想念で綴る大道-『遊山慕仙詩』(訳文 2018.5改訂)
高山は風が起こりやすく
深海の水量を測ることはむつかしく
宇宙空間の果ては分からない
これらの自然に関する考察は人に知があるからこそできる
カモとツルの足の長短にはそれなりの理由があり(『荘子』駢拇(べんぼ)篇に「カモの脛は短いといえどもこれを継ぐと憂い、ツルの脛は長いといえどもこれを断つと悲しむ。だから、自然の摂理による長短を気にかけることはない」とある)
蟻であろうが亀であろうが、大小の差によってその上に日が昇らないことはない
うわべだけの人物は似て非なるものを好んで本物を知らず
為政者は民衆の真実のすがたを映す鏡を欲しがり
カラスの目は腐ったものだけを見
犬の鼻は汚らわしい臭いを嗅ぎ分けることに熱中し
人間は官能的な香水に惹かれるが
それらすべては、糞ころがしが糞に執着するようなものである
他を思いやる心を無くすと人間は
方向を見失った犬や羊のように駆けまわり
弁舌は物真似をするオウムのようによどみないが
その主張は賢明さや善良さからはほど遠く
オオカミが鹿の類いを追いかけまわすように
ライオンが草食動物に喰らいつくように(自分よりも弱いものを餌食にし)
ささいなことで年中、激高し
他をそそのかしては傷つけ
必死に白を黒だと言いはり
ほめたりけなしたりしてわざわざもめ事を作り出し
毒虫にどんなに刺されても
トラやヒョウのようにただ吠え、虚勢を張るだけ
(真理を考えることなく)言葉で事実をいつわり、寄って集って嘘をいかにも真実であるかのようにしてしまう
(そうなると)誰が反省してその傲慢さを戒めるのだろうか
ヨモギは荒地や土手の丘に群生し
ラン科の草花は山地に茂る
太陽は矢のように運行し
四季が移るように人は逝く
柳の葉は春の雨に開き
菊の花は秋の霜にしぼむ
秋蝉が野外で鳴き
コオロギはとばりのなかで哀しく鳴く
南の峰の(常緑樹の)松や柏であってもやがては切り倒されて薪となり
北東の墓地では(落葉高木の)ハコヤナギの葉がはらはらと散る
人は生まれるときも死ぬときも独り
その一生は稲妻のように輝いてはすぐに消える
ガンとツバメがこもごもやって来ては去り
桃の木は昔と変わらぬ紅色の花びらを地面に落とすが
花のように美しい人の容姿は年齢とともに失われ
白髪もめでたきことにはならない
古(いにしえ)の人は今では見えず
今の人もどうしてその寿命を長らえることができるだろうか
炎暑の日には岩の上で風に吹かれ
滝の冷たいしぶきに涼をとる
粗末な衣をまとい、ざれごとの歌を唄い
自然の庵(いおり)で酒を呑み、詩を吟じる
のどが渇けば谷川の水を飲み
霞(かすみ)を食糧として腹を満たす
薬草の白朮(ビャクジュツ)で心臓と胃腸を調え
薬草の黄精(オウセイ)で栄養を補い体力をつける
山に照り映える錦の霞が住まいのとばり
雲は天幕となって空いっぱいに広がる
(そのような山中での自由な生活を選択した人物に)
銀河をも越える高地に登り、仙人となった王子晋(おうししん)や
(反逆と暴力によって樹立した周を否定し)国の穀物を絶ち、弟の叔斉(しゅくせい)とともに首陽山(しゅようざん)に隠れ、山菜を食して清貧をつらぬいた伯夷(はくい)や
万物生成のエネルギーを得て、無為自然に生きることを説いた老子(ろうし)や
天子からその座を譲られたがそれを断って箕山(きざん)に隠れた許由(きょゆう)がいる
(仙人の世界では)
鳳凰(ホウオウ)という名の瑞鳥が高貴な梧桐(アオギリ)を選んで降り立ち、集うように、賢人が出現すれば、その下に賢臣が集まり
伝説上の巨大な渡り鳥である鵬(ホウ)が北から南へと季節風とともに移動する
崑崙(こんろん)山は西方の住まい
蓬莱(ほうらい)の島は東方の端の住まい(であるという)
(許由が天子の座を譲り受けても、それはすでに治世が為されているところ現行の天子の代わりをするだけのことだから、その天下のつとめは名だけのものになると『荘子』逍遙遊(しょうようゆう)篇に記されているように)名目上の地位はその座の客に過ぎなく、絶対的な精神の自由の害になるだけだから
