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スカラベの愛 三島由紀夫と密教(4)

三島由紀夫の仏教

では三島にとって仏教は無力であったのか。私は無力だったというよりも。三島自身が最終的に仏教を拒絶したように思えてならない。ただし、『豊饒の海』の最終巻『天人五衰』の構想ノートを見るかぎり、三島は一時的にしろ、仏教の門前に佇み、生死の狭間に立っていたのではないかと推測させられるのである。

第四巻の『天人五衰』は、次のような大団円で終わるはずだった。

「第四巻―昭和四十八年。本多はすでに老境。(略)ついに七十八歳で死せんとするとき、十八歳の少年現れ、宛然、天使の如く、永遠の青春に輝けり。(略)この少年のしるしを見て、(しるしとは転生した各巻の主人公に共通した三ツ星の黒子:注筆者)本多はいたく喜び、自己の解脱の契機をつかむ。(略)本多死なんとして解脱に入る時、光明の空へ船出せんとする少年の姿、窓ごしに見ゆ」

このエンディングではまさに無余涅槃(むよねはん)の悦びを象徴的に描こうとしていることがわかる。第三巻『暁の寺』が発行されたのが昭和45年7月10日。自決の4か月以上前である。このとき第四巻の三島の創作ノートでは、本多(三島)は昭和48年まで生きて解脱を迎えることになっている。私はこの時期が、三島が仏教による救いを観想した頃ではなかったかと思う。

だが一方で三島はこのときすでに4か月後の11月25日の自決の日を定めていた。1970年のこの日は旧暦の10月27日であり、吉田松陰が処刑された日である。「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」という松陰の気持ちはそのまま三島の気持ちでもあったのだろう。

そういう思いを抱きながらも『豊饒の海』を構想ノートのような明るい結末にするか、それとも悲劇的にするか、一瞬躊躇したのではなかろうかと想像する。だが結果的に三島は仏教を手放した。

実際に書かれた『天人五衰』の結末は、構想ノートとはまったく異なるものになっている。解脱の希望など微塵もなく、底知れぬニヒリズムのみが語られている。それは本多の80年の人生をすべて無化する恐ろしい虚無である。底なしの虚無そのものが結末である。三島がいかに認識の無間地獄であえいでいたかがわかる。

最終巻のラストシーンは本多が奈良の月修寺の門跡となっている聰子を60年ぶりに訪ねる場面である。『春の雪』で聡子と清顯の密会を陰ながら支えた親友本多邦繁が、聰子に清顯の転生の物語を情熱的に語り聞かせる。そして転生を見守り続けてきた本多が最後にたどり着いた世界とは・・・。

月修寺の北向きの小庭に面した客間は、障子が開け放たれている。本多が案内された客間は、まさしく60年前、本多が先代の門跡に引見された部屋であった。白衣の御附(ごふ)弟(てい)に手を引かれて現れた現在の門跡は、まぎれもなく83歳になる聰子だった。

その松枝清顯さんといふ方は、どういふお人やした?」本多は呆然と目を瞠いた。

(中略―ここで本多は清顯の聰子に対する思いと、その清顯が次々と転生していく60年の時間を情熱的に物語る)

「えろう面白いお話やすけど、松枝(まつがえ)さんといふ方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違ひでっしゃろ」

「しかし御門跡は、もと綾倉(あやくら)聰子(さとこ)さんと仰言いましたでせう」

と本多は咳き込みながら切實に言った。

「はい、俗名はさう申しました」

「それなら清顯君を御存じでない筈はありません」(中略)

「いいえ本多さん、私は俗世で受けた御恩は何一つ忘れません。しかし松枝清顯さんという方は、お名前をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違ひますか?何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやつて、實ははじめから、どこにもをられなんだ、ということではありませんか?お話をかうして伺ってゐますとな、どうもそのやうに思はれてなりません」

「では私とあなたはどうしてお知り合ひになりましたのです?又、綾倉家と松枝家の系譜も残ってをりませう。戸籍もございませう」

「俗世の結びつきなら、さういふものでも解けましょう。けれど、その清顯といふ方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお會ひにならしやつたのですか?又、私とあなたも、以前たしかにこの世でお目にかかったのかどうか、今はっきりと仰言れますか?」

「たしかに六十年前ここへ上がった記憶がありますから」

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」

「しかしもし、清顯君がはじめからゐなかつたとすれば」と本多は雲霧の中をさまよふ心地がして、今ここで門跡と會つてゐることも半ば夢のやうに思はれてきて、あたかも漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去ってゆくやうに失はれてゆく自分を呼びさまさうと思はず叫んだ。「それなら、勲もゐなかったことになる。ジン・ジャンもゐなかったことになる。・・・・その上、ひょっとしたら、この私ですらも・・・・」

門跡の目ははじめてやや強く本多を見据ゑた。

「それも心々(こころごころ)ですさかい」

すでにあまたの三島論で引用された最後のフレーズは、奈良の郊外、山裾にある尼寺月修寺の庭園を眺める本多の、この世の認識で終わっている。

「何一つ音とてなく、寂寞(じゃくまく)を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。」

庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。・・・・

これが三島が5年かけて執筆したライフワーク『豊饒の海』の結末である。私はここに認識の世界から脱しきれない三島を見た思いがした。「色即是空」の虚無感から脱していないのである。それは唯識にも裏切られる三島の逆説である。いや、三島が唯識の基本的なメッセージを読み落としたのかもしれない。

原始釈迦仏教は無明から出発するが、アーラヤ識に蓄えられるカルマによる種子は悪いものばかりでなく、覚った人間のサトリの種子ともなる。それが次に輪廻することによって、新たな命となって転生する。つまりからも出発できるという希望もあるのだ。

真言はもと言なし、大悲をもって胎蔵となし、阿字をもって種子とす (空海)

だが、小説で描かれているように、実際の三島の死には全く救いがなかった。一般的な自殺は死ぬことで癒しを観念するが、三島にはそれすらなかった。芥川龍之介と同じで、死んでどうなるのか、その先が全く見えない孤独な死であった。

