はじめに
天長7年(830年)に、淳和天皇は各宗にそれぞれの宗義を書いて差し出すように勅命を下した。それに答えて真言宗の空海が執筆したのが『十住心論』十巻である。
十住心とは、心と知の向上プロセスを十段階に分けたものであるが、空海の十住心体系は人間精神の発達段階を明らかにし、人間思想の展開を系列的に示すものになっている。
したがって、論理を裏付けるために各種文献からの引用箇所が数多くあり、全部を読み通すにはかなりの努力が必要である。
そこで、ここでは心と知の十段階の論旨と冒頭陳述の「帰敬序(ききょうじょ)」に記される第十住心の要点をまとめ、その後に「序章」を現代語訳し、論述の趣意をつかみ、論文の全体像に触れてみたいと思う。
論旨と「帰敬序」
空海はその宗義を論述するのにあたって、『大日経』巻第一の「住心品」(心の差別の章)を用い、その住心に各種の学術・思想による知を組み込み十段階に区別・分類した。そうして、その全包括的な心と知の帰結点となるところに真言宗を置いた。
その学術的な知とは、今日的に云えば生物学的な心(遺伝子情報や生態学的秩序による根源的な知の指令を受けている思考・感情・行動)を第一住心の生存欲以前にある善業を生じさせる種子の存在として記述した部分であり、その土台があって、その上で第二住心以降の思想・宗教・哲学と仏教各宗派の宗義となる各種の知が展開し、各々比較され、順序立てて積み上げられるが、その全部が心と知の住みかとして評価されるものなのだ。
それらの十種の住心が、包摂、集約されて真言宗に帰結する。
では、その区別・分類された住心とはどのようなものなのか。
一には、生きとし生けるもの、すなわち人間も含めた生物が生まれながらにそなえもっている食欲・性欲などの生存欲によって動かされる心が第一住心であるが、そのような意識をもつ生物全般が、どのような環境によって誕生し、どのようなところを住みかとし、その住みかに合わせてどのような生まれ方をして、どんな性癖をもつかなどが心と知の根源にあるとする。
二には、生存欲が引き起こす節度のない食欲・性欲などを抑え、他を思いやる心の芽生えが第二住心。
三には、その無垢なる心をもって、瞑想・神・哲学などによる知の真理を求め、他とその真理を共有しようとするのが第三住心。
四には、対象があって自我が生じるのだから、対象がなければ自我は存在しない、すなわち無我であるというのが第四住心。
五には、物事は原因と条件によって生じた結果であるという論理思考が第五住心。
六には、万象のすべては認識によって把握されるから、認識が無ければ存在は虚しく、心のはたらきによる慈悲だけが確かなものであるとするのが第六住心。
七には、言語のもつ論理性によって考察しても、万象の固定した実体は証明するこができない、すなわち空(くう)であるとし、その空なるものが実在しているのが現実であり、それを絶対的存在とするのが第七住心。
八には、万象の固定した実体が証明できないのであるなら、認識主体と認識される客体とが一体になった心境によって存在を実感しようとするのが第八住心。
九には、第八住心の心境によって考察を進めると、実在世界は一多相入の様相を呈しているから、すべては無自性であるとするのが第九住心。
十には、第九住心の一多相入の世界の考察をさらに進めると、
それらの集合体である生命のもつ意識〈識〉を加えて計六つ〈六大〉である
その六つの要素から成る生物が、いのち・種・遺伝・個体の四つの摂理〈四種法身〉によって、太古の生を途切れることなく受け継ぎながら、多様なすがたをありのままに現わしている
そうして、共に生きるためにそれぞれの個体が持ち前の知によって、身体行動・コミュニケーション・意思の三つの活動〈三密〉を行なうから、網のように連なる物質・生命の重々無礙なるすがたが虚空に満ちる
その数限りのない無垢なる知のすがたに帰依しよう
それらの無垢なる知の活動は、四つの知の媒体〈四種マンダラ〉によって表現される
