる世間を足場として在俗のままで仏陀の説き示す理想を実現する方法はないだろうかという発想である。世間を捨てることは、ある意味でいとも容易いことだし、世間を捨てきって修行に専念できることはむしろ恵まれている。世間苦を厭わずに進んで担うことこそ本当の修行というべきではないか。そのほうが世間を捨てて修行するよりはるかに高い境地に達することができる。『維摩経』はこうした考えの中から生まれた代表的な経典である。この考えをさらに押し進めると、自己犠牲こそが最高の価値ある生き方となる。自己の利益を放棄して徹底して他のために尽くす。それが結果的には他者に対する救済というかたちをとり、同時にそれが自己の救済につながるだろうとする。 

 ただ、この行為の完結までは途方もなく長い時間を必要とする。何度も数限りなく生まれ変わって、救うべき者がいなくなるまで利他行を続けるのだ。その行為が完結したあかつきには仏陀になれる。こうした自覚をもって生きる人々は、みずから菩薩と称した。菩薩とは本来は前世の釈尊の名前である。釈尊は無数の菩薩の生をまっとうした末に仏陀となることができたのだと信じられていた。釈尊の前世の菩薩は数限りない自己犠牲の物語で彩られている。そこで大乗の菩薩たちは釈尊の前世の行為にならい、みずからの生をやがて再び遥か遠い未来に誕生するであろう仏陀の前世を生きる者と規定したのであった。 

 「仏陀」はもともと固有名詞ではなかったと述べたとおり、その意味で、だれもが仏陀になれるという考えは大乗仏教が発案したことではなく、仏教本来の立場であったといえるだろう。だが、いつしか仏陀は釈尊ただ一人に限定されるようになった。救済の精神である慈悲は仏陀たる釈尊のみが発揮しうる崇高な徳と考えられた。この考えを「小乗」とみなし、万人の「成仏の可能性」を強調したのが大乗仏教である。とはいえ、その実現は遠い未来世に措定される。そのために菩薩としてあえて世間苦を甘受し、なおかつ仏陀にならって、みずからも慈悲の精神を「利他行」というかたちで発揮しようとした。すなわち、他者の救済こそが、みずからの成仏への道程だと明確に位置づけたのであった。 

 この考えを徹底したのが密教である。 

 救済という問題をつきつめると、果して人が人を救うことができるだろうかという疑問にぶつかる。人を救うことができるのは、あくまでも仏陀だけなのである。なぜか。 

 たとえば、病気を治すのは、実は医者でも薬でもない。患者自身の自然治癒力である。その力を最大限発揮できるように助けるのが医者の役目である。自然治癒力が尽きたときは、どんな名医でも、どんな薬でも治すことは絶対にできない。同じことで、もし人が救われるとすれば、それはその人の内なる何らかの力が発動したということであり、それを手助けできる力がはたらいたということになろう。その力をかりに仏心と呼ぼう。仏心の発揚なくして、救うということも救われるということもないのである。 

 そうすると、救済機能が果されるためには、すべての人には本来的かつ潜在的に仏心が備わっていなければならないということになるだろう。同時にまた、救う側にも仏陀の心に等しい仏心がなければ、救済は不可能であろう。あくまでも仏陀が人を救うのであって、人が人を救うのではないからである。 

 ということは、どういうことか。仏陀はもはや遠い未来の存在ではない。今に現前する存在でなくてはならない。患者の自然治癒力と同様、すべての人に内在する普遍的な力としなければならない。それに気づくべきだと主張したのが密教であった。


空海の構想 

 唐の三蔵・恵果阿闍梨からインド直伝の密教をあますところなく伝授され、密教相承系譜の第八祖となって帰国した空海は、直ちに朝廷に献上した『請来目録』の中で、密教のすぐれた点を次のように述べている。「瞑想を修行するにも多くの道があり、遅いのも速いのもあります。三界唯一心の理法を観ずるのが顕教であり、金剛不壊の三密の妙行を修するのが密教であります。もし、心を顕教に遊ばせれば、三阿僧祇劫という長い年月の彼方はるかな時を必要とします。身を密教において修行すれば、きわめてすみやかにこの身このまま仏となります。速いうちでもまたとくに速いのがこの密教であります」と。それまでの大乗仏教では「成仏の可能性」を説くとはいえ、その実現は永劫の未来ともいうべき彼方に夢想されるのみであった。だが、密教の方法で修行すれば、すみやかにこの身このままで仏になれるというのである。 

 空海の真言密教の実践体系の真髄は、まぎれもなく即身成仏思想である。この思想を明確にするために空海は後に『即身成仏義』一巻を著したのであった。 
 この書物は、「即身成仏」という言葉と考え方が諸経論に根拠のあるものであることを示す、いわゆる「二経一論八箇の証文」の前半部分と、自作の二頌八句からなる「即身成仏頌」を示した上で、その頌をみずから解説する後半部分とから成り立っている。その頌は次のようなものである。 

 六大無礙にして常に瑜伽なり
 四種曼荼各々離れず
 三密加持すれば速疾に顕る
 重々帝網なるを即身と名づく

 法然に薩般若を具足して
 心数心王刹塵に過ぎたり
 各々五智無際智を具す
 円鏡力の故に実覚智なり

 空海によれば、初めの四句は「即身」の二字を、次の四句は「成仏」の二字を嘆じたものだいう。ただ、奇妙というか、拍子抜けすることに、ここには「どうすれば成仏できるか」ということは何も書かれていない。空海は要するに、この世界(宇宙)はいかに叡智に満ちた仏の世界であるかという、ただそのことだけをこの短い詩頌で述べている。これはどういうことであろうか。 
 たしかに即身成仏という言葉も思想も、空海の発案ではない。だが、この思想を継承した空海は、きわめて独創的な解釈をしてこの思想を再構築したのだ。 

