Ⅰ 言語以前の世界
地球上の生物のほとんどはヒト科のような言語をもたなくても生活できている。
鳥やけものや昆虫、それに海のほ乳類は鳴き声を発するが、それはヒト科の言語とは異なり概念や文字をもつものではなく、ひびきの差異の受発信によって本能的にコミュニケーションを取り合うものであり、ヒト科の言語能力に比較すれば、言語以前の言語と云えるものである。しかし、言語以前の言語とは云え、それらの鳴き声によって個体の意思を的確に伝えることができている。
その発せられる鳴き声は、大小の風が物質のさまざまな形状を吹き抜けることによって起きる空気の振動音 (ひびき)であり、そのひびきを生物はからだの各部を駆使して本能的につくりだせるのだ。
ひびきは、ひびきを聞き分ける聞き手があって声となる。その聞き手とは、ひびきをつくりだしている自らでもあるし、その声を受信する他でもある。
この声を進化させ、その音声を細かく分別し、それらを組み合わせて多くの意味を作りだしたものがヒト科における言語となった。ヒトはそれらの意味を学習し、意味を組み合わせて文を綴り、世界観を築き、その世界観によって社会を形成しようとしている。
だが、個体別に感知している世界は、その個体の有する体形や運動能力、それに観察力や感応力や記憶力、それらの差によって生みだされる識別と編集能力のちがいによって、さまざまに異なる。
したがって、一つの言語のひびきのもつ意味もヒトによってさまざまな解釈を生み、築いている世界観も千差万別である。
しかし、その世界の根底には
一に、あらゆる生物が、日の光りの恵みを得て、大気を呼吸し、生きている世界。
二に、あらゆる生物が、住み場を得、地球の自転にともなう二十四時間の明と闇の繰り返しの中で、自然と共に生きている世界。
三に、あらゆる生物が、その固有の存在によって、衣・食・住を相互扶助し、生きることができる世界。
四に、あらゆる生物が、その神経細胞のはたらきによって、学習し、コミュニケーションできる能力をもち、自然界の秩序を保っている世界。
五に、あらゆる生物が、その個体をうごかし、生を謳歌している世界。
という、ゆるぎない世界が実在している。
(だが、その世界は、誰もが本来、有しているものなのに、ヒトのこころがその根底の自覚に至ることは稀である。なぜなら、ヒトは絶えず目先の出来事にこころを奪われているからである。その目先によって、世界観が個々に築かれている)
そうして、その世界の根底によって、あらゆる生物が
一に、生命圏を形成し
二に、多様な種の中で生き
三に、遺伝・繁殖し、種を進化させ
四に、種としてのそれぞれの唯一無二の個体のすがたを存在させ、他と交わっている。
(という、今日の科学が知るところのエコロジカルな世界が成立している)
ヒト科もその生命圏の一員であり、そこに、実在する"世界の本質"があり、それ以外に世界の本質が存在するということはない。
Ⅱ 言語の限界
前記の"世界の本質"によって生かされているヒトビトが、それぞれの住み場(環境)での生活を通じて、ヒト・モノ・コトを目で見、耳で音を聴き、鼻で匂いを嗅ぎ、舌で味わい、手足とからだで触れることによって、その世界を感知していることになる。
感知したことは、イメージとなり、そこに情動(快・不快)が生じ、それがまず、声となった。そうして、ヒトは個々の気持ちを相手に伝えることができるようになった。その便利さを覚えると、感知されたあらゆることが識別され、声のひびきとなって発せられることとなった。
目に見えたものはその形象を分別した言語となり、その他の聴覚・嗅覚・味覚・触覚も感じたことを分別して言語とし、それらを綴って意思が表現されるようになり、そこから論理も生まれ、論理を展開するために概念も生まれ、その概念によって、身勝手な世界観も築かれるようになった。そうして、人間中心主義の世界にヒトビトは迷い込んだのだ。
そうなると、大量に識別された言語が脳に蓄積され、その言語によってヒトは世界を観ることになる。しかし、今日の脳科学によると、言語脳と呼ばれるのは左脳のみに存在し、その対となる右脳では、空間における自己の存在位置を認知しているという。そう、実在する世界が先にあって、その世界を感知することによって言語は生まれたのだ。その世界とは、前述した"世界の本質"である。(その本質からヒトビトは離れてしまった)
Ⅲ 言語以外の伝達手段
さて、ヒトは言語のみでコミュニケーションしているのだろうか、そうではない。絵や図(イメージ・今日では映像) /象徴となるものによる喩え/モノ・コトの作用やヒトの行為と共に、言語(数量と文字)もあり、それらのメディアを多用して、世界は分析・表現され、伝達されるのだ。そうしてこそ、左脳と右脳は一体化し、存在の"場と意味"が成立することになる。(空海もそれらのメディアによって世界は表現されるとした。そうして、作成されたものがマンダラである。今日の情報化社会のマルチメディアに類似するものであるが、決定的にちがうのは、空海がそれらのマンダラのすべての中心に、前述した"世界の本質"を置いたことである。そこに空海の教えの根幹がある)