一に、文字(基本的に存在力・意志力・落着き・動揺・慈しみの情感が音声となって口から発せられる。それが母音のイ・ウ・リ・ロ・エイ。その母音を喉・顎・舌・歯・唇や口を大きく開くことによって変化させ、諸相の概念を伝達する音声にしたのが子音のキャ・シャ・タ・タ・バ・ヤなど。その印度の表音文字によって、ア〈地〉・ビ〈水〉・ラ〈火〉・ウン〈風〉・ケン〈空〉という万物の究極の構成要素が表記できたから、真理の世界が解き明かされる〈法マンダラ〉)と
二に、シンボル(五輪塔・幢・宝珠・蓮華・法螺・五鈷・刀剣・瓶などの象徴物を用い、知を具象化し、意味を隠喩化して伝える〈三昧耶(さんまや)マンダラ〉)と
三に、イメージ(知の原理を、如来のすがた〈いのちのもつ無垢なる知のちから〉と菩薩のすがた〈知のちからのはたらき〉にし、それら諸尊の構成・配列によって、生きとし生けるものが展開している知の世界の全体像が現れる〈大マンダラ〉)と
四に、作用(個体の様相・振舞いと具現化された造形物によって示される諸事業〈羯磨(かつま)マンダラ〉)とである
以上の媒体によって表現された知のすがたに自己のすがたを重ねると
自覚なき者であっても、自らの心の迷いから驚き目覚めて
平等なる六大と
四つの媒体によって表われた知のすがたと
知をもついのちの存在そのものと自己とが一体となる尊く厳かなる知徳とを
明らかなものにするだろう」
と『十住心論』冒頭の「帰敬序」に提示されている究極の知に到る。それが第十住心である。
序章〈論述の趣意〉(訳文)
迷いを去って真理を知る教えを説く仏法について述べるならば、家に帰るのに乗り物と道が必要であるように、あるいは病気を治すのに薬と処方箋が必要であるように、また、病気の原因は無数であるから治療薬は一つではないように、家の遠近によって道も乗り物も千差万別である。だから、一概には説明できない。
四百種の病気は物質要素の不順が原因となって身体の苦しみを生み、果てしのない煩悩も貪りと怒りと愚かさがもとで心の病となる。
しかし、身体の病が多いといっても、その原因は集約すれば六つしかない。固体・液体・エネルギー・気体の四つの物質要素の不順と、体内に入り込む邪気と、不節操による悪業のたたりとである。
また、心の病が多いといっても、原因はただ一つ、自我による思い込みである。
身体の病気の治療法には、湯・散薬・丸薬・酒・針・灸・まじない・戒めの八つがある。
物質要素の不順には薬を服し、邪気や悪業の報いには、まじないや戒めをもってなくす。
薬によって邪気や報いは退けることはできない、祈りのみが効くのだ。世間の医者が治せるのは物質的不順による病のみであり、その方法は中国の医学書『大素(だいそ)』『本草(ほんぞう)』などに書かれている。
それに対して、心の病の治療法はブッダが説くところである。
その教えは経と戒律と理論と理知〈般若:はんにゃ〉と知のワード〈陀羅尼:だらに〉の五つによって説かれ、これらは牛乳とその加工食品である酪(らく:ヨーグルト)と生酥(しょうそ:生バター)と熟酥(じゅくそ:精製バター)と醍醐(だいご:チーズ)の五つの味にたとえられる。
この内、乳から熟酥まで、すなわち経から理知までの薬は軽度の心の病を治せるだけで、重度の犯罪や倫理的不浄行為は治せない。殺し・盗み・淫行・虚言と、出家女子の抱く愛欲・男子との触れ合い・同僚の犯罪の隠蔽・破戒男子への追従と、父殺し・母殺し・僧殺し・生命への冒涜行為・教団破戒と、仏法を誹謗し善行を断つ者などがそれである。
醍醐が一切の病を治す薬のたとえであるように、知のワード〈陀羅尼〉の妙薬は一切の重罪に効き、速やかに自我によって起こされた悪業を根こそぎ引き抜くことができる。
ところで、生きとし生けるものがこの世に生まれ出て、その心身が生活して行く世界には十種ある。
一には戦争・災害・疫病などによる死と向かい合わせの世界、
二には飢餓の世界、
三には生存本能のままの畜生の世界、
四には善・悪が同居する人間世界、
五には神の世界、
六には信仰の世界、
七には修行の世界、
八には慈悲の世界、
九には自性清浄なる世界、
十にはいのちのもつ無垢なる知の原理によるあるがままの世界である。
