はじめに:空海の祈り
空海の父親は佐伯の氏族であった。
佐伯は本来、6、7世紀頃、日本列島の中部地方以東、関東から東北地方一帯の自然と共に暮らしていた先住民族が、大和朝廷の遠征軍によって、集団で捕虜になった状態を指し、その一群のことをサヘキ(異言語を話す一連のヒトたち)と呼んだ。そのサヘキが、すでに支配下にあった近畿以西の四国を中心とした諸国に集団移住させられ、民族固有の優れた資質を発揮し、集団の長であった者が朝廷と共に新しい国づくりに参画するようになって、それまでのサヘキという呼び名に佐伯の文字を当て、氏族名としたのだ。
因みに、空海の生きていた時代(9世紀前後)の大和朝廷の領土は北緯40度、今日の秋田県中部辺りが国境線であり、それより以北のヒトたちは、朝廷に未だ隷属していない異民族として、侮べつする呼称、蝦夷(エミシ)と呼ばれていた。したがって、サヘキはエミシであった。そのエミシや、その後12、3世紀の歴史に登場する北海道のアイヌ(エゾ)が、日本列島の原先住民族、縄文文化一万年の流れを汲むヒトであることは、今日の考古学者や文化人類学者の認めるところである。
もっとも、母親はその弟、阿刀大足(あとのおおたり)が天皇の皇子の家庭教師を務める家柄であり、空海は土着系と渡来系、両方の気質の融和のもとに生まれた人であった。
のちに弘法大師と呼ばれる人は、そのような列島民族の流動する事情と、自然が原野から田畑へとすがたを変える時代風土の中に育ち、若くしてあらゆる学問に通じながらも、20歳すぎには山林での修行に入り、自然のもたらす深遠なるちからに目覚め、そして、正規の留学僧として中国に渡り、インド伝来の密教の第八祖となって帰朝され、その教え、"無垢のいのちの無限のはたらき"を万民に示された。そこには、人種の違いを越えることのできる寛容のこころと、美しい日本の大地の保全を願う、空海の祈りがあった。
(1)空海の説く"ヒトと自然"
空海の主要書の一つに『声字実相義』がある。声と字、すなわち「言語」と、言語によって表われるモノ・コトの実相と、言語そのものの実相、すなわち「言語のはたらきと言語によって表現される世界」の義、すなわち、「真理」である。つまり、「言語のはたらきと言語によって表現される世界の真理」を通して、ヒトはどのように生きるべきかを説いた書である。この言語哲学書において、空海は「ヒトが世界のすがたを理解しているのは、世界を識別した結果であり、その結果を声のひびきと文字にし、コミュニケーションを取り合っている」と分析している。しかし、その言語によって語られる識別された世界が、それを語る人格を含めて、どこまで真実を伝えることができているのかと自問している。
そこで、空海はモノ・コトのあるがままの真実を伝えるために、言葉の論理だけではなく、大事な事象の展開している時と場を設定し、そこにシンボルとなる具体的な事物を登場させ、それらをイメージ描写し、脳裏へと投影する。その投影されたイメージにより、情報の受け手に真実を知らせるといった手法を多く用いている。この方が、一方的な論理による説得よりも、共に真実の世界を見ることができるから、その真実は共感をもって伝わるのである。(この手法により、多くの詩文『遍照発揮性霊集』(空海文集)が生まれ、また、宗教上執り行なう儀式の奥深い技法も生まれている。空海のよく引用する荘子の寓話も、この手法に近い。そこには、ヒトが知覚によって捉えたモノ・コトのイメージによって世界は成立しているのだから、その原初イメージを描写することによってのみ真実は伝わるとする荘子の姿勢がある。論理とはそのイメージの論評に過ぎない)
さて、『声字実相義』の「形象の四つのすがた」の章の3、共生の事象の項に、"いのちと自然"のあるがままのすがたを記す、次のような一文がある。
「そのとき、あらゆるいのちと自然が調和し
等しく生きるあるがままの世界があらわれると
いのちの住みかである地上は平らとなり
手のひらの上にすべてがあるかのように見えた。
山々は、金・銀・琥珀にあふれ