最終巻の原稿を出版社に渡した後、彼は市ヶ谷の自衛隊において自刃した。腹に刀を突き立ててまで幻のような「生」に現実感を得ようとしたのなら、これほど痛ましい生の証明はあるまい。三島が輪廻転生にあれほど強い関心をもったのは、もしかすると一瞬「ふつうの人間」として転生する夢をみたとも考えられる。

『羅生門』のラストで「黒洞々たる夜があるばかりである」というのも、『トロッコ』の最後で「そのときの薄暗い坂の路が一筋断続しているのであった」というのも芥川の暗黒の心象風景である。究極の絶望とはこのことではないか。

自殺した芥川の枕元には『聖書』が置かれていたという。三島もまた仏教の門前に佇んだ。しかし二人は自殺した。それもこれも私には密教的世界が実感できなかったことが根本的な原因ではないかと思われるのだ。

自衛隊を退官して以来、私の半生を通して心の底にシミのように残っていた市ヶ谷の事件は、空海の密教に出会うことで消えていった気がする。三島を思想的に乗り越えさせ、心を解放させてくれた人は空海であった。そして再び高野山大学で三島を考え直す機会を得た。であるなら、三島の心に寄り添ってきた者として、彼の「死」の真実をありのままに受け止め、そして返答する責任があると思う。

「スカラベの愛」と「密教の愛」との違い

三島は『葉隠とわたし』(1967)で、『葉隠』は生きる力を与えてくれる「生の哲学」であるというが、これは『葉隠』が「死」を基点にして「生」を語るからである。「死」と隣り合わせの武士の緊張感が日々の「生」を充実させるという逆説である。

確かに彼のいうように、死を忘れた現代人にとっては「生の哲学」になりうる場合もあろう。しかし密教には三島のように「死」の覚悟の逆説として「生の哲学」を生むという考えはない。ここがスカラベの愛密教の愛の違いである。

密教に生きた空海は、生きている間は「生」を愛し、死ぬときは「死」を愛す。つまり生死の比重は常に同じである。生老病死いずれも同じ比率で愛するのである。わかりやすくいえば、自然の法則をありのまま受け入れるのである。真言宗では法爾自然(ほうにじねん)という。もっと端的にいえば、地球上の自然、それを生み出した宇宙の法則を受容するのが密教の愛であるといえよう。

これが当たり前に実感できるのは理屈ではない。宇宙の中に存在している実感さえあればいいのである。自然と共に生きている、この実感に敏感な民族が日本人である。だから日本人は自然と一如なのである。

極論すれば三島は生きている時は「死」を愛し、死ぬ瞬間に「生」を愛する、あるいは「生を確かめる」という生き方をした。彼が『葉隠』を座右の書としたのはそのためであろう。つまり生老病死のうちの「死」の偏愛である。自らのこの資質を、武士という行動者であろうとすれば、老いるまで生き延びることは論理的矛盾であると、三島はそのように自己の「死」を正当化したのである。

ならは武士にとって討ち死にか切腹が理想的な生き方となる。いずれにしろ「老」「病」を受容すれば事は果たせない。しかし斬り死であろうと自刃であろうと突然死にはかわるまい。私は生命の流れを突然絶つ死に方はやはり異状死であるといいたい。

以前に「人を殺してなぜ悪い」という若者の問いに答える特集があった。有識者がそれぞれの意見を述べるが、大人として若者に示しうる統一見解というものは結局誰からも出されなかった。しかし密教には統一見解があると思う。

空海は殺人も自殺も否定するだろう。それは法爾自然ではないからである。ではなぜあるがままの自然の法則に反することがいけないのか。これに答えるのが密教である。

『即身成仏義』の中に、諸(もろもろ)の顕教の中には四大等をもって非情とす。密教にはこれを説いて加来の三摩耶身(さんまやしん)とす。と説かれている。一般の仏教では四大等を非情、つまり「いのち」をもたぬ物質と見る。密教ではそれを大宇宙の「いのち」の象徴と見做すのである。

宇宙と自分は地・水・火・風・空の相似(五大成身)であり、識大を加えた密教の六大は、宇宙を構成する大日如来の個々の象徴なのである。ということは、自分は宇宙全体の大きな「いのち」の一部であり宇宙秩序の一部でもあるということだ。

宇宙は生成消滅を繰り返しながらより高度な秩序に向けて自己組織化をしていると科学者はいう。宇宙は本不生であるが、森羅万象、時々刻々変化し、歴然として調和を保とうとしている。秩序立てている。人間も宇宙秩序の一部なら、宇宙秩序に則って生きることが原理的に宇宙の調和に沿うことになるのだ。

生老病死は生命の秩序である。諸行無常に見えるが、それは宇宙的生命エネルギーの変化の秩序である。つまり自然死が秩序であるなら、殺人や自殺という人工死は原理的に宇宙の秩序と調和を乱すことになる。だから「人も自分も殺してはいけない」のである。

これは人権やヒューマニズムではない。世俗の倫理や道徳を超えた宇宙的倫理である。これが密教愛(宇宙愛)であり、「人を殺してはいけない」と考える私の、大人として若者に答えたい密教的統一見解である。

宇宙的倫理を仏教的にいうなら『大乗起信論』に説く如来蔵を指す。すべての存在や事象は「真如(如来蔵)」が縁によって顕れたものならば、当然人間も如来蔵=仏性を有す。つまり殺人は「仏殺し」になるのだ。だから人も自分も殺してはいけないのである。これもスカラベの愛と密教の愛の違いであると思う。

私が先にこのような説明をしなかったのは、無宗教者や異教徒には、「仏殺し」という表現が仏教者の思想だと矮小化されるおそれがあるからだ。だから宇宙秩序・宇宙的倫理・密教愛などという仏教用語以外の言葉を使ったのである。

ちなみに「仏殺し」は「悪人正機説」の親鸞が生涯悩んで格闘した問題でもあった。(『大無量寿経』第十八願・五逆と誹謗正法による悪人救済排除規定

三島由紀夫の秘密

思えば三島由紀夫は後世の私たちにさまざまな課題を遺している。憲法改正、安全保障など国防に関するものから、日本人として守るべきもの、美とは何か等々、文学・芸術・哲学・宗教など広域にわたる。