自我によって迷いながら生きる者は帰るべきわが家を知らず、第一の地獄のような世界や第二の飢餓や第三の畜生の世界にとどまり、胎生(獣類)・卵生(鳥類と爬虫類)・湿生(水棲類)・化生(昆虫類)のようにその性癖にしたがって本能のままに生き、生まれかわり死にかわりし、さまようだけで、その生の本質が何かと考えようとしない。だから、無垢なる知によって生きとし生けるものがみな共生し、調和する世界が存在しているということを知るべくもなく、その本来の世界に帰る心をもつこともない。
ブッダはそのことを憐れんでその帰路と手段を示された。
帰路には真っ直ぐもあれば曲がりくねった道もあり、それに帰路に用いる乗り物(さとりの手段)にも遅い速いがある。
すべての人びとを乗せて導くという牛車や自己が教え聞いてさとるという羊車は、曲がりくねった道をわざわざ進むので到着するのに数え切れないほどの時間が必要だ。だから、生きている間にさとるのは難しい。
しかし、密教の教えは帰路の次元と手段が違うから、一生の間に必ず到達できる。
第四の人間の住みかは自我による煩悩の炎、第五の神の住みかは善悪の神どうしの戦いの火に包まれ、いつかは焼け落ちる運命にあるとはいえ、地獄と飢餓と畜生の住みかに比べれば、しばらくの安楽もあり、苦しみばかりではない。
ブッダは人間のもつ倫理心と絶対の真理を象徴する神とによって、苦しむ者たちを一時、救われたのである。
そうしておいて、第六の仏法の教えを聞く羊の車や第七の修行によって自己を安堵させ鹿の車に乗せ、燃え盛る火宅から脱出させ、それぞれの仮の城に導いて落ち着かせた。だが、そこもしばらくの間の休息の場にすぎない。
第八の慈悲と、その根底となる清浄なる環境と精神の一体化から先に進んだ第九の住みかは、第十のいのちのもつ無垢なる知の原理が成す究極の住みかには到っていないのだが、それでも、それ以前のもろもろの住みかに比べると、一時の安楽や仮の休息から脱し、自在の境地には達している。
だから、ブッダは第八・九の乗り物に二種類の牛車を用意し、帰るべきところを示されたのだ。
だが、第八・第九で示される住みかも、家の雑草、つまり自我による煩悩をただきれいに刈り取っただけのうわべの住まいであって、大地と共にあるほんとうの住みかの次元には到っていないのだ。
それは、大海の塩をなめただけでは龍宮の宝珠は手に入らないようなものである。
仏法の浅いところから深いところに到り、近いところから遠くのところに到ったことにはまちがいないのだが、この時点で求めるところにある住みかは蜃気楼のようなものにすぎない。
知をもつ生きとし生けるものが行使する、身体行動・コミュニケーション・意思の三つのあるがままの活動〈三密〉を為し、
一に自然をありのままに映す清浄なる心による生活に始まり、
二に生産・創造した衣食住を生物どうしが相互扶助している平等性を自覚し、
三に万象を観察・学習することによって堅固なる真理を得、
四にその真理による堅固な救済・教化活動を身体をもって行使し、
五に円満なる境地に入るという
五つの生命的規範が成す自らのすがた〈五相成身(ごそうじょうしん)〉に目覚め、
イメージ・シンボル・文字・作用の四種の知の表現媒体によって明かされた万有一切の本質世界図〈四種マンダラ〉によって自らの立ち位置を知る
究極の真実・堅固なる心と知の住みか〈金剛心殿〉、すなわち共生する生命の大地という住みかに到っていないのだ。
第四の人間と第五の神の二つの住みかから第八の自性清浄なる住みかの延長上にある第九の住みかに到るまでの教えは、心の病の痛みをしばらくの間だけ抑えるための薬であり、そのために迷える人びとを乗せる車である。
それらは、俱舎(くしゃ)・成実(じょうじつ)・三論(さんろん)・法相(ほっそう)・律(りつ)・華厳(けごん)・天台(てんだい)という名の乗り物であり、その車が日本や中国において互いに競い合い、三車(羊車・鹿車・牛車)の法相・三論と、牛車とは別に大白牛車を加えて四車とする天台・華厳が轍(わだち)を並べて東西に駆ける。
これらの宗派は、自己の宗義が一番であるとして、他宗を攻撃することばかりを考えて自己の宗義を顧みず、他の宗義の欠点をあばいて、その教えの中の善(よし)を見ない。だから、論議は紛糾するばかりで、いつまで経っても是非の決着がつかないでいる。