今すぐに龍にまたがって大空を翔けよう
飛ぶ龍はどこに向かうのか
広々として汚れのない彼方
汚れのない彼方とは無垢なる知のちからをもつものが住んでいるところ
その場は知の原理という堅固な塀に囲まれていて
その原理にしたがい生きる多種多様ないのちの家族は無数
その中央にいのちのもつ無垢なる知のちからの統合の象徴である大日如来が座る
いのちのもつ無垢なる知のちからとは何か
それはわたくしたち生きとし生けるものすべてに具わっているもの
その無垢なる知(生命圏全体の秩序に順応するための知/植物は太陽光を使って水と空気中の二酸化炭素から炭水化物を合成し、その過程で生じる酸素を大気中に供給するが、動物はその植物が作り出した酸素と炭水化物を体内に摂取し、燃焼させてエネルギーを得、そのエネルギーを使ってタンパク質・核酸・多糖・脂質などを合成する。それら、生命維持のための基盤となるエネルギーと物質を自らの体内で作り出し、成長と生殖の循環を司る知/あらゆる生物が自らの衣食住の創造とその相互扶助によって生存の平等性を実現している知/対象を観察・分析し、環境への適応判断をする知/所作と他へのはたらきかけによって自らの意思を演じる知の五つ)が為す生の根本活動、身体(行動)・言葉(コミュニケーション)・精神(意思、又は神経反応)が(水と緑を蓄えた)地球上で繰り広げられるから
宇宙にかけがえのない"いのちの道場"が存在する
山(緑)と海(水)とで描かれる
天地はいのちのもつ無垢なる知を入れる箱
万象を認識という一点に含み
知覚と意識によってとらえるすべての意味がその中に記される
出処進退は自らの信念によるが、それに対する他人の意見は打たれて響く鐘やこだまのようなもの(けなしたりほめたりするのは人の勝手な反応)
議論の主張は成り立たず(『荘子』斉物(せいぶつ)論篇によれば、言い争う「アレかコレかの選択」「善し悪しの判断」は相対的なものであり、立場を入れ代えればコレはアレであり、アレはコレである。そうして、アレにもコレにも善し悪しが生じることになる。だから、議論そのものが無駄な行為である)
宇宙は人の頭の中の概念に過ぎないから歩き回るには狭く
大河や大海も一つの元素"水"の一滴から始まる
(その海水の中で誕生した生命の)寿命は(太古から途切れることなく引き継がれて来たものだから、それらに)始まりも終わりもなく
生きていることに限界はない
いのちのもつ無垢なる知の光は宇宙に満ち
その知のちからによって、人が最初に発する「ア」の声のひびきが文字となって万物に意味が与えられ、真理が説かれることになった
その真理によって導かれた大道を仰ぎ敬い
大道と自己とが一体となるように願って身を引きしめよ
行く雲は生じては消え
たなびき、空しく飛ぶ
愛にしばられることはつる草が伸び
繁茂して山谷に広がるようなもの
それよりも禅堂に入り
清々として無垢なる知の中に遊べばよい
(そうすれば)日と月は空と水を照らし
風や塵のような雑念に邪魔されることもなく
是も非も同じと知り
自他の区別はなくなる
(こうして)瞑想によって会得する無垢なる知によって心の海が澄みわたれば
万物への際限のない慈しみが広がりつづけるだろう――
カラスはみな黒いから見分けがつきにくく
同じ呼称でも、ところが変われば別のモノ・コトを指すこともあり
他人の心は、わたくしの心ではないから
人の考えていることは分からない
そこで、修行者の共通のビジョンとなるように
仏道における想念を綴り、一編の詩文にした
あとがき
この詩文は文中に見るとおり、仏教の大道を自然の道理に託して表わし、修行者の想念を手助けするために書かれたものである。
原文は漢詩であり、昔の詩人たちの「遊仙詩」に倣って韻を用い、詩は音律をもって創作されている。
「一読する方々には、どうか韻の技法のことはさて置き、含まれる内容を取り上げていただきたい」と空海が詩文の序に書いているように、現代語訳にあたって韻は無理だから内容のみに力点を置いた。
したがって、詩の響きは原文に託すしかない。弘法さんにお許しを乞う次第である。