三島は日本人の守るべきものをこのようにいう。

「日本文化を守ることは、天皇を守ることに帰着するのであるが、この文化の全体性をのこりなく救出し、政治的偏見にまどわされずに。『菊と刀』の文化をすべて統一体として守るには、言論の自由を保障する政体が必要で、共産主義政体が言論自由を最終的に保障しないのは自明のことである。政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである。では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである」(『反革命宣言』1969)

上記の三島の言葉からもわかるように、三島の文化防衛論はあくまでも大衆社会に迎合するポピュリズム(衆愚主義)に立ちはだかる天皇である。美の象徴としての天皇であり、『文化防衛論』である。

しかし三島の思想と行動の文脈をつぶさにひもとくと、三島が守りたかった日本、あるいは自分がなりたかった日本人とは、究極的には密教そのものだという結論に辿り着く。意外と思われる向きも多かろうが、三島の得意とする逆説の文体で解読すれば自ずと謎は解けてくるだろう。

三島は何ゆえ古神道を語り、天皇を語り、武士に憧れるなど極端に日本的なものに突き進んでいったか?逆に考えれば、自分がそれらから最も遠い存在であったからだと理解できるのである。

「自分は生まれつき言葉に蝕まれた存在である。日本人ならだれでも言葉の介在しない領域で存在できるのに自分にはできない。日本人なら自意識がなくてもやすやすと入っていける自然との一体感、五感の世界から自分は疎外されているのだ」これは裏を返せば密教が実感できないという内容である。

例えば西行法師が伊勢神宮で「何ごとかおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠ずるとき、この「何ごとか」は姿も音も匂いもなく、言葉でも言い表すことができない.だが確かにそこに「かたじけない」気配を感じる。それが伊勢神宮の神霊だとすれば、ここに神の言葉はない。日本人には神の言葉を聞かずとも姿を見ずとも神秘的な何かを感じるところがある。

この感覚は言葉ならぬ言葉、すなわち如来の秘密語をキャッチするような感性でもあろう。これが素朴な日本人にそなわる密教的・霊的感覚であるが、三島はいわばその部分に味覚障害を起こしていた。しかもそのことをだれよりも知悉していたのは三島自身である。

三島文学が論理的に洗練されて理知的であることも、どこか人工的であることも、装飾的で舞台芸術的であることも、それらすべては自然と交流してきた日本人の密教性、縄文的な土俗性の対極を思わせるところがある。

キリスト教は「はじめに言葉があった。言葉は神であった」と言葉が先行する。言葉が人間に神の存在を自覚させ、言葉が神を形づくるのだ。これは「存在」を言葉によって形象する三島の世界に似てはいまいか。

ということは、三島が熱烈に憧れ、死を賭してまで守ろうとした本質は日本人の民族性、いわゆる民族的無意識であることがわかる。であれば、現代の我々が三島由紀夫の死から改めて学ばされるものは密教の本質についてであり、ここから彼の遺した課題を考えなければならないだろう。

ここまで考えると、スカラベの鎧の下に、三島が最も隠したかったものは「身分は密教的ではない」「自分の本質は日本人ではない」という、究極のコンプレックスであり羞恥であり悔恨ではなかったかと推測できるのだ。三島にとってそれは懺悔すべき罪の意識でもあった。

これがスカラベの甲冑に隠された三島の、決して見抜かれてはならない究極の秘密であり絶望であった。そしてあえて「唯識まで」でとどまり、密教に進もうとしなかった悲しい理由ではなかったか。

これまでの夥しい三島論の中でこのような見方をしたのは、おそらく私が初めてであろうと思う。多くは三島の死を『葉隠』に準えた武士道のニヒリスティックな死と見るか、思想的には軍国主義的な文脈で語られている。しかし、三島をそのような文脈で論評することは、三島にとって痛くも痒くもあるまい。なぜなら大いなる誤解だからである。

多くの三島研究家が語っているように、三島は自己韜晦の人である。死後、世間が彼を日本人論ないし日本文化の思想系列で論評することや、あるいは政治的な死ではなく、文学上の死だとか、中には芥川や太宰と同じく、ただ異常性の高いだけの死などと論評することを三島は夙に見通していた。

誤解の上に立つ論評。それこそが彼の仕組んだであった。三島の「思うつぼ」にハマったのである。何故なら、それらの論評はすべて自分を日本人として論評してくれているからだ。これが三島の狙いであった。三島は・・・、そのように演じたのだ!

三島は幼児期にすでに自分が何者であるかうすうす気がついていた。

私は一人の男の子であることを、いわず語らずのうちに要求されていた。心に染まぬ演技がはじまった。人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうとする要求の表われであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解しはじめていた。(『仮面の告白』)

ここで語られる私の本質とは、松旭斎天勝やクレオパトラの扮装慾のことである。母親の一番きらびやかな着物をぐるぐる巻きにし、顔には薄く白粉を塗り、「天勝よ、僕、天勝よ」といって無邪気にはしゃぎながらそこら中を駆けまわる場面がある。

しかしふとした加減で、私は母の顔を見た。母はこころもち青ざめて、放心したように坐っていた。そして私と目が合うと、その目がすっと伏せられた。

私は了解した。涙が滲んで来た。

何をこのとき私は理解し、あるいは理解を迫られたのか?「罪に先立つ悔恨」という後年の主題が、ここでその端緒を暗示してみせたのか?それとも愛の目のなかにおかれたときいかほど孤独がぶざまに見えるかという教訓を、私はそこから受けとり、同時にまた、私自身の愛の拒み方を、その裏側から学びとったのか?(同前)

この扮装慾は後年、"人の目に自然な私と映るものこそ私の演技である"ところの「武士」に姿を変えるのだ。だから三島はこの誤解を喜ぶ。武士でもない、まして日本人でもない自分を隠しおおせたからだ。

三島はエッセイか何かで「愛される人間には決してなりたくない」と語っている。スカラベの愛は、愛を拒むことでもある。にもかかわらず三島は愛を求めていたというのが私の三島論である。実に痛々しい三島の孤独はそこにある。三島は死してもなお仮面を被り続けている。しかしそこに救いはないのだ。

彼は「強くなりたいという格率にひかれて」懸命に肉体を鍛え現実の存在になろうとした。しかし室内でボディビルや剣道などしなくても自然の中に飛び込めばよかったのである。登山でも身体は鍛えられる。アルピニストになって大自然の中で、満点の星空を仰いで一週間も一人でテントを張れば感じ方も変わったのではないだろうか。