 諸経論に説かれる「三劫成仏」にしても「即身成仏」にしても、それまでの仏教は「いかにして、この私が成仏するか」という問題のたて方をしてきた。あとは方法上の「成仏の遅速と優劣」の問題だった。空海にしても、『請来目録』の中では、諸経論に説かれる即身成仏思想を紹介していただけだった。 
 それに対して、法相宗の碩学、徳一から寄せられた質問状ともいうべき『真言宗未決文』の中の「即身成仏疑」に、空海は考えるところがあったに違いない。徳一は素朴な気持ちで質問したのだ。 

 まず、あなたのいう「即身成仏」の体系には、行がそなわらないという過失があるのではないか。なぜなら、仏を観じるだけですぐに成仏できるということのようだから。次に、慈悲を欠くという過失もあるのではないか。なぜなら、自分だけがたちまちに成仏するというのだから、これは衆生が置き去りにされるということになりはしないか。ざっとこういう内容の二点である。 

 もっともな疑問だと、空海も思ったことだろう。だが、実際において日本仏教の開祖の中で、空海ほど実践の行を積んだ人もいないし、空海ほど対社会的な活動をした人もいない。日本最初の一般庶民のための学校である綜藝種智院の開設や現在なお用いられている四国満濃池の修築をはじめ、これほど庶民のために尽くし、庶民に慕われた開祖は他にいない。空海開創と伝承される寺の数は、日本仏教開祖の中でダントツである。全国各地に残るおびただしい「空海伝説」はすべて庶民の産物である。 

 空海は、徳一の問いに直接は答えず、みずからの行動で答えていたわけであるが、あらためて衆生のための「即身成仏」思想の構築を思案したことであろう。そして、空海が構築した理論こそが、その後の日本仏教の基調となる考えとなった。 

 仏教史上における空海の思想の独創性は、「成仏」という基本的には純粋に自利志向のテーマに「衆生」という視点を導入したことである。これは画期的なことだった。仏教史上、空前絶後の思想だったといっても過言ではない。「成仏」と「救済」を関連づけた仏教思想家は、それまでもその後もなかったのである。たとえば鎌倉仏教の親鸞は、「成仏」をあきらめて阿弥陀仏による「救済」の論理だけを追求した。また逆に、道元は「救済」には見向きもせず、禅による「成仏」だけを追求した。いずれも、もっともな追求の仕方だった。ただ、それに数百年も前の空海の発想が誰にも追随できないほど、あまりにも卓絶していたということである。 

 『即身成仏義』の中で空海はいう。「いわく身とは我身・仏身・衆生身、これを身と名づく。」そして、三者は「不同にして同なり、不異にして異なり」と。 

 空海は「成仏」という言葉を、「仏に成る」という意味で考えていない。なぜか。「即身成仏」の「成仏」のサンスクリット語が何であったかは実は明確ではないのだが、『大日経』(正式題名『大毘盧遮那成仏神変加持経』、このサンスクリット原典は現存しない)のチベット語訳に残るサンスクリット原題を見る限り、「成仏」のサンスクリット語は「アビサンボーディ」であって、これは「現等覚」を意味する。驚くべきことに、「成仏」には「凡夫が仏に成る」という意味は本来ないのである。もっぱら、「仏であること」、ただこれだけを意味する。空海はこの原義を正しく理解していた。日本仏教の開祖(のみならず、日本仏教史上の僧侶たち)の中でインド人のバラモンに師事してサンスクリット語を完全にマスターしていたのも、空海ただひとりだった。 

 もしかして一般にかなり誤解されているかもしれない(おそらく空海も当初はその懸念があったろう)が、即身成仏とは、何らかの方法で「この身このままで」「現世で」「すみやかに」「直ちに」「即座に」「凡夫が仏に成る」ということではないのだ。 

 仏陀の叡智は釈尊ただ一人の内にあるものではない。仏陀の慈悲は釈尊ただ一人が発揮しうるものではない。むろん仏教の真髄といえる「智慧と慈悲」をこの世に実現した釈尊は稀有にして至高の存在であった。だが、それは釈尊がつくりだしたものではなく、釈尊が見出した普遍の法であった。そのことは釈尊自身が明言している。普遍の法は宇宙に遍在しているものであろう。 

 ならば、それは我が身のうちにも、すべての衆生にもそなわっていてしかるべきだ。「智慧と慈悲」の当体である仏心は、宇宙の万象に宿っている。そうであればこそ、一切衆生は救われる。空海はそう確信したのだ。 
 わが国の即身成仏思想は空海に発するが、万人の救済という視座を、仏教史上初めて理論づけたのは、何としても空海であった。 

 江戸時代に、東北地方でみずから土中に籠もり、ミイラと化した「即身仏」は「仏に成った」わけではないが、今に伝わるその姿には慄然とする。もちろん、「即身成仏」と「即身仏」とは違う。かつて即身仏になろうとして即身仏を実現した人たちは、悲しいかな、空海の「即身成仏」思想を大きく誤解していた。そして、現代でも「即身成仏」というと、ミイラとなった「即身仏」を連想する人がいるかもしれない。しかし、考えてみよ。誰であろうと、「衆生済度」を真剣に願って、みずからの死をものともせず、みずからすすんでミイラとなることが果たしてできるものかどうか。そういう人たちがかつて日本にいたのである。その功績ゆえ、彼らの名にはすべて「空海」の「海」の字を与えられている。 

 まぎれもなく「即身仏」は「即身成仏」の誤解であった。だが、誤解にせよ、これは空海の即身成仏思想が衆生済度の原理であることの、あまりにも端的で、かつ日本的な表現の極致であった。

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