自覚のない連中が集まって、悪口と罵声をとばしあっているのだから、そんなことをしていては正しい判断がつかないばかりか、釈尊の教えからも外れてしまう。
たとえば処方箋を無視して埋め合わせの薬を求め、処方箋によるほんとうの薬を毒として憎むようなことをしてしまっているのだ。
あくまでも、病に対処するのが薬であり、処方に背けば毒になる。
ああ、痛ましいかな、ああ、痛ましいかな。
たとえ釈尊の生きていた時代の名医ジーヴァカが再び生まれ、古代中国医祖の神農が再び出でても、正しい処方箋を捨て、他に薬を求めることなどあるだろうか。
毒草も病に対応すれば妙薬となるのだから、処方箋の調剤では効かないなどと理屈をこね、まして良薬であるものが病を除かず、寿命をのばすこともできないと主張をするのは見苦しいことである。
自我によって独り善がりの主張する者は、部屋に閉じこもって、そこが大宇宙だと言い、手で耳をふさいで鳴る鐘を盗むようなことをし、両方とも不可欠なものである水と火の片方を好み、片方を嫌い、真実を見ないで些細な事柄に執着する。
もしも、いのちのもつ無垢なる知のちからによって仏法の深い教えを開くならば、地獄と天界、仏性と我欲、煩悩とさとり、生死と滅却、偏見と中庸、空有と中道、二乗と一乗、どれも求道の際に人びとの心に浮かぶ相対的な知の一部である。いずれを捨て、いずれを取るということなどしないものだ。しかし、そのような広い知徳もつことのできる者は麒麟の角のように稀少であり、自我によって迷う者は牛の毛のように多い。
だから、いのちのもつ無垢なる知のちからの象徴である如来は、大なる慈悲の心をもってその無量の教えを説くのにあらゆる相対的な概念を用いて、人びとにさとりの世界を理解させようとするのである。
そのようなことなので、知の段階として縦に論じれば各々の教えに浅いものと深いものの差が出るが、横に観察すればどんな教えも、目指すところは同じであり、その過程で得られる知はみな平等なものであるとの見方が成り立つ。
その見方を理由にして、一部宗派のずる賢い者はまだ得ていないものを得ているといい、同じでないものを同じであると詭弁を弄する。
だが、真理を知る者は、部分と全体とが一つのものであると正しく理解しているから、全体で見れば、個は全体を構成するものとしてみな同等であり、個として見ればそれぞれに役わりがあるからその違いが分かった上で論理を展開し、弁論するのである。
そのほんとうのところが分かってないのに分かった振りをする者は、病(全体)とは異なる処方箋を勝手に作成し、その調剤薬によって命をなくし、全体を知る者は正しい処方箋による調剤薬を手に入れ、病を治す。
このように、迷いとさとりは自己の内にあるのだから、自我という執着の心をなくせば物事の真実が見え、さとりに世界に到るのだ。
全体(森)を見ずして部分(木)に執着し、それが無垢なる知のちからのはたらきであると勝手に主張する者、方向を見失い余計な詭弁を弄する者たちよ、決して度を越すような(生態学的にみれば、森は土地固有の植生にもとづく植物群落であるから、植生から外れた木はいくら立派でも森には成れない。そのような)論理展開をしてはならない。
いのちのもつ無垢なる知の原理にしたがい堅固な調和を保っている真実の住みかとは、大地と水と光と気体によって誕生した多種多様な生命が、その無垢なる知のちからとはたらきによって共に生きるところである。
その生命の一員であって、すぐれた王になるべくして生まれた釈尊は大いなる目的をもって精進し、もろもろの住みかで迷い苦しむものたちの心と知を真実の住みかへと導かれたのだ。
その教えは、いのちのもつ無垢なる知のちから〈如来〉によって生命が共に存在し、その知のちからのはたらき〈菩薩〉をもって共に生きるから、生きとし生けるものが一時・一瞬も怠ることなくお互いを救済しているということである。
それが密教の説く乗り物なのだから、他の教えの乗り物とは次元が違う。
密教ではその無数の知のちからとはたらきの個々のすがたがマンダラに図示※されているから、ことごとくの者が灌頂によってそのいずれかと縁を結ぶことができ、その知徳を得て、真実の住みかの一員となれるのだ。
