空海は悟りの証しとして、世界の実相を二種類の図にして示した。一つが人間の知の規範を説く「胎蔵マンダラ」であり、もう一つが、知そのもののはたらきを説く「金剛界マンダラ」である。
"世界とは何か"が、知の永遠の命題であるが、それに答えるために、人間は二つの事柄「世界の構成要素とは何か」「存在の根源的法則とは何か」を追究してきた。
空海の示したマンダラは、それらへの回答となる。
今日の科学者も、それらを見極めるために思索を重ねてきた。
その結果、自然界には四つのちから<①重力/②電気磁力/③原子核の中に陽子と中性子を閉じ込めておく「強い相互作用」/④原子の崩壊に関与する「弱い相互作用」>が存在していて、それらが物質の素であると発見した。
そうなると、究極の物質要素は分割不可能な不変のものでなく、空間の中での何らかのエネルギーの存在を示すものであり、すべてが常に相応し、溶けあっているのが世界の実相ということになる。
まさしく、空海が説いた"六大(ろくだい:世界を構成している六つの要素)は無碍(むげ:お互いにさえぎることなく)にして常に瑜伽(ゆが:常に相応し、溶けあっている)なり"の世界にわたくしたちは居るのだ。
そのような洞察力の持ち主が示した世界の実相図の内、「胎蔵マンダラ」を、以下は今日の言葉でもって読み解き、そこに展開されている知に学びたい。
尚、マンダラ中の神仏は、基本的に次のように読み解いた。
「如来」:知の根源的なちからを示す。
「菩薩」:知のちからの多様なはたらきを示す。
「明王」:からだ(個体)の成長・維持を司っているちからを示す。
「天」:神格化された知(天体・方位・自然等)を示す。
Ⅰ知とメディアの根本<A><中台八葉(ちゅうだいはちよう)院>(中央部、八弁の蓮の花)
存在を認識するのは知であり、その知の根源的法則を問うことは、存在の根源的法則を問うことと同じである。
悟りによって知の根源を考察すると、知は四つのメディア(媒体)によって表現・伝達されているのが分かる。
このメディアのちからによって、知は四つの生のはたらきを為している。(1)イメージ(色・かたち・うごき・音・匂い・味・触覚による心象)(2)シンボル(個別のイメージが暗示する意味・価値・合図)(3)単位(分子などの物質言語・数量・文字・響き)(4)作用(モノまたは場、あるいはそれらと人間との相互間に生じる反応・変化)の各メディアである。
(1)イメージは生活知(呼吸・睡眠・情動)のはたらき(だから、人間は瞑想し、呼吸を整え、精神を集中し、イメージを安定させようとする)(2)シンボルは創造知(衣・食・住・遊・健・繁殖などの生産・行動と相互扶助)を調整・進行させるはたらき(3)単位は学習知(万象の観察・記録・編集)のはたらき(4)作用は身体知(運動・作業・所作・遊び)のはたらきである。
これらのはたらきによって、知の世界が現出する。
「知」を表現・伝達する四つのメディア
A-1イメージ<宝幢(ほうどう)如来>(東)
A-2シンボル<開敷華王(かいふけおう)如来>(南)
A-3単位<無量寿(むりょうじゅ)如来>(西)
A-4作用<天鼓雷音(てんくらいおん)如来>(北)
「知」の四つの生のはたらき
A-5生活知<普賢(ふげん)菩薩>
A-6創造知<文殊(もんじゅ)菩薩>
A-7学習知<観自在(かんじざい)菩薩>
A-8身体知<弥勒(みろく)菩薩>
以上の知のちから<如来>とはたらき<菩薩>を生みだしている中心が、生命の存在そのもの<大日(だいにち)如来>である。
Ⅱ物質と色彩<五色界道(ごしきかいどう)>(中央部外周)
前出の「知」のちからとはたらきは、原初地球の海水の中で誕生した生命が、多様な自然環境に適応し、進化する過程で身に付けたものだ。だから、その知の根源は常に自然界と共にある。