大海は、真珠と珊瑚によって満たされ
谷には、甘く・冷たく・やわらかく・かるく・清く・臭くなく・喉ごしよく・何一つ
悪いものを含まない水が湧き
その水のほのかなよい香りが山野に広がっている。
空には、数えきれないほどの美しい鳥が飛びかい
それぞれの鳥がみやびな声でさえずり
野には、季節の花が咲きみだれ
森には、みどりの木々がほどよく、こんもりと茂っている。
山野の発する音色は無数の楽器となり
自然と調和するリズムを奏で
その妙なるメロディーに
ヒトも耳を傾け、聞き入っているー
(今、)はかり知れない多くのいのちをもつものたちが
その太古より生きてきた道をふり返り
互いに連鎖することによって築いてきた美しい自然の家に
それぞれがそれぞれの固有の部屋をもっていることを慈しんでいる。
そこに、いのちの座があり
その座は、自らの生きる道を無心に引き継いできた
すべてのいのちのもっている"知"のちからによって
獲得されたものである。
いのちの宇宙は
世界に大きく広がった蓮の花のようー
そのなかで、あらゆるすがたをもついのちが
安心して住んでいられる。」
空海の洞察した、いのちと物質によって形成される美しい自然界を詠った詩文である。
「自然界は、生命圏としての成り立ちをもち、その中で、さまざまな生物の種が生きている。それらのいのちのすべては、親があることによってこの世に生を受け、地上に住み場所を得、生きとし生けるものの相互扶助のはたらきと、そのはらきにしたがういのちの原理によって生かされている。その原理を司っているのは、いのちの有している"知"(根源の意識:神経細胞のもつ、環境に調和すべくプログラムされているはたらき)のちからである。そのおかげで、あらゆる生物が無心にして環境を住み分け、共に生き、安住できる」と今日からは読み解ける。
また、"知"のちからについて、同書に以下のようにも記している。
「ときに、すべての生物のいのちには、共生し、生存するための共通の"知"のちからによって発揮されるはたらきがそなわっている。一に、無心に衣食住を得るはたらき。二に、すべての生物と連鎖することによって生きていることを無心にして自覚するはたらき。三に、(生物学的にいう、種の)無垢の個体としてのはたらき。四に、(それぞれの種の個体のもつ)知覚のはたらき。五に、(その知覚力によって)観察・学習・記憶・伝達するはたらき。六に、知覚力によって感知する苦を克服するはたらき。七に、無心に道を求めるはたらき。八に、他に対する不動の慈しみのはたらき。九に、無心に尽くすはたらき。十に、無心にして、あるがままに生きるはたらき。の十の"知"のちからのはたらきを身に付けているあらゆるいのちが、自然の中で共に生きるとき、そこに、限りないいのちのすがたが、色とかたちとうごきとなって現れ、世界を美しく彩っている」と。
あらゆるいのちが、生の局面に対して、十の"知"のちからのはたらきを無心に発揮していることを、ここでは述べている。そのいのちの一員でもあるヒトが展開している知性は、この十のはたらきの内、五番目の「観察・学習・記憶・伝達するはたらき」の言語と論理によるものであり、その展開によって、社会をリードしているが、そこからは生きていることの本質がごっそりと抜け落ちている。無心にしてもつ、あるがままの十の"知"のちからのはたらきを発揮し、ヒトも生きなければならない、と空海は説く。
その無垢なる"知"をエミシの末裔であるアイヌは伝承していたー
(2)日本の先住民族アイヌについて
日本の先住民族であるアイヌ(人間という意味)について、G8サミット市民フォーラム北海道のパンフレットに以下のように記されている。
「この島にいつからアイヌ民族が住み始めたかは、はっきりしませんが、アイヌ文化が成立したのは12、3世紀ではないかと言われています。その頃、アイヌの人たちは漁労や狩猟、植物採集を主な生業にし、交易も行なっていました。アイヌの人たちはこの島を、アイヌモシリ(人間の静かな大地)と呼んでいました。