このマンダラの教えの詳しい構造と評価については本文で説明する。
※当「空海論遊」に、小生 『十住心論』第十住心を読み解く-両部マンダラの世界 があります。
『大日経』巻第一の「住心品」に密教の教えの核心となる次のような問答がある。
「生命のもつ知の原理によって生きるものを象徴する金剛薩埵(つまり、わたくしたち人間の理想像的存在であって、身体行動・コミュニケーション・意思をもって無心に活動するものの象徴)がブッダ(目覚めた者)である世尊に問う、
『如来であり、世の敬愛を受け、あらゆる真理を正しく知る者である世尊よ、どのようにしていのちのもつ無垢なる知のちからを得、その知のちからをもってどのように無量の衆生に説法されるのでしょうか、また、そのような知は、何を原因として得ることができ、何を根本として実践され、その無垢なる知を伝える手段として何を究極とするのでしょうか』と。
全生命存在の象徴である大日如来(世尊)が答える、
『さとりを求める心をもって原因とし、大悲をもって根本とし、無垢なる知の原理によって導かれるところを言葉にして説くことをもって究極とする』と。
『また、薩埵よ、無垢なる知のちからを得るということは、それは自我から解放された自らの心の実際をありのままに知るということである』と。
さらに薩埵が問う、
『さとりへと向かうとき、心と知が向上してゆく過程にはどのくらいの段階があるのですか』と」。
これに対して、世尊が答えたのが『大日経』の「住心品」の住心である。
今、この経の住心に倣って、真言行者の心と知の向上する段階を明らかにしたい。その中で顕教と密教の区別もまた明らかになるであろう。
心と知の置きどころは量り知れないのであるが、とりあえず、その向上する段階をわたくしなりに以下のような十種に設定した。
この設定に沿って、多くの資料を摂り込んで論述を進めたい。
二には、施しの心〈倫理〉
三には、真理を憧憬する心〈瞑想・神・哲学〉
四には、自我の非実体を知る心〈無我論〉
五には、結果の原因・条件を知る心〈因果論〉
六には、大悲心〈唯識論〉
七には、絶対心〈空の論理〉
八には、自性清浄心〈主客同体〉
九には、無自性心〈一多相入〉
十には、心身荘厳心〈マンダラ〉
あとがき
「序章」すなわち論述の趣意書となる箇所を読むと、この論述の十数年以前、嵯峨天皇在位の時に行なわれたという八宗論議の様子が伺える。
空海が他宗の弁論をどのように評価していたのか、本文にある通りなのだが、一部の宗派の論師が分かった振りをして、仏法を自分たちの宗派にとって都合よく解釈していることが目に余ったのであろう、そんなことを主張していると薬を間違えて人びとが死ぬことになると戒めている。
空海はすべての宗派の教義を理解していたから、詭弁を弄することには我慢ならなかったのだと思う。
いずれにしてもこの論議、最初から勝負はついていた。何故なら、当時、東大寺別当職に就いていた空海にとって、南都六宗(律宗・俱舎宗・成実宗・法相宗・三論宗・華厳宗)とはすでに話がついていたのだから、残る相手は天台宗だけだったのである。その比叡山の最澄がこの時期に前後して、真言密教の金・胎の灌頂を受けているのだから、勝負にならない。
しかし、各宗派の代表が集まって議論している様子を想像すると、それはそれで興味をそそる光景である。
それから十数年の時を経て、『十住心論』の「帰敬序」に「今、淳和天皇の勅命を承って真言宗の教えを述べようと思う」とあるように、勅撰の書『十住心論』が執筆された。この時点では、すでに八宗論議の決着がついていたのだから、空海は自負をもって思う存分に、当時の国際的な思想大全とも云える十巻の論述書をまとめ、そのダイジェスト版『秘蔵宝鑰』まで執筆することができたのであろう。
それにしても、慈悲と知性に満ち、人間を含めた生きとし生けるものの共生を説く壮大なる思想が、すでに平安初期のわが国に存在していたのに、わたくしたちは今まで大師の何を見、何を学んでいたのであろうか。
そんな思いに駆られながらの論考作業となった。