東日本大震災による福島の原発事故によってわが国の原子力発電が大きな問題となっている。エネルギー問題、安全性など、原発問題は今や国民的論議を呼んでいる。ただ市井の一個人が意見をいうのと、著名な思想家がマスコミで発言するのとは自ずと異なる。私は昨年末、『週刊新潮』('12.1.5・12)特集号で吉本隆明氏の原発問題に対する主張を読んだ。周知のように吉本隆明氏は戦後最大の思想家といわれ、長年日本の言論界をリードしてき言論人でありその影響力は少なくない。
私は吉本氏の思想全般についてつぶさに知っているわけではないが、『週刊新潮』で発言された内容に限り首肯できないものがある。いま日本全体に突きつけられた原子力発電の問題は日本人すべてに関わる問題である。吉本氏は原発事故という未曽有の危機に対して「技術文明」で解決しようと主張するが、そもそもこの考え方に知の傲慢性を感じるのだ。東日本を広範囲に汚染したこの事故は原子力科学者や知識層だけが論じられるような科学文明の問題ではない。原発問題はより多くの人々が参加できる「文化論」からスタートしなければならないと考える。
最近吉本氏の『<信>の構造・吉本隆明・仏教論集成』を読んだが、氏は仏教に関する論述も実に多い。氏が仏教を含めた自身の思想全般から発言しているのであれば、私は仏教徒としてその発言を看過するわけにはいかない。以上の理由から、氏の主張「『反原発』で猿になる!」に対して一言述べさせて戴く。
その前に、揚げ足取りや牽強付会に陥らぬように、正確さを期す意味で、やや冗長になるが氏の発言をできるだけ再現していきたい。
◆「反原発」で猿になる!
吉本氏は以前から反核・反原発を掲げる人たちに対して厳しく批判してきた。今回も日本を覆う「反原発」の空気に異論を唱えている。曰く、「反原発で猿になる!」。なぜ反原発思想は人間を猿にするのか、ここが氏の論点である。
氏は冒頭で「今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということなんです」と言われ、その理由を「自動車事故が起こってもだからといって自動車を無くしてしまえという話にはならないように、ある技術による損害が出るたびに廃止するのは人間が進歩することによって文明を築いてきた近代の考え方を否定するものだ」と述べられている。
「そして技術側にも問題がある。専門家は原発事故に対して被害を出さないやり方を徹底して研究し、どう実行するべきなのか、今だからこそ議論を始めなくてはならないのに、その問題に回答することなしに沈黙してしまったり、中には反対論に同調する人がいる。専門家である彼らまで"危ない"と言いだして素人の論理に同調するのは『悪』だとさえ思います。今原発を巡る議論は『恐怖感』が中心になっています。(中略)しかし原子力は悪党が生み出したものでも泥棒が作ったものでもありません。紛れもなく『文明』が生み出した技術です」と述べ、原発事故を技術文明の文脈で捉えている。
氏は続けて人類が放射能を発見して以来、今日の原子力発電に至るまでの人類の労苦を語り、同時に原子力に対する人間が抱く恐怖心を認めつつ、しかし異常に恐れるのはおかしいと述べる。その理由を一生のうちに何度も被曝するレントゲンの例や核融合で出来ている太陽光などを挙げる。日々の暮らしの中で人間がとり囲まれているこの世のエネルギーは元をただせばすべて原子やその核の力だから異常に恐れること自体に疑問を呈しているのだ。そして以下の主張を展開する。
「それでも、恐怖心を100%取り除きたいというのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。しかし、止めてしまったらどうなるか、恐怖は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです」
これが「反原発で猿になる!」の意味である。「原子力は悪党が生み出したものでも泥棒が作ったものでもなく、紛れもなく『文明』が生み出した技術である」との謂いは、まるで近代技術は「文明」という「善人」が生み出したかのように聞こえてくる。氏は技術文明を人間の進歩だと強調しているが、逆の真理もある。科学技術が最も進んできた分野が兵器と軍事分野である歴史的事実一つ考えても、近代技術が単純に人間の進歩と言い切れるものではない。文明の中に潜む危険を氏はどう回避するというのか、もう少し主張を聞いてみよう。
♦押し戻すことはできない
氏もそこに言及し、文明の発達とは常に危険との共存であるとしている。しかし科学技術というものは失敗してもまた挑戦して改善していくことだという。その中で辛うじて上手に作り上げてきたのが「原子力」だとし、そしてこれが文明の「姿」であり「形」であるというのだ。
「だとすれば、我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完全に近いほどの放射線に対する防護策を改めて講じることです。新型の原子炉を開発する資金と同じくらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術を開発するしかない。それでもまた新たな危険が出てきたら更なる防御策を考え完璧にちかづけていく。その繰り返ししかない。他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由は、こうして努力をあきらめずに営々とやってきたからではないでしょうか。(中略)原発を改良するとか防御策を完璧にするというのは技術の問題ですが、人間の恐怖心がそれを阻んでいるからです。・・・」
ここまで読んだとき私は唖然とした。私が浅はかなのかもしれないが、とても戦後最大の思想家の発言だとは思えなかったからだ。その理由は後述する。ここで『週刊新潮』の補足が入っているので転載する。