いずれにしても、あるがままの実在する世界が先にあって、ヒトも存在できる。個別の識別によって存在できるのではない。その実在する世界の本質をヒトがどう包括的に捉え、どう表現できるかによって、世界観が決まり、ヒトの立ち位置も決まる。
Ⅳ 識別の超克
言語による識別によって、ヒトは惑わされることになったが、識別がなくても世界は初めからそこに実在し、その中でヒトも他の生物と共に生かされている。この根底の自覚がなくては、世界を個別に識別してみてもそこに生まれるのは執着だけである。そのことを最初に説いたのがブッダ(紀元前五世紀・仏教の開祖)である。
それがあるからこれが生じる。<縁起の法>
それがなければこれは生じない。<縁滅の法>
これが生じなければそれはない。<悟り>
つまり
識別があるから情動が生じる。
識別がなければ情動は生じない。
情動が生じなければ執着はない。
その七百年後に情動をなくするには、識別によるモノ・コトの存在の有無を考察する必要があると思い立ったのがナーガールジュナ (紀元二世紀・大乗仏教の論者)である。その考察『中論』によって、存在の有無は識別できない(有るとはいえないし、無いともいえない。そのようにしか識別できない"空観"の中にヒトは存在し、生きている。つまり、言語によっては、存在を論理的に実証できない)と説いた。
その七百年後に空海(九世紀・インド伝来の密教第八祖)は、上記、両者の説くところを学び、以下のような悟りの哲学に到達した。
なんと大空はひろびろとして静かなのだろう
万象をその空間に一気に含み
大海は深く澄みとおり、一つの水(水の元素)に千品を宿している。
このように一は無数の存在の母である。
空間は現象を生じるための基(もとい)である。
(中略)
空間があるから存在があり、存在があるから空間がある。
存在の諸相は(ナーガールジュナによって)否定されても、現象と空間はそのままにして存在する。
だから、存在は(識別によっては)空相であり、空相であるものが存在する。
(その空相であるものが本来の無垢なる世界である)と。
(空海著『十住心論』第七住心より)
こうして、空海は言語による識別を超克する "絶対自由の空"を自覚した。(言語による識別によっては論証できない存在世界、つまり、空の世界を、あるがままの実在する世界として認め、空であるからすべてが生起するとした)
ブッダが最初に説き、ナーガールジュナが考察した"空観"は、空海哲学によって乗り越えられ、実存する空へと変換したのだ。
その自覚をもとに空海は、言語による自由な創造へと向かった。その創造とは、一つは、識別を外したサンスクリット語によるひびきの感知と、そのひびきによる無垢なる存在の場(空間)の創出であり、一つは、存在の場の豊かな風情を描写する、韻(いん:つまり、ひびき)を踏んだ詩文(漢詩)の創作である。言語を識別の羅列から解き放ち、右脳・左脳による立体的な言語へと飛翔させたのである(そこには"場と意味"が同時に現出する)。そうすることによって、言語はその識別による平面的な想念や論理の枠を越え、言語以前の世界に横たわる"世界の本質"をも包括することのできる豊かなメディアとなる。
空海の実践した言語の"巧み"である。
その巧みは、言語にとどまらず、実在する空間にも展開され、山林開発から寺院建築、灌漑事業としての貯水池の築造、港湾施設にまで及んだ。空海哲学からすれば世界は"絶対自由の空"であり、何処にも障害となるモノ・コトはなく、意思さえあれば、すべては実現可能な事柄であったのだ。(近代の思想と同じである)
ここに、存在と言語から出発したブッダのこころの哲学は、"生命世界の本質"を理念としたすべての生きとし生けるものの空間的な共生の哲学として、空海によって帰結した。(その世界観は、千二百年後の今日尚、わたくしたちが目指すものである)
あとがき
しかし今日、言語は、情報化社会の波に飲まれて、より陳腐な識別のみによって綴られ、ヒトの空間的な存在は失われ、右脳の所在はなく、ヒトの立ち位置である足場は失われてしまった。つまり、実在する世界から離れて、言語による識別よってのみ構築されたさまざまな平面的な世界が一人歩きしているのである。脆弱なままの言語に頼り、ヒトは左脳に軸足を置いて生きようとしている。そのことによって、ヒトの住み場となる世界の無謀な環境破壊が起きている。情報化の中心に "生命世界の本質"が置かれていない結果である。そのことを空海は予見していた。わたくしたちは今、空海哲学に学ばなければならない時代の只中にいる。