その自然界を構成している物質は、固体<地>・液体<水>・エネルギー<火>・気体<風>であり、それらの要素で空間<空>が充たされているから、生命が存在できる。
また、物質は色彩をもつが、その色彩は、太陽光線のもつ虹色の中で、物質が吸収しなくて反射した光の色を、その物の色として視覚が感知したものである。すべての光を反射すると白色になり、すべての光を吸収すると黒色になる。また、光がなければ色は生じず、物体を視覚によって感知できない。
因みに、マンダラの五色界道では色を、地(黄)・水(白)・火(赤)・風(黒)・空(青)として表わしているが、今日の科学では、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色を基本色とする。
いずれにしても、色彩のあるところに物質が存在し、その彩りの中に生命も存在し、その生命が知を発揮していることになる。
Ⅲ個体力<B>と内分泌物質<C><遍知(へんち)院と持明(じみょう)院>(「五色界道」外側上下)
生命は一生の周期(誕生から死)にしたがい、成長・変化し、環境に適応し、子孫を残す。それらの生を可能にしているのが「個体力」である。
B-1周期力<三角智印>
B-2気力<仏眼仏母(ぶつげんぶつも)>
B-3環境適応力<七倶テイ(しちぐてい)仏母)>
B-4成長力<大勇猛(だいゆうみょう)菩薩>
B-5精力<大安楽(だいあんらく)不空(ふくう)真実菩薩>
ヒト科を含め、あらゆる動物(水棲・両性・爬虫・鳥・ほ乳・昆虫の類)の身体と情動を制御・調整しているのは、微量の「内分泌物質」(ホルモン)であることが今日の科学によって知られている。その根底の上に、人間の意識もある。持明院に登場する<明王>はその根底の物質のはたらきに相似する。
C-1「松果体ホルモン」のはたらき:二十四時間リズムとメラトニンの分泌/性機能の発達/新陳代謝の促進/季節の繁殖行動<般若菩薩>
C-2「副腎ホルモン」のはたらき:糖・電解質のバランス/性ホルモンの調節/アドレナリン等ストレス反応の調節<大威徳(だいいとく)明王>
C-3「甲状腺ホルモン」のはたらき:細胞代謝・呼吸量・エネルギー産生の促進/昆虫・両生類等の変態促進<勝三世(しょうざんぜ)明王>
C-4「下垂体ホルモン」のはたらき:他ホルモンの制御/成長ホルモンの分泌<降三世(ごうざんぜ)明王>
C-5「視床下部ホルモン」のはたらき:体温調節/下垂体ホルモンの調節/飲食欲・性欲・情動行動等の制御<不動明王>
Ⅳ感性<D>と理性<E><観音(かんのん)院と金剛手(こんごうしゅ)院>(「五色界道」外側左右)
物事の理解の仕方には二通りある。一つはイメージによって物事を把握し、直感的にすべてを理解する方法。もう一つは、イメージによって捉えたことを言語にし、その文脈や論理性によって物事を理解する方法である。
今日の脳科学ではそのことを次のように説明している。
まず、現実に起きていることを三次元的に捉え、それをイメージ化するのが右脳であり、そのイメージを言語や数量に変換するのが左脳であると。
したがって、言語や数量を用い、物事の意味を判断し、表現・伝達しているのが左脳となる。
そのような左脳の精神活動が「理性」であり、右脳のイメージによる精神活動が「感性」である。
それらの二極の精神活動によって、人間は物事を理解しているのである。
その二極を、前出の知の根本メディアによって分けると
作用×イメージ=感性(右脳)
シンボル×単位=理性(左脳)
となる。では、その二極によって、知はどのように展開しているのかー
「感性」(正面左側、内列上段から下へ)
D-1右脳<蓮華部発生(ほっしょう)菩薩>