石原慎太郎はヨットを趣味にするが、海はときに命の危険と隣り合わせである。登山にも危険は伴う。そこに命は実感されるはずである。

おそらく空海ならば、「言葉の天才三島」の苦悩を救済できるであろう。空海は何も理屈はいうまい。黙って三島に寄り添うであろう。そして三島と山に登り風の声を聞くだろう。海辺で焚火をしながら波の音を聴くだろう。そして三島にこのように言う。

なんじ来たりて道を問えども、道はもとより名なし。理の正邪を論ずれども、理は言絶にあらず。(『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』空海)

そのあと三島ときっと大空を仰ぐだろう。そして大音声で叫ぶ!五大に響きあり、十界に言語を具す。六塵は文字なり、法身は実相なり。(『念持真言理観啓白文』空海)

遍路が何十回も四国を回るのは宗教的な理屈ではない。ただ「お大師さんに会いたい」からである。だから真言宗徒だけでなく、他宗の信者もクリスチャンも、無宗教者まで遍路をする、一度回ると又行きたくなる。人生に迷ったり、辛くなったり、虚しくなったり、嬉しいことがあったとき遍路に出かける。

そして「お大師さんに会いたかった」と異口同音にいう。四国の空と海と風の中で、遍路は弘法大師の息吹に触れて蘇えるのだ。三島に弘法大師の優しさを伝えたかった。

三島の遺した課題―世界文化防衛論―

三島の『文化防衛論』に対して批判的評論は多いが、彼の思いを深める論文はあまり見当たらない。しかし三島の『文化防衛論』をもう一歩深めれば、新たな世界観が拓けてくるのだ。それは三島の「日本一国」の防衛論をはるかに超越するものである。私は『世界文化防衛論』という第二の『文化防衛論』を提唱したいと思う。

例えばユネスコの世界遺産条約は、「国家・民族・宗教等の対立を超え、人類が互いの多様な文化を尊重し合い、世界平和を実現するためのツールである」といわれもするが、現実の世界はどうか。パワーポリテックが支配する国家エゴの対立や紛争が絶えることはない。つまり世界遺産条約は、必ずしも世界平和のツールになっているとはいいがたい。

昨年IS(イスラミックステート)がユネスコの世界遺産に登録されているパルミラ遺跡を支配下に置き、貴重な神殿を爆破するなど大規模な文化遺産破壊を行った。こうした文化遺産の破壊は他のイスラム過激派にも例は多い。最近ではアフリカ・マリの都市トンブクトゥの霊廟が破壊された。何よりわれわれの最も記憶に残るのはアフガニスタンで起きた「バーミアン大仏像爆破」であろう。

またイデオロギーも遺産破壊をすることは文化大革命当時の中国が証明している。文革は仏教遺産をことごとく破壊した。中国最古の仏教寺院であった洛陽郊外の白馬寺、及び、後漢時代から残る貴重な文物の数々はことごとく破壊された。山西省代県にある天台寺の1600年前に作られた彫刻や壁画も破壊された。四川省成都市にある蜀時代の城壁は現存する世界最古の城壁であったが破壊された。中国屈指の書道家王羲之が書き残した書も破壊された。あらゆる仏像が破壊され、経典が燃やされた。

このように表面的には国家間の利害の衝突によって起きる紛争の根源には、宗教・イデオロギーが横たわっている。であるなら、世界平和のロード・マップは、反故にされる可能性がある遺産条約よりも、宗教やイデオロギーや人種差別などの克服ではなかろうか。

そしてこれらの紛争はすべて人の心が起こすものである。 歴史と人類社会を俯瞰すると、その実態は、エゴイストが利益の一致・不一致による離合集散を繰り返しながらエゴイストを再生産し続けているばかりである。世界史的にながめても、エゴイストの集団が別のエゴイストの権力集団に交代するだけで、全体は相変わらず力によるエゴイストのピラミッド・システムであった。

一度は希望を抱いた近代理性主義は敗北したのである。理性主義が考えたように、教育によって理性的な人間が増えていけば、全地球規模で「自由・平等・友愛」が実現されるはずだというヒューマニズム的平和主義の行き詰まりが証明されたのだ。

であれば、いま人類がもつべき認識は危機感である。国家や人種を超えた危機感の共有である。国家の対立・核と戦争の脅威、地球の生態系の破壊、人種、文化、性の差別、飢餓と飽食の格差・・・などの問題は、今のままのやり方ではどうにもならないところにきている。特定の宗教や理論やイデオロギーの対立などやっている時ではないという自覚をもったとき、世界文化防衛論という新しい視座が開けてくるのである。

そして危機は二つあるという自覚が必要である。グローバルな外的な危機と、孤立、絶望、憎悪、狂気、エゴイズム等、個人的・内的な危機である。しかもその二つは本質的に同質なのである。個人のエゴイズム→利益集団のエゴイズム→国家や民衆、宗教、イデオロギー集団のエゴイズムがこのままであるかぎり、どんなに策を弄しても破局は避けがたいだろう。

密教的世界文化防衛論

世界の危機と自己の危機とが本質的に等質・相似であるとすれば、世界を救うためにはまず自分が変わらなければならない。まず個があって、それから他者・共同体・人類・生態系・地球・宇宙・・・そして神・仏の世界へとの関係が生まれるのではなく、神仏が先にあり、それに包まれて、各ステージでの関係が生まれ、自分もまたそれらの結び目としての個であるという事実を自覚することである。

つまり主体(自己)があって客体(世界)があるのではなく、主体と客体はもともと融けあった全体であるという自覚をもつことである。自分が変わるとはこの自覚を指す。この宇宙との一体性・同等性という事実の発見こそが密教であり、三摩耶(さとり)である。仏教は西洋のように先に個の存在があって他者との関係を生み出すのではなく、関係が個々の存在を生み出すという縁起の理法をすでに1500年も前に発見していた。

