悟りの情景-『山中有何楽』(訳文)
山中に何の楽しみがあって
こんなに長くとどまり、帰ることを忘れてしまったのか
一冊の経典『大日経』とつぎはぎの衣
雨にぬれ、雲にしめり、風塵とともに飛ぶ
このまま、むなしく飢えむなしく死んで、何の得があるというのだ
どんな師も、こんな修行をお認めにならないだろう
だが、君は見たり聞いたりしたことがないのか、中インドのマガタ国にある鷲の峰という名の山を釈迦が住まいとして、そこで多くの説法をされたことを
中国の五台山が文殊の庵(いおり)のあったことを
(そのように山中の自然こそが真理の学び舎となるのだ)
わたくしは仏道を修行する者であり
いのちのもつ無垢なる知のちからによって成る法界を住みかとして、人の恩を知る者でもある
天子がいて国が守られているから、安心して頭を剃って仏門に入れるおかげ
父母がその愛情によってこのわたくしを生み育ててくれたから、ブッダの尊い教えを学ぶことができるおかげ
それらのおかげがあるから、家と国と郷里から離れ
父母の子でも天子の臣下でもなく、独り貧しくとも安心して修行できるのだ
朝は谷川の水一杯で、いのちを支え
夕べには山霞を一飲みして、英気を養う
つりさがったかずらと細長い草を編んで着衣とし
いばらの葉の上に杉皮を重ねた敷物がわたくしの座り寝るところ
天が慈愛をもって青空の幕を広げてくれる下がわたくしの住まい
その住まいに水の神である龍が恵みの雨によって白いとばりを垂れてくれる
野鳥が時おりやって来てさえずり歌い
山猿は軽やかに跳ねて、その見事な芸を披露する
春の花、秋の菊がわたくしに微笑みかけ
明け方の月と朝風がわたくしの汚れた心を洗い清めてくれる
今、この山中での修行によって浄化されたわたくしの身体・言葉・精神の三つのはたらきが、すべての生物が具えもつ無垢なる知(生命知・生活知・創造知・学習知・身体知)のちからによる、自然界ですべての生物が共に生きるための三つのはたらき、行動(身体)・コミュニケーション(言葉)・意思(精神)と同調している
一片の香を焚き、心静かにひとすじのけむりを見つめ(身体)、一口の経文(言葉)を唱えると
悟りの境地(精神)が開く
一握りの季節の花といのちのもつ無垢なる知のちからを讃える一句
地に頭をつけて一礼し、天に向かって感謝する
この瞬間、仏法を守護するという八種の神々もつつしんで無垢なる知のちからに浄められ
すべての生物<ほ乳類・鳥と爬虫類・水棲類・昆虫類>が、それぞれのいのちに具わる、それぞれの無垢なる知のちからとそのはたらきによって共に生きているありのままのすがたを現わす
(『荘子』養生主篇「庖丁(ほうてい)、牛を解く」によると)無垢なる知のちからによって対象を観察し、牛一頭をさばけば、その大きさは気にならず、肉と皮、肉と骨の間のすきまが見えて、そのすきまを牛刀が自在に動くから刃こぼれはないというし
無垢なる知のちからの火によれば、そのわずかな火によってすべての煩悩は灰も残さずに焼き尽くされる
ここでは何ものも生じず消滅せず、悟りに要する果てしない時間も必要なく
認識作用・煩悩・死の恐怖・善行の挫折という修行を邪魔するもの、その他の無数の障害となるものも心配するに足らない
万物生成の根元となる宇宙に、いのちのもつ無垢なる知の光の輝きはあまねく広がり
その中で人知れず無為に生きることは、どんなにか楽しいことではないか