D-2直感イメージ<大勢至(せいし)菩薩>
D-3調伏<ブリクテー菩薩>
D-4慈悲<聖(しょう)観自在菩薩>
D-5母性<ターラ菩薩>
D-6正義<大明白身(だいみょうばくしん)観音>
D-7生存力<馬頭(ばとう)観音>
(中列上段から下へ)
D-8子宝<大随求(ずいぐ)菩薩>
D-9勇気<サッタバ大吉祥菩薩>
D-10繁殖<ヤソーダラー菩薩>
D-11物心豊饒<如意輪(にょいりん)観音>
D-12すばらしさ<大吉祥大明菩薩>
D-13麗しさ<大吉祥明菩薩>
D-14至福<寂留明(じゃくるみょう)菩薩>
(外列上段から下へ)
D-15家族・共同体の守護<被葉衣(ひようえ)菩薩>
D-16衆生救済<白身(びゃくしん)菩薩>
D-17裕福<豊財(ぶざい)菩薩>
D-18幸福社会<不空羂索(ふくうけんじゃく)菩薩>
D-19潤い<水吉祥菩薩>
D-20ボランティア<大吉祥変菩薩>
D-21健康・無事<白処(びゃくしょ)観音>
「理性」(正面右側、内列上段から下へ)
E-1左脳<発生(ほっしょう)金剛部菩薩>
E-2観察力<金剛鈎女(こうにょ)菩薩>
E-3科学<金剛手持(しゅじ)金剛菩薩>
E-4存在原理<金剛サッタ>
E-5知力<金剛鋒(ふ)菩薩>
E-6実行力<金剛拳(けん)菩薩>
E-7成長力<忿怒月テン(ふんぬがってん)菩薩>
(中列上段から下へ)
E-8光<虚空無垢持(こくうむくじ)金剛菩薩>
E-9生態系<金剛牢持(ろうじ)菩薩>
E-10エネルギー<忿怒持(ふんぬじ)金剛菩薩>
E-11宇宙<虚空無辺超越(ちょうおつ)菩薩>
E-12実証<金剛鏁(さ)菩薩>
E-13法則<金剛持(じ)菩薩>
E-14物理<持金剛利(じこんごうり)菩薩>
(外列上段から下へ)
E-15弁論<金剛輪持(りんじ)菩薩>
E-16名声<金剛説(せつ)菩薩>
E-17知の楽しみと喜び<チャク悦持(ちゃくえつじ)金剛菩薩>
E-18規範の説得<金剛牙(げ)菩薩>
E-19真理<離戯論(りけろん)菩薩>
E-20無比<持妙(じみょう)金剛菩薩>
E-21存在の本質<大輪金剛菩薩>
Ⅴ思想<F><釈迦(しゃか)院>(「個体力」上部)
二千五百年前にインドのガウタマ・シッダールタ(釈迦)によって仏教が誕生した。
そうして、一千年後にその仏教思想の延長上で、密教によって世界の実相(マンダラ)が図示されるに至った。
したがって、世界の実相の基(もとい)となった人たちとして、釈迦とその弟子がマンダラの一角を占める。
歴史上に実在したその人たちは、肉体を制御し、知とメディアの根本をフルに駆使し、感性(慈悲)と理性(方便)のバランスによって世界の真理をとらえ、その真理を「思想」として生きることを実践した者である。
F-1思考する者<釈迦如来>
F-2学習力<観自在菩薩>
F-3実践力<虚空蔵菩薩
(以下、釈迦の弟子たち)
F-4自在力<大目犍連(だいもくけんれん)・マハーマウドガリヤーヤナ(梵名)>
F-5論理力「空(くう)の論理」<須菩提(しゅぼだい)・スブーティ(梵名)>
F-6無欲(衣食住)力<迦葉(かしょう)・マハーカーシャパ(梵名)>
F-7知力<舎利弗(しゃりほつ)・シャーリプトラ(梵名)>
F-8文献精通力<狗キ羅(くきら)・マハーカウシュティラ(梵名)>
F-9記憶力<阿難(あなん)・アーナンダ(梵名)>
F-10論議力<迦旃延(かせんねん)・ヤーティヤーヤナ(梵名)>
F-11生活規律力<優婆梨(うばり)・ウパーリ(梵名)>
Ⅵ創造性<G><文殊(もんじゅ)院>(「思想」上部)