17世紀以来19世紀まで、物質はあらゆる存在の基本であると考えられ、物質界は多数の独立した物体が組み込まれて巨大な機械になったものと見做されていた。この機械論的宇宙論は、部分の総和が全体を形成するという考え方であるから、複雑な現象は、それを基本的要素(部分)に還元し、それらが相互作用をおこす機構を探し出すことによって理解できると考えられた。

しかし20世紀になると、物理学の中でいくつかの概念的な変革が起きた。それは機械論的な世界観の限界を暴き有機的な世界観をもたらした。その世界観は神秘主義的な世界観ときわめて類似したものである。

宇宙はもはや多数の独立した物体からなる機械とは見られていない。それは調和のとれた、不可分の全体なのである。本質的に人間観測者とその意識を包摂する、ダイナミックな関係のネットワークなのである。

このような関係と調和と秩序と自由の躍動する流動的でホリスティック(統合的・全体的)な考え方が密教である。弘法大師空海の最大の魅力はこの統合性と全体性にある。胎蔵界の曼荼羅図は宇宙の真理そのものである法身大日如来を中央にして、無数の菩薩や眷属や冥界の鬼女や地獄の餓鬼まで、多様で異質なものまで描かれている。それによって世界の全体を構造的・図象的・象徴的に表現したのが各種曼荼羅である。

もし、新しい世界観に人類が結集できるとするなら、その可能性が最も高いものが密教的世界観なのである。密教は世界の全ての宗教を包摂して地球、宇宙、万物を活かし守る究極の教えである。密教はキリスト教のゴッドやイスラム教のアッラーのように唯一絶対神とはいわない。彼らのようにそれを「言挙げ」しないのである。

言葉は対立を生む場合がある。言葉が差別と対立の因であるなら、人類は言葉以前の世界に還る必要があるのではないだろうか。言葉を超えて世界の人々とつながるもの、例えば音楽。密教と同じく言葉以前の世界なのだ。見ることも捉えることもできない存在。三島は人々を感動させ連帯させるこの得体のしれない音楽というものの不思議さを語っている。つかみどころのない音楽というものが好きではないと何かのエッセイで書いている。

大学院のころ密教学特殊研究Ⅷ(密教と異宗教)という科目があった。内容は「空海と空海が拠って立つ密教に見られる思想、宗教性、修行や信仰のあり方などに関して、異宗教、特にキリスト教との対比の中から、その特殊性と普遍性を指摘することによって、宗教間の対話を可能にする共通性があることを明らかにし、さらには、高野山が持つ宗教性をも広く普遍的な立場から論じる」というものだった。

担当教官のティエリ・ジャン・ロボアム教授は、高野山在住(当時10年以上)の、空海の原文を読みこなすほど日本語の熟達した密教学研究者であり、本職は敬虔なカトリック修道者(司祭)でもある。講義内容は主にユダヤ・キリスト教についてであった。

私はこの科目の最終試験において、言葉が先行するキリスト教(『聖書』)と言挙げしない日本人の宗教的感覚を論じた。密教は論理的思考を一旦中断させ、言葉以前の世界に意識を集中させる修行をする。三島由紀夫が最も苦手とするそれは、ロゴス(人語)では聴き取れない如来の真実語(如義語・密語)を聴き、交流するためであるといえる。

一方キリスト教はロゴスの世界である。ヨハネによる福音書では「初めにことばがあった」とギリシャ語に訳されているが、この「ことば」という単語は、当時のギリシャ哲学から借りて来た「ロゴス」という哲学用語である。

ユダヤ人の「神の言葉」であるヘブライ語の「ダーバール」に最も近い言葉だと考えたヨハネは、ギリシャ人に解かるようにロゴスという概念にヘブライ的な意味を付け加えたといわれている。つまり神を人格的な意味を持ったものとして新しく解釈し直して、このヨハネ伝1章の冒頭の一節を書いた。(初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった)

『聖書』はギリシャ語によってわかりやすく表現できたことにより世界中の異邦人にも福音を伝えることができた。そのギリシャ語は極めて哲学的な思考を好むヘレニズム文化の中で育った世界中で最も論理的な言語だといわれている。

しかし『聖書』がギリシャ語に翻訳されたころから『聖書』の本質に何か変容はなかったか。私は「ことば」以前にさかのぼれば、理性的、論理的、観念的なヘレニズムよりも、ヘブライズムを想起するのである。『聖書』の原書はヘブライ語である。ヘブライズムは霊的、直覚的、行動的といわれる。すなわちヘブライ語は超論理的なものを表現し、信仰に最もフィットした言葉とされている。

ヘブライズムは神から人への啓示を根幹とする。ヘブライ語の最大の特徴は時制がなく、論理や時間を超越した言葉だといわれる。まさに「ダーバール」はロゴス(人語)ではなく「神のことば」なのである。

このように考えると、もしかすると真言(マントラ)はヘブライ語に近く、如来の秘密語を聴く真言密教はヘブライの神と交差する可能性を秘めているのではないかと思い至る。すなわち密教は「ことば」の根源的なステージにおいて、異宗教ともより深い出会いが可能なのではではないかと論じた最終試験は満点だった。その過大な評価に励まされて私論をさらに展開していきたいと思う。

私の拙い論文がカトリックの神父に通じたのは、密教も神の声を聴くという一点であったように思う。私は世界の宗教について詳しくはないが、それでもノアは神の言葉を聴いてその通りに「方舟」を建造したことや、モーゼもシナイ山で神の言葉を聴いたこと、イスラム教のムハンマドも神の声を聞いた最期の預言者といわれているように、神の言葉を聴くことで共通していることは知っている。

宗教の始原に還れば人類はほとんど共通しているのだ。世界の先住民の宗教観もまたしかりである。例えば北米大陸の先住民族の宗教は自然宗教であるといわれている。人間は自然から生まれ、また自然に還る。自然は人間の創造主であり、神秘に満ちた偉大な存在である。そこには自然に対する畏敬の念、素朴な自然崇拝が存在する。そこには超自然的な力が存在し、生きとし生けるもの、あるいは西欧社会で無生物だと考えられている石や山や川にもスピリットが宿っている。まさに空海の六大説を髣髴とさせる。