15世紀に入ると、昆布やサケ、ニシンなどの交易を目的にアイヌモシリの南部に日本人が住むようになり、アイヌ民族を支配するようになりました。この支配に対し、アイヌ民族は1456年"コシャマインの戦い"、1669年"シャクシャインの戦い"、1789年"クナシリ・メナシの戦い"と三度にわたって戦いを挑みましたが、(和睦時に交わした話し合いによる信義は必ず守らなければならないとする掟をもつアイヌに対し、そのような純化されたこころを形成するに至っていない複雑な文化をもつ相手によって:筆者)結局は敗れ、日本人の強権的な支配の下で暮らさざるを得なくなりました。
1869年、明治政府はアイヌモシリを北海道と改名し、一方的に日本の一部に組み込みました。そしてアイヌ民族の言語や生活文化を禁じ、同化政策を推し進めていきました。その結果、困窮に陥ったアイヌ民族を保護するために"北海道旧土人保護法"を制定しましたが、この法律は、アイヌに定着農耕を強制し、日本語による教育などを通じて日本人化を進めるものでした。この法律は、アイヌ民族からの撤廃の声があがっていたにもかかわらず、1997年に"アイヌ文化振興法"が成立するまで残っていました。
アイヌ民族は、アイヌが日本の先住民族であることを日本政府に対して求めてきました。しかし、日本政府はこれまでそれを否定してきました。
2007年9月、『先住民族の権利に関する国連宣言』が採択されるに至って、日本社会の中でもアイヌ民族の先住権を認めようという動きが強くなり、2008年6月、国会で"アイヌ民族は日本の先住民族である"ことが満場一致で決議されました。
この決議を受けて、北海道、アイヌモシリがどう変わっていくのか、世界の人たちが注目しています。」
このアイヌの人たちが、日本列島の北端のエリアで独自の言語をもち、日本人とは別の生活文化圏を築いていたことは、今日では誰もが知っていることである。
その文化は、文字をもたなかったアイヌにとっては、アイヌ語の口承によって受け継がれてきたものであり、そこに無垢なる"知"のちからの伝承を見ることができる。なぜなら、文字になったモノ・コトは、その文脈といった論理性により、大脳のみによって理解されることになり、文字の伝える概念の限界とともに、論理の整合性に合わないものは記述できずに、前もって切り捨てられているし、おまけに、書き手の勝手な価値観にもとづく世界が入り込んでいる。それをヒトビトは知性と呼んでいるのだが、この知性によっては、モノ・コトの本質はその本質から遠ざかってしまう。だから、そんな余計なものをもたない文化の方が、より自然やモノ・コトの本質を口承によって伝えきたと思えるからだ。
その"知"は、アイヌの自然の神々や英雄の物語、それに昔話として幾世代にわたりアイヌ語によって伝えられてきたものだが、近代になって、地球上の文化の多様性を調査するヒトたちによる学術的なはたらきかけもあり、アイヌ民族自らの手で、その文化を広くヒトビトに伝えるために、ローマ字表記により記録されることとなった。
さて、それらは文字によって知る、生きる本質の理解となるが、そのことによって、知性を補完している"知"のちからの存在にヒトビトを気づかすことになったのなら、それはそれで、自由な気風を息吹とした1920年代の功績である。
以上のことを背景として、以下の章では、「アイヌに生まれ、アイヌ語の中で育ったわたしは、雨の宵、雪の夜、暇あるごとにみなが集い、わたしたちの祖先が語り興じた、いろいろな物語の中から、ごく小さな話(短編)のものを拙い文ですが執筆してみました」という、知里幸恵さん著訳による『アイヌ神謡集』や『ウウエペケレ』(昔話)と、アイヌ民族、萱野茂さんの綴ったアイヌの故郷、"二風谷のくらし"、それに、アイヌの生活文化を知ることのできる展示資料と、その風土などをふまえて、世界の先住民族にみられる自然と共に生きる知恵の言葉にも学びながら、空海の説く"知"のちからとアイヌ民族の有してきた"知"のちから、それに今日の生態学的にとらえた"知"のちからの原型を比較し、その共通点を探ってみたい。