あらゆる生物は、地球上に生まれ生きているだけですでに根源的な創造活動をしているといえる。それは一に、すべての生物が何十億年の生を受け継ぎ、進化してきた存在であるということであり、二に、その多様な種の個体の存在そのものをもって、衣・食・住・遊・健・繁殖などの生産・行動とそれらの相互扶助の務めを果たし、生命圏を維持しているということである。
そのような、生まれながらの「創造性」をすべての生命が有しているから、美しい自然が形成される。
G-1創造性<文殊菩薩>
G-2才能<普賢菩薩>
G-3表現<観自在菩薩>
(表現)
G-4すがた<光網(こうもう)童子(又は菩薩)>
G-5かたち<宝冠童子(又は菩薩)>
G-6美<無垢光(むくこう)童子(又は菩薩)>
G-7心象<月光(がっこう)菩薩>
G-8芸術<妙音菩薩>
G-9品性<瞳母魯(とむろ:四姉妹の兄)と阿耳陀(あじた)・阿波羅耳陀(あはらじた)・肥者耶(びしゃや)・者耶(じゃや)の四姉妹>
(才能)
G-10明晰さ<髻設尼(けいしに)童子>
G-11鋭敏さ<烏波(うば)髻設尼童子>
G-12筋<質多羅(しったら)童子>
G-13才覚<地慧幢(ちえとう)童子>
G-14感覚<請召(しょうじょう)童子>
G-15コラボレーション<使者衆五位>
Ⅶ万物の構造<H><虚空蔵(こくうぞう)院>(「内分泌物質」下部)
微量の脳内物質が分泌されることによって、昆虫や魚、爬虫類や鳥、それに、ほ乳類(人間を含む)の成長と環境適応、情動と繁殖行動などがコントロールされているという。したがって、"感情"は意識の産物ではなく、究極的に物質の化学反応としての産物なのである。つまり、感情は物質によってコントロールされているのだ。
つまり、成るようにしかならない。
そのことに気づけば、分別による迷いはない。
また、生命と同様に物質も生きていると知る。
万物の究極のすがたである素粒子(量子力学)と細胞(分子生物学)の極微の世界に、今日の科学の目が到達した。その構造が、世界を客体化して見る目をわたくしたちにも与えてくれている。
そこで、自己を客体化して、そのような自然とわが身が同体であると目覚めることができれば、そこに無辺の世界が広がる。
その世界は刻一刻と変化し、同じすがたをしていないし、また、あるがままである。
H-1構造<虚空蔵菩薩>
H-2学術<檀(だん)ハラミツ菩薩>
H-3規範<戒(かい)ハラミツ菩薩>
H-4客体化<忍辱(にんにく)ハラミツ菩薩>
H-5研究<精進ハラミツ菩薩>
H-6発見<禅那(ぜんな)ハラミツ菩薩>
H-7細胞(DNA)<千手千眼(せんじゅせんげん)観自在菩薩>(「物質・エネルギーの代謝」にまたがる)
H-8観測<般若ハラミツ菩薩>
H-9理論<方便ハラミツ菩薩>
H-10実験<願(がん)ハラミツ菩薩>
H-11力学<力(りき)ハラミツ菩薩>
H-12実相<智(ち)ハラミツ菩薩>
H-13素粒子<金剛蔵王(こんごうぞうおう)菩薩>(「物質・エネルギーの代謝」にまたがる)
Ⅷ物質・エネルギーの代謝<I><蘇悉地(そしつじ)院>(「万物の構造」下部)
代謝(たいしゃ)とは、生命が体内で行なう一連の化学反応のこと。このはたらきによって、生物は成長し、生殖できる。
その代謝には、有機物質を分解(発酵・呼吸・光合成)することによってエネルギーを得るはたらき「異化」と、そのエネルギーを使って有機物質を合成するはたらき「同化」がある。その見事なはたらきによって、多様な生命がさまざまな環境のなかで、その身体を維持し、活動できる。そこに知の源流がある。(因みに、蘇悉地とは梵語のスシッディの音写語で、見事に完成されたとの意味をもつ)
I-1生命の代謝作用<不空供養菩薩>
I-2解毒作用<孔雀王母(くじゃくおうも)菩薩>
I-3異化作用(エネルギーの生産)<一髻羅刹(いっけいらせつ)>
I-4同化作用(有機物質の合成)<十一面観自在菩薩>