世界各地の先住民に共通する世界観は自然を一様に聖なるエネルギーとしてとらえ、大いに敬意が払われていることである。この敬意と崇拝の根源に彼らにとっての「神の声」があるならば、シャーマンすらユダヤ・キリスト教と出会うことができよう。つまり一神教からは邪宗教に見えていても人類の根源は同じなのである。意識の上でそこに還る勇気をもつことだけが地球の危機を救うのだ。

密教は世界の全ての宗教を包摂して地球、宇宙、万物を活かし守る究極の教えである。つまりは密教を守ることが人類文化を守ることになるのである。言葉以前の世界で連帯できるのである。

真言宗の僧侶や密教徒なら自明であるこの密教原理をどのようにして世界に広めるか。それこそが日本人が世界にアピールすべきもっとも日本人らしい貢献ではないだろうか。

繰り返すが「密教」が世界を救うのである。「密教」といえば特定の宗教だというなら、「密教的感覚」といおう。一神教は世界を滅ぼす。一神教の教義が世界を滅ぼすというのではない。一神教のもつ体質が世界を滅ぼすのである。一党独裁の共産主義も同様である。自己を絶対化し異質なものを排除する、そういう体質が人類を滅ぼすのだ。

「全ての道はローマに通ず」といわれたローマ帝国の偉大さは、通常「ローマの寛容性」という言葉で表現される。異質なものを受け入れ、自らの中に取り入れて、国を強くしたからである。「多様性の維持」がローマの繁栄をもたらしたのである。

しかしローマ帝国の末期には、ゲルマン民族に対する排他的な考えが広がり、それがローマを急速に衰退させた。その頃のローマには国教としたキリスト教が浸透していた。こうしてかつての多神教のローマらしさはなくなり、皇帝は唯一の神から授けられた絶対的権威となって、内側から滅びの道に向かっていった。

神仏習合に象徴されるように、異質と多様性によって国を繁栄させるのが上手いのが日本人であった。しかし明治政府は廃仏毀釈を断行し、八百万の神々を、国家神道という疑似一神教にしたこの国家経営は、最終的にやはり先の大戦によって国を滅ぼした。

私には世界を納得させるだけの学識も研究を深める時間もない。しかしこれから育つ真言学僧の方々は、世界の宗教学者だけでなく、言語学者や社会学者や科学者や国際政治学者など幅広い学識者と連携をして、密教が人類の共通の故郷であることを知らしめて欲しいのだ。

人間にとって重要なものは、一神教の精神が根源的に持たざるを得ない競争原理ではなく、密教が持つ共生原理である。関係性、共同性、調和、愛、平和といった密教原理を、人類の故郷回帰によって世界の人々に思い出させてほしいのである。

本当の宗教とは?

私の理想論はナイーブすぎると訳知りの知識人には笑われるかも知れない。宗教はそのようなナイーブなものではない。お前は宗教がわかっていないと。宗教は「恩恵」を与えるとともに、他方ではすべてを「死と滅亡」に導く絶対者の両義性をもっているではないかと。

宗教のもつ両義性は人間の心(悪魔)が生み出したもので、それを宗教と呼ぶならいつでもそこに悪魔崇拝は生まれる。サタンは人間の願い(欲望)は何でもかなえてくれる。そのかわり魂を奪い取る。それが「死と破壊」の意味でもある。

西洋の魔女が願い事をするときイエス・キリストを呼び出すのは、一神教のもつ力が絶大であるからだ。まさに宗教の両義性を利用したのである。それは悪魔と悪魔の「入我我入」である。しかし真の宗教(仏教)は仏と仏の「入我我入」である。だから空海は衆生の仏性を明らかにしたのである。仏教に「死と破壊」はない!

今年の秋、私は数日かけて奈良の大寺・古寺をめぐり、仏法に込めた古の人々の情熱とエネルギーに圧倒されながら、飛鳥時代から江戸時代にわたる国宝級の仏像の数々を具に見て回った。その中でも圧巻はその規模からどうしても東大寺の毘盧遮那(大仏)になるが、宗教のもつ「死と破壊」に関してひとつ気づいたことがある。

宗教に認められるこの両義性について、もとより空海は把握していたと思われたこと。だから奈良仏教を密教化したこと。それは、日本の宗教を「死と破壊」から護り、真の宗教である「生と成長」に導くためである。

東大寺の毘盧遮那(大仏)は真理を身体とした真理そのものであるが説法はしない。東大寺で大仏を眺めていると、大仏は衆生に直に触れ合うことのない、巨大な真理の仏(当体)のようである。

私は、空海の密教とは、いわゆる国家仏教とされるその毘盧遮那に命を注ぐことだったと思い至ったのである。もっと言えば、空海は奈良の学問仏教全体に、改めて仏の命を注ぎ直したのである。なぜか、それは大乗仏教の目的(衆生済度)を明確化するためであった。それが「国家鎮護」であった。

このあたりの理由は長澤弘隆師(密教僧)によって簡潔明瞭に述べられている。

  • 空海はなぜ「法身」に人格性を与え説法させたのか。
    真理を身体とし真理そのものとして実在するだけの毘盧遮那では「衆生」済度が現実にならないのである。
  • 空海はなぜ、仏教思想の常識を破り「果分可説」や「声字実相」に踏み込んだのか。
    サトリ(「果分」)の内容が「言亡慮絶」でコトバにできないのであれば「衆生」済度が現実にならないのである。
  • 空海はなぜ、「曼荼羅」を活用したのか。
    コトバや文字で難しい教理が理解できない「衆生」には絵図や立体曼荼羅で視覚化しなければ「衆生」済度が現実にならないのである。
  • 空海はなぜ、「三密平等」を言ったのか。
    「法身」如来と「凡夫」とが、身と口と意の「三密」で同調(入我我入)しなければ「衆生」済度が現実にならないのである。
  • 空海はなぜ、「十住心」を説いて「凡夫」を「密教」の世界に摂受したのか。
    「凡夫」に本有「菩提心」(「仏性」)を見て「密教」に受容しなければ「衆生」済度が現実にならないのである。
  • 空海はなぜ、天皇や朝廷貴族と交わったのか。
    現実的に民衆(「凡夫」)の苦楽は「王法」次第であり、「仏法」にかなう「王法」でなければ「衆生」済度が現実にならないのである。
  • 空海はなぜ灌漑土木や学校教育の社会事業を行ったのか。
    民衆の世俗の苦難を「仏性」にかなった「世法」(世俗の術)で救わなければ「衆生」済度が現実にならないのである。(『空海の仏教総合学』p.593~595)

空海が密教に自分の進むべき道を発見したのは『大日経』との出会いであったといわれているが、『大日経』に空海がもっとも心震わせたのは、そこで語られる大日如来の説法であったはずである。それは若き空海が木食草衣の山林修行で聴いていたであろう、あの不可思議な「宇宙の呼び声」だったからに相違ない。

空海の修行の実感は、宇宙の毘盧遮那には「宇宙の命」があり、常に「真理を説法している」ということだった。それが間違っていなかったことを『大日経』によって確信したのである。だから密教に邁進したのである。大日如来の「法」を聴きとるために!