(3)"知"のちからの原型
まず、空海の説く"知"のちからの理念と、アイヌの"知"のちからを比較するまえに、ヒトは自然と共に生きることによって、先史以来、暮らしを築いてきた訳だから、その生活の原点に立ち戻ってみれば、そこに"知"のちからの原型があるのではないかと思う。
そこで、生態学的にみる、ヒト科社会の普遍的な"知"のちからをまとめておこう。
1 自然(地形・気候・土壌・水質・空気)を空間として、あらゆる生物がそこに住みつき、無機的自然と生物(動物・植物・微生物など)の織りなす世界を築いている。それを景観という。その景観の中に、ヒトも住む、住まわしてもらう。その景観への順応が第一の知のちからである。
2 景観の中でヒトは生活する。生活するということは、あらゆる生物と同じ空間の大気 によって呼吸し、地球の自転にともなう二十四時間リズムに合わせて、活動と睡眠を繰り返すことである。その生活にあたって、昼夜の明暗による美しい景観があり、それらのダイナミックさとくつろぎの静けさは、ヒトビトに日々の安らぎと感動を与えることになる。ここまでは第一の知力の延長でもある。そして、きれいな水を得て、食物を生産・収穫し、それらを体内に摂取してエネルギーを作り出し、仕事をし、愛しあい、子を育て、子孫の繁栄を願う。また、暑さ寒さからからだを守るため、衣服を作る。くらしの便利さを得るため、日用道具や工具を作る。工具によって、住居や畑や道を作る。それらは自然を形成している物質を材料として作る。そのモノ作りによって、ヒトは快適さを得ることになるが、しかし、その材料を調達するために、自然は一部、破壊されることになる。このヒトの行為と自然との折り合いが第二の知のちからとなる。
3 ヒトは、世界を感知し、識別し、それを言葉にできる知能をもつ。言葉によってコミュニケーションを取り合う。世界を構成しているあらゆるものの名称、意思疎通、物語と論理、それに倫理まで、ヒトは言葉によってそれらを仲間に伝え、共有しようとする。そして、共感によって為しとげる。その中味は、話し手の観察力と洞察力、それに学習力と記憶力によって真実味を増すが、その語ることが共感を得るには、余程のからだの身ぶり手ぶりと言葉のひびきと話し手の表情と人格が必要だ。そこから世界の真理と本質が紡ぎだされる。その本質を共有することが第三の知のちからである。
4 ヒトは、からだと個性をもち、その知覚と運動能力により行動する。そして、他と接触する。他とは、ヒト・モノ・コト・空間・社会・情報・自然などである。その関係の中で個人が生きる。生きて時を過ごす。この個体でもって、どう、他と接するのか、それが一人ひとりの所作となる。この所作のあり様には、個人のもつ精神が伴う。それが第四の知のちからである。
以上、四つの"知"のちからの原型を根幹として、ヒトは生きてきた。この四つの知のちからの発揮によって、生活文化は生まれる。その文化は風土と伝統によって作られ、それに他地域に暮らすヒトビトの文化も加わり、変質もする。しかし、文化は文化が生まれるまでのその地での安定した生活の歴史的時間の持続があっての賜物である。そして、自然環境の持続も。住み場所の自然環境を失ってしまうと、風土が消える。風土がなければ文化は風化する。なぜなら、そこにはヒトに知のちからを与えてきた自然と共に生きるあらゆる生物の知のちからが存在しないから、それらとの連鎖によって培われてきたヒトの知のちからによって作りだされた文化は、その必然的な意味も居場所もなくしてしまう。風土という自然との共生があって、ヒトの知のちからは、地域独自の文化を熟成させることができるのだ。
(4)空海とアイヌ -"知"の比較-
空海の教えの根幹は"五智"である。あらゆる生き物の有するいのちの知のちからを五つ、挙げたものである。その内、「法界体性智」(いのちそのものの存在の輝きを示す知のちから)は知を包括するものとしてここでははずし、空海の説く残り「四つの智(知)」の理念とアイヌの世界観にもとづく知を以下、比較することにする。