<東工大出身で技術者だった吉本氏は、原発・核兵器に関しても事あるごとに発言してきた。その主張は「反核・反原発」を唱える人は「蒙昧」でしかないという痛烈なものだ。なかでも80年代に盛り上がった文学者らの反核運動では、それを"エセ平和主義"と批判し、議論を呼んだ。>
この補足のあと、吉本氏の核兵器についての発言が掲載されている。私は先ほど技術文明を人間の進歩と捉えている吉本氏に対して逆の真理もあると言ったが、核兵器が出たのでやや期待をして先を読んだ。
「もちろん、原子力を語るとき核兵器は避けては通れません。戦争に大切なのは、主として兵器ですから、改良して相手に勝るようにしていくのが戦時の技術開発です。そうやって開発してきた原子爆弾は、今や、人類を何度も滅亡させられるだけの規模に達している。しかし、人間が原子爆弾という技術を手に入れたとき、それがどんな現実をもたらすかまでは想像していなかった。どんなに優れた人でも予想はできなかったのです」と述べて、アインシュタインが原子爆弾の被害を予想できなかった云々の例を挙げている。
「つまり、人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものを作ってしまうという大矛盾を抱えているのです。しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手に入ったら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考え出すしか道はない。それを反核・反原発の人たちは理解していないのです」
つまり元に押し戻すことができないものを反対する「反核・反原発」の人たちは蒙昧で、反核運動の文学者たちは"エセ平和主義者"だというのである。何となれば、核の抱える危険性に対してはそれ以上のものを作るしかないからだという。
私は卒倒しそうになった。ということは国家が核兵器の危険性に晒された場合は、それ以上の核兵器か、それを凌ぐ超核兵器を作るしかないということになる。吉本氏が核武装論者かどうか知らぬが、いずれにせよこういう発想が大国同士の核開発競争、核兵器の保有競争、核の軍拡拡散につながってきたのではないか。とてもまともな知識人のいうこととは思えない。しかし、前述したように、私は「反核・反原発」の運動的な立場から論じようとしているのではなく、拙論は仏教的視点からの反論である。
◆「戦後」に似ている
巨大な津波で街ごと押し流されてしまった被災地の様子と、敗戦直後の廃墟の国土が重なったという人は多い。最後に吉本氏も福島原発事故以来、よく思い出すという戦後の日本社会について触れている。但し氏がここでいいたかったのは、「思想の変節」についてである。
敗戦後、日本の価値観は180度変わった。それを契機に多くの知識人が戦後すっかり発言内容を変えてしまった。戦時中は戦意を煽り、日・独・伊三国同盟を称揚して国民を戦場に駆り立てた大新聞は、戦後は自らの責任を棚上げして、あまつさえ占領軍のお先棒を担いで日本国の戦争責任を追及するという変節新聞に豹変した。
吉本氏は敗戦に対する責任について文学界ではどう考えているか、戦中派の小林秀雄(西田幾多郎と並んで戦前の日本の知性を代表する巨人。国粋主義者である大川周明を称賛した。戦後も保守文化人の代表者であった)に問うたことがあるという。そのとき小林秀雄は、自分は戦中も戦後も同じ考え方だと答えたのでさすがだと思ったそうである(思想内容でないことは言うまでもない)。要するに時代や思潮が変わっても軽々しく同調しない志操堅固な人物を高く評価するのである。
福島原発事故をきっかけに、世論はまるで「脱原発」と「自然エネルギー」の大合唱である。テレビ・新聞も、原発再開はタブーのように扱うばかりで、吉本氏にはこの風潮がまるで一夜にして言を変えた戦後社会と重なって見えるというのだ。氏はそのような風潮に抗うかのように、それでも原子力を捨てるべきではないと言い続ける。このように時流に流されず、自分の頭で思考する人間を氏の造語で「元個人」と呼ぶそうである。
しかし問題は中身である。この「元個人」が結論として繰り返した中身が次の言葉である。「原発を捨て自然エネルギーが取って代わるべきだという議論もありますが、それこそ、文明に逆行する行為です。たとえ事故を起こしても、一度獲得した原発の技術を高めてゆくことが発展のあり方です。」
やはりこれだけである。これ以上の考察はない。「原発の存否を決めるものは、技術論と文明論にかかっている」とはお笑い草である。第一、人類の「発展」について本質的概念の考察もない。お気づきのように、吉本氏はただ徹頭徹尾「技術論と文明論」で原発問題を捉え、原発技術の失敗はさらなる原発技術で克服すべしというものである。
◆「知」の驕り
こういうのを「知」の驕りというのである。人間を少し知るものなら誰でもわかることだが、どのような高度な技術文明でも、人間の精神文化が先行するものである。文明を開くのは文化だと極論してもよい。より速く目的地に到着したいと思うから車や列車を、空を飛びたいという気持ちが飛行機を発明し、月に行きたいという夢が宇宙技術を開発してきたのである。飛行機が出来たから空を飛びたいと思ったわけではない。文明を生むその根源は人間の夢や願望や欲望や、学問や、哲学、宗教などの精神文化が中心である。世界の歴史においてもこれは一つの例外もない。だからイスラム教圏はイスラム文明を、キリスト教圏はキリスト教文明を生み出してきたのである。常に文化が「主」で文明は「従」である。そうであれば原発の存否を決めるのは文明や技術論ではなく文化の問題であろう。本末転倒ではないのか。
吉本氏に問う