空海が断言する「果分可説」も「即身成仏」も「六大説」も「三密加持」も、宇宙の「法」に依ればすべてはスラスラ出てきたにちがいない。空海は、これらは自分が頭でひねり出した理屈ではなく、大日如来によって授かった真実だというだろう。

私が空海に惹かれる一番の理由は、空海とその教えがまさに自由だからである。いわゆる一般的な意味での「宗教」というものには、何か暗黙の強制があるような気がしてならない。このある種の不自由さを、私は鎌倉仏教あたりから感じてしまう。

その流れをくむ現代の教団宗教にも感じる。宗教が絶対者の両義性をもつというのは、一神教的な暗黙の強制や圧力にも通じることではないだろうか。だからニーチェは神を殺した。キリスト教(宗教)を殺したのである。彼の目的は「神のくびき」から自分と人々を解放することであった。

一方密教に強制や不自由を感じることはない。つまり密教は宗教の両義性や強制などいう次元は超えているのだ。自由になる!執着からも、煩悩からも、世俗からも、輪廻からも脱出して、人々を自由な天地に解放する。私はこれこそが「真の宗教」ではないかと思う。

だから私は例え宗教学者にナイーブだといわれてもこの「密教メッセージ」を送りたい。人類の未来にまだ絶望していない仲間たちを信じて。そしてこれは三島の遺言にこたえる一人の日本人としての私の遺言でもある。

人工頭脳と密教

本質的な人間存在の自由の問題は、宗教と技術革新の問題もある。近年AI(人工知脳)が急速に進歩を遂げている。囲碁の世界では今年春に世界のトップ級棋士に圧勝。AIによる自動運転をはじめあらゆる分野に進出するAIは、いまや社会構造を変える勢いである。

AIの研究者であるオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン博士らの論文が世界で話題になっている。(『雇用の未来―コンピューター化によって仕事は失われるか』)  AIの発達により、10年後にはロボットに代わる可能性が高い仕事をまとめたものである。同論文の衝撃は、米国労働省のデーターに基づいて抽出した702の職業一つ一つにAIロボットに代用される可能性を確率で子細に試算したことにある。

いわばこれから消える職業、なくなる仕事を示したに等しく、これが産業界に衝撃を与えているとのこと。その結果、アメリカの総雇用者のうち、何と47パーセントが10年~20年後にはAIロボットに取って代わられるとのことである。

つまり10年後には二人に一人が失業するということになる。割合はともかくあり得ることだ。ロボットであれば雇用契約も労働契約も結ぶ必要はなく、したがって雇用者は労使間の一切の問題から解放される。労働時間も有給も福利厚生や労災など労働争議に関する経営者責任を問われることはない。ロボット労働の方がコスト・パフォーマンスとしてもいいに決まっている。

何より人工頭脳は一度インプットされた情報は二度と忘れず同じ働きをする。人間のように体調不良やメンタル不調もない。そのうち人間は優秀なロボットの下請けに使われることになるかもしれない。

では、人間の感性が生み出す芸術分野ではどうなのか。例えばAIに小説が書けるかという試みがあるそうだ。今年の3月の第三回「星新一賞」ではAIで創作した小説の応募も受け付けたところ、2500編余りの応募作のうち、11編はAIによる作品だったという。そのうち1編が一次審査を通過したそうである。<人工頭脳作家が芥川賞を狙う・松原仁/はこだて未来大学教授>(『文藝春秋』2016・7)

なぜこのような話題を出すのかというと、AIが発達し、例え未来にAIが人間の頭脳並に独自に判断をするような世界が訪れようとも、絶対に人間を超えることが出来ない世界があるということをいいたいためである。

人工頭脳が人間に勝てない最終的なものは何か、それも密教である。AIが感知できないもの、それはスピリチュアルなもの、魂の世界である。

またAIの世界は直線的に進歩するが、密教のように退歩してみせることが原理的にできないのである。よりバカになる人工頭脳を開発する意味はないからだ。つまりAI競争はアクセルを吹かすばかりでブレーキがないのである。密教は人間に始原に還ることすら呼びかける。

私は無神論者の科学者を信じない。その理由は、彼らの思考そのものに、人間をAIの下に置く危険性を感じるからである。端的にいうなら、AIは情報データーという知識を蓄える機械であり、科学者の頭脳も同じように知識偏重であるなら、どれほど優秀な記憶力で立ち向かっても、科学者は無限の量を蓄えるAIには太刀打ちできないからだ。

反面AIはデーターによる予測はできても、その意味を考えることはできないのだ。例えば自分はどこから生まれてどこに行くのかという自問がない。哲学できないのである。生老病死さえ思考できない。

情報の意味を知ること、それを釈尊は智慧といわれた。情報をかき集めても智慧がないのがAIである。AIが超えられない世界、それは仏の世界である。言い換えれば、AIには法身大日如来の説法が聴きとれないということである。なぜなら人間の頭脳は大日如来の宇宙から生まれたが、AIは人工物だからである。

『摂大乗論』でアーラヤ識を抱えているからこそ人間は覚れるというこの基本的な唯識のメッセージに三島の心が動かなかったとすれば、彼に仏の声が届かなかったからだと考えられる。仏の声をキャッチするものは仏性である。極端な理知の発達がかえって彼の仏性を覆い隠していたとも考えられる。その意味では三島の頭脳はAI的だともいえる。