1 居住環境
○「大円鏡智(だいえんきょうち)」:清らかな鏡に万象が映じるように、無心にして生活できる知のちから。
○アイヌ:自然を映しだす生き物たちのこころによって、世界は生まれた。豊かなこころは豊かな自然によって生み出され、また、そのこころが美しい自然を作っている。そう、ヒトも含めて、あらゆる生き物は自然を映す鏡なのだ。そして、大地は静かである。
2 衣食住の行為
○「平等性智(びょうどうしょうち)」:相互扶助によって生かされている、いのちの平等性を司る知のちから。
○アイヌ:ヒトの衣食住は自然からの借りものである。大切に扱い、そして、御用が済めば、大地にお返しするものである。また、自然からの借りものであるので、他の動物の分まで奪ってはならない。そうすれば、すべては平等である。
3 モノ・コトの本質の共有
○「妙観察智(みょうかんざっち)」:モノ・コトの本質を観察し、その本質を伝え、共有することのできる知のちから。
○アイヌ:万物のすがたにちがいはあるが、よく観察するとそれらはいのちが、いろんな生き物のかたちや自然のかたちを借りて生きているのだと分かる。だから万物同士はいのちの仲間なのだ。そこから、互いに慈しみあうこころも生まれる。そのこころを学び、語り継ぎ、共有しなければならない。
4 からだと精神
○「成所作智(じょうそさち)」:生きとし生けるものに敬意をもってはたきかけ、行動する知のちから。
○アイヌ:生きとし生けるものと自然の要素はすべてカムイ(神)である。豊かな自然の中にいると、それが分かる。それを感じることのできるアイヌ(人間)が、カムイに対して敬意を払わないといったことがあろうか。だから、その気持ち(精神)が自ずと日常の祈りの言葉と振る舞いとなって表われるのだ。
以上のように、空海の説くところも、アイヌのヒトビトの生き方も、その発露となる時代や住み場所による文化の違いはあっても、根源のところでは同じなのである。生きることにおいて、そんなに難しい生き方がある訳がない。ヒトは自然と共にあるがままに生きてきた。そう考えると、結局は同じ"知"のちからを元としているのだと思う。空海の教えの根幹もそこにある。
(5)アイヌモシリ(人間の静かな大地)
1923年に発行された、アイヌ民族、知里幸恵(*)さんの著訳による『アイヌ神謡集』の序文に次のような美しい大地の記述がある。
(*)知里幸恵(ちり・ゆきえ)
アイヌ民族として1903年に生まれる。北海道内の尋常小学校を卒業の後、旭川区立職業学校に入学。1920年に職業学校を卒業後、アイヌの村を歴訪中の金田一京助の勧めもあり、独学でアイヌ語表記のためのローマ字をマスターし、口承によって記憶していたアイヌ神謡や昔話を記述した。1922年初秋、こころざしなかばに、若くして死去。弟は言語学者、知里真志保。
「その昔、この広い北海道は
わたしたちの先祖の自由の天地でありました。
天真らんまんな稚児(子ども)のように
美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは
真に自然の寵児(自然に可愛がられる特別な子)
何という幸福な人たちであったでしょう。
冬の陸(冬の大地)には林野をおおう深雪を蹴って
天地を凍らす寒気をものともせず
山また山をふみ越えて熊を狩り、
夏の海には涼風泳ぐ、みどりの波
白いかもめの歌を友に、木の葉のような小舟を浮かべて
ひねもす(一日中)、魚を漁り、
花咲く春はやわらかな陽の光を浴びて
永久にさえずる小鳥とともに歌い暮らして
フキとり(採り)、ヨモギ摘み、
紅葉の秋は野分に穂そろうススキをわけて
宵までサケとる(獲る)かがり火も消え
谷間に友呼ぶ、鹿の音(鳴き声)を外に
円かな(まるい)月に夢をむすぶ。」
これが、アイヌの住む大地であった。この幸恵さんが記したアイヌモシリの世界、空海が記している"いのちと自然"の調和している世界観そのものである。世界の変わることなき本質がそこにある。