I-5自在力<不空金剛菩薩>
I-6環境適応力<金剛グンダリ>
I-7成長力<金剛将菩薩>
I-8精力<金剛明王菩薩>
Ⅸ大地<J>と文明<K><地蔵院と除蓋障(じょがいしょう)院>(「感性」と「理性」の各、外側)
人間が知によって築く社会には二つの方向がある。一つは、大地と共にその恵みに感謝しながら、質素であってもこころ豊かに生きる方向。もう一つは、科学技術の発達によって、生活の不便さを取り除き、より快適・安全であることを求めて生きる方向である。
(今日では、前者が持続可能な循環型社会を求めるイデオロギーとなり、後者が文明という名の資源消費型の快適社会を求めるイデオロギーとなる)
双方とも、その希求の根源は、知の充足にあるが、その充足の比重を精神に置くのか、物質に置くのか、あるいは、感性に置くのか、理性に置くのか、そのバランスがここでは求められる。
「大地」(感性)
J-1文化<除憂冥(じょうみょう)菩薩>
J-2生命連鎖<不空見(ふくうけん)菩薩>
J-3懺悔(サンゲ)<宝印手(ほういんしゅ)菩薩>
J-4慈しみ<宝光(ほうこう)菩薩>
J-5土と地の恵み<地蔵菩薩>
J-6衣・食・住の満足<宝手(ほうしゅ)菩薩>
J-7ヒューマニティー<持地(じじ)菩薩>
J-8信仰<堅固深心(けんごじんしん)菩薩>
J-9心の安らぎ<除蓋障菩薩>
「文明」(理性)
K-1救護<悲愍(ひみん)菩薩>
K-2文明開化<破悪趣(はあくしゅ)菩薩>
K-3教育<施無畏(せむい)菩薩>
K-4知識<賢護(げんご)菩薩>
K-5安心・安全<除蓋障菩薩>
K-6アメニティー<悲愍慧(ひみんえ)菩薩>
K-7福祉<慈発生(じほっしょう)菩薩>
K-8理性<折諸熱悩(しゃくしょねつのう)菩薩>
K-9太陽光エネルギー<日光菩薩>
Ⅹ天体(暦・方位)と古代の神々<L><最外(さいげ)院>(最外周)
知の多様な展開によって世界が築かれているが、その世界が天体の運行と共にあることを、人類は古(いにしえ)から知っていた。
天空にあるのは太陽と月と星座であり、それらの運行に合わせて昼夜と四季が訪れる。だから、太陽の高度と月の満ち欠けと星座の位置を観測し、その法則を知ること、すなわち天文学は人類の知の要(かなめ)であった。
空海が留学先の中国から持ち帰った「宿曜経(しゅくようきょう)」に記される天文学を主として、古代の神々が、世界を取り巻いている。
「黄道(こうどう)十二星座」<十二宮(くう)>(十二ヶ月)
黄道:地球の公転による、天球上での太陽の見かけの通り道。この黄道上の季節ごとの星座を太陽の宿<宮>とする。
L-1おひつじ座<羊宮(ようくう)>
L-2おうし座<牛宮(ごくう)>
L-3ふたご座<婬宮(いんくう)>
L-4かに座<蟹宮(かいくう)>
L-5しし座<師子宮(ししくう)>
L-6おとめ座<女宮(じょくう)>
L-7てんびん座<秤宮(ひょうくう)>
L-8さそり座<蝎宮(かっくう)>
L-9いて座<弓宮(きゅうくう)>
L-10やぎ座<摩カツ宮(まかつくう)>
L-11みずがめ座<瓶宮(びょうくう)>
L-12うお座<魚宮(ぎょくう)>
「惑星」<九曜(くよう)星>(曜日)
黄道上の太陽の随伴者としての運行をしているのが惑星である。他の星とは異なる動きをしているので見分けられる。その惑星と太陽と月によって、一週間の曜日とする。
L-13日<日曜星>
L-14月<月曜星>
L-15火<火曜星>
L-16水<水曜星>
L-17木<木曜星>
L-18金<金曜星>
L-19土<土曜星>
L-20(日蝕・月蝕<羅ゴ(らご)星>)
L-21(彗星<計都(けいと)星>)
「星座」<二十八宿(しゅく)>(「太陰太陽暦」)