アーラヤ識が覚りにつながるという根拠は、人間は仏性を秘めているということである。そしてそのことをうすうす感じていたのは三島自身であった。人間の仏性などを認めない科学者でも、さすがにAIに仏性があるとはいわないだろう。

人間の仏性は知識や教育で与えられるものではなく、むしろ生得のものである。例えば、私たちは知的障碍者に仏のような素直でひたむきな姿を見ることがある。

脳に障害を持ったある女の子はいじめの全てを肯定的に受け止めた。それが凄惨的であればあるほど「自分に忍耐力をつけてくれるありがたい友達」だと信じた。ついに悪ガキが投げた石が眉間に当たったときも、弟をかばって「姉ちゃんは強い!強い!」と、血を流しながらけらけらと笑っていたという。

これは知的障害児のために一生を捧げた糸賀一雄氏の著書『この子ら世の光に』にある話だが、氏の思想は「この子ら世の光を」という、弱者に哀れみを与えるようなそれまでの福祉の思想を、「この子ら世の光に」と、障害児の存在に積極的な意味を見出したのである。

それは彼らの汚れを知らぬ人格と命が、私たちに自分の命のみずみずしさと自省の心を気づかせてくれるからである。知的障害児であるこの子らは、障害児であるゆえに仏性がストレートに現れることがある。本当は「この子らは世の光」である。「この子らを世の光りに」できる世の中を築くことが慈悲の社会を顕現することであり、ひいては世界防衛につながるのである。

もしも実務的分野において人間よりも優れたAIが出現した時、おそらくAIに使われる人間と、AIを使う人間に分れるだろうと思う。無神論者だといってはばからない科学者は、必ずAIに使われる人間になっていると思う。何故なら計測化できないものや見えないものを感知できない点においてはAIの頭脳と同じだからだ。しかし人工頭脳は進歩する。人間の頭脳はAIの進歩スピードについていけない。その計算処理能力において科学者が太刀打ちできるわけがない。

僧侶という職業はAIに代用されない未来の職業である。現にオズボーン博士らAI研究者の職業別けでも、カウンセラーや聖職者などは「生き残りの職種」に分類されている。その意味でも僧侶は何をなすべきか、職業的理想を高くもって活動してほしい。経を読むだけならAIでもできる。機械が超えることができないこと、すなわち密教を未来に拓くことこそ日本僧侶の使命だといっていいだろう。

密教徒として生きる

俗に、最澄の天台宗延暦寺は源信や法然や親鸞や日蓮など数多くの優れた高僧を世に排出したが、空海の高野山からは出ていないなどといわれることがある。

「人生は他者との比較ではない。ただひたすら自己のなすべきことを見つめて歩けばいいのだ。健全な劣等感は他者との比較ではなく理想の自分との比較から生まれる」。これはフロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称されたアードラーの思想だ。

空海の『十住心論』は比較宗教学に見えるが本当はそうではない。自分(行者)がいまどの段階にいるか、ひたすら自己の心位の位置を見つめる指針であると私は理解している。つまり他者との比較ではなく、仏との距離を計測する内的比較である。

天台宗との役割比重でいえば、比叡山は学問の府であるが高野山は修行の場であると私は思っている。つまり実践の場である。狭義には「三密行」を指す。密教を体得するには都から遠く離れた大自然の中で知覚や感覚を回復する修験道的な修行や瞑想が必要である。

私は最澄と空海の違いを学者と実践家の違いに見ている。空海は「行動(修行)が伴わない知識学問はカスである」とまでいっている。これは密教をあくまでも書物の中から理解しようとする最澄に向けた言葉である。密教を受法するにはせめて三年間私と共に修行しましょうと最澄にいったのは、行動が伴わない教相(学問)では密教の本質が理解できないという意味だった。

高野山を実践の場にしたというのは、言い換えると空海は「行動家」を育てたかったともいえるのではないか。空海はおそらく偉大な学者を養成しようとは思わなかったのではないだろうか。鎌倉新仏教のような、一宗一派を開いて信徒集団を作ることよりも、世の人を救い助ける実践行動家が一人でも増えればいいと思っていたのではないか。全国に散って行った多くの高野聖もそういう行動家であったろう。

真言宗徒はお大師様だけを見つめればいいと思う。密教学者ではなく実践的密教徒であればいいと考える。

超理想と超現実

現実は現実で厳しく見る目が必要だが、理想は理想で、甘い幻想ではなく、また特定の集団が掲げるエゴイスティックな理想ではなく、地球もろとも救う超理想が必要である。また一切の期待や幻想を排除する超現実が必要である。密教はこの二つを併せ持つ宗教なのである。いや、宗教という概念すら超えた超宗教なのである。

このことに日本人が目覚めた時、そして密教という超宗教を世界に浸透させたとき世界は一つになれるだろう。反対に日本が滅びたとき、密教思想が地上から消えてエゴの集団宗教が地球を支配した時、世界は必ず滅びるだろう。

今年アメリカのオバマ大統領がヒロシマに来た。唯一核爆弾を落とした国と、唯一核爆弾を落とされた国の首脳同士が共に原爆犠牲者の冥福を祈った。慰霊塔の前で黙祷するオバマ大統領、被爆者を抱きかかえて握手をするオバマは、その瞬間人種・国家を越えた誠実なひとりの人間であったと思う。それはたしかに仏性と仏性との語らいであり、オバマと参列者らをとりまく平和公園の静謐な空気は、何か「法界」に包まれているようであった。

しかし一方では核のボタンを持ち歩く大統領側近の映像・・・。ここに理想と現実の矛盾を見た日本人は多かろう。まだ間に合う、しかし時間はそれほど残されてはいない。密教による「世界防衛論」「地球防衛論」を顕現せよ・・・。これが、私が三島由紀夫の『文化防衛論』を通して弘法大師空海から学んだ密教なのである。

言って行ぜざれば、信修するがごとくなれども、信修とするに足らず。(空海)

<あとがき>
 1970年の市ヶ谷の事件以来、三島由紀夫さんに問いかけられていたように感じてきた課題について、ようやく自分なりの答えを見いだすことができました。もう「スカラベの仮面」をはずしてもよいのではないでしょうか。空海はきっと平岡公威の等身大でいいというでしょう。阿字の世界でお大師さんに巡り会っているものと信じます。
合掌。

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