古代中国で観測された三百ほどの星座のうち、黄道付近に並んだ二十八個の星座を指す。この星座をもって、月の満ち欠けの周期「月」を区切り、見えない新月の日付と、その位置を知る目印とした。新月の位置を知ることは、その背後の延長上に太陽があるということであり、その太陽の動きによって、季節を知ることができるし、太陽がある位置を通過して、再びその位置に戻ってくる期間が一年であるから、その長さを知ることができる。そのようにして、新月の時期と位置によって暦の一ヶ月の区切りと、一年の区切りが決められる。
(東方)
L-22すぼし(おとめ座中央部)<角(かく)宿>
L-23あみぼし(おとめ座東部)<亢(こう)宿>
L-24ともぼし(てんびん座)<氐(てい)宿>
L-25そいぼし(さそり座頭部)<房(ぼう)宿>
L-26なかごぼし(さそり座中央部)<心(しん)宿>
L-27あしたれぼし(さそり座尾部)<尾(び)宿>
L-28みぼし(いて座南部)<箕(き)宿>
(北方)
L-29ひきつぼし(いて座中央部)<斗(と)宿>
L-30いなみぼし(やぎ座)<牛(ご)宿>
L-31うるきぼし(みずがめ座西端部)<女(じょ)宿>
L-32とみてぼし(みずがめ座西部)<虚(きょ)宿>
L-33うみやめぼし(ぺガスス座頭部)<危(き)宿>
L-34はついぼし(ぺガスス四辺形の西辺)<室(しつ)宿>
L-35なままめぼし(ぺガスス四辺形の東辺)<壁(へき)宿>
(西方)
L-36とかきぼし(アンドロメダ座)<奎(けい)宿>
L-37たたらぼし(おひつじ座西部)<婁(ろう)宿>
L-38えきぼし(おひつじ座東部)<胃(い)宿>
L-39すばるぼし(おうし座・プレアデス星団)<昴(ぼう)宿>
L-40あめふりぼし(おうし座・ヒアデス星団)<畢(ひつ)宿>
L-41とろきぼし(オリオン座頭部)<觜(し)宿>
L-42からすきぼし(オリオン座)<参(しん)宿>
(南方)
L-43ちちりぼし(ふたご座南西部)<井(せい)宿>
L-44たまほめぼし(かに座中央部)<鬼(き)宿>
L-45ぬりこぼし(うみへび座頭部)<柳(りゅう)宿>
L-46ほとほりぼし(うみへび座心臓部)<星(せい)宿>
L-47ちりこぼし(うみへび座中央部)<張(ちょう)宿>
L-48たすきぼし(コップ座)<翼(よく)宿>
L-49みつかけぼし(からす座)<軫(しん)宿>
「方位・上下・定点」<十二天(じゅうにてん)>
L-50東方<帝釈天(たいしゃくてん):自然の運行神>
L-51南方<閻魔天(えんまてん)>
L-52西方<水天(すいてん)>
L-53北方<多聞天(たもんてん):法と福徳を司る神(北方の守護)>(毘沙門天ともいう)
L-54東南方<火天(かてん)>
L-55西南方<羅刹天(らせつてん)>
L-56西北方<風天(ふうてん)>
L-57東北方<伊舎那天(いしゃなてん)>
L-58上方<梵天(ぼんてん):天地と言葉の創造神>
L-59下方<地天(ちてん)>
L-60太陽<日天(にってん)>
L-61月<月天(がってん)>
(上記、関連)
L-62国土を支える神<持国天(じこくてん)>(東方の守護)
L-63万物の成長と繁殖を司る神<増長天(ぞうじょうてん)>(南方の守護)
L-64異文化、異言語を理解する神<広目天(こうもくてん)>(西方の守護)
「古代インドの神々」
L-65森と水の神<薬叉持明(やくしゃじみょう)・ヤクシャ(梵名)>
L-66水の神<難陀竜王(なんだりゅうおう)・ナンダナーガ(梵名)>
L-67猛禽の神<迦楼羅(かるら)・ガルータ(梵名)>
L-68映像言語の神<光音天(こうおんてん)>
L-69美しい歌の精霊<緊那羅(きんなら)・キンナラ(梵名)>
L-70音楽の神<摩睺羅迦(まごらが)・マホーラガ(梵名)>
以下、省略
以上のⅠ~Ⅹまでの考察内容が、マンダラに図示されているグループごとの神仏の知を、今日の科学が提唱する全包括的な世界観に照らし合わせて読み解いたものである。
では、それらの知から成るマンダラの構造はどのようになっているのかー
「胎蔵マンダラ」の構造
世界を認識しているのは知である。だから、知によって世界は意味をもつ。そこで、知の根本とは何なのかが、まず示される。中央に位置する八弁の蓮の花<中台八葉(ちゅうだいはちよう)院>がそれである。その花びらのうちの四枚は、知を表現・伝達するのが、イメージ・シンボル・単位・作用のメディアであることを示し、もう四枚の花びらが、それらのメディアのちからによって、知が生のはたらき(生活知・創造知・学習知・身体知)を為していることを示している。
そうして、花弁の中心にあるのが生命の存在そのもの<大日如来>であると説く。
以上の知と生と生命の存在が、固体・液体・エネルギー・気体・空間の五つの要素によって形成される自然界<五色界道(ごしきかいどう)>と共にある。
次に、それらの知と生を発揮している生命は、二つの要素によって個体を維持していると説く。その二つとは、精神力<遍知(へんち)院>と物質力<持明(じみょう)院>である。
精神(東方)は、「思想」<釈迦(しゃか)院>と「創造性」<文殊(もんじゅ)院>によって、知に遊び、物質(西方)は、「万物の構造」<虚空蔵(こくうぞう)院>と「物質・エネルギーの代謝」<蘇悉地(そしつじ)院>によって、知と生の活動を支えている。
それらのタテ軸に対し、その左右には知の二極の志向性がある。一極が「感性」<観音(かんのん)院>であり、もう一極が「理性」<金剛手(こんごうしゅ)院>である。
「感性」(北方)はイメージによって物事を直感的に把握し、包容力としての"慈しみ"の感情をもち、その先に生命のすべてが母なる「大地」と共に生きていることを喜びとする社会<地蔵(じぞう)院>を築き、「理性」(南方)は概念(言語)によって物事を客観的に把握し、論理と科学技術の進歩を価値観として、その先に「文明」社会<除蓋障(じょがいしょう)院>を築く。
それらの多様な知と生によって築かれた世界の天空を、「天体(暦・方位)と古代の神々」<最外(さいげ)院>が取り巻いている。(その天体と古代の神々もまた、人間の知が生みだしたものであるー)
以上のような構造を「胎蔵マンダラ」はもつ。その知の構造と今日に差異はない。
まとめ
木を見て森を見ずとの諺があるが、要素を細分化することに夢中になっているうちに、全体を見失ってしまうことへの戒めである。だが、今日の科学は、細分化の極限にまで到達したところで、そこに見えているものが、相互作用によって無限に移り変わる物質のすがたの一瞬に過ぎないことに気づいた。そこで、科学者たちは包括的な世界観に視点を移し、全体と要素がつくりだす相互関係に、物質の存在意義を求めることになった。そうなると、木を見ることは森を見ることと変わりなく、森を見ることは木を見ることと何の違いもなくなる。すべては、全包括的な生態系という視野のなかにおいて存在しているものなのだ。
空海の示したマンダラは、その今日の世界観と同様のものである。生物学では、とくにある区域をおおっている植物としての集まりを植生というが、個々のはたらきをする神仏にもそのような植生が見られ、それらの群落が多層にわたって共生し、生態系を築くことによって豊かな森ができている。その森がマンダラである。そうして、マンダラの森は"知と生の法則"に従って調和し、秩序を保っている。そのなかではそれぞれが、それ以上でもそれ以下でもなく、相互に扶助しあう関係にある。そこにこそ、存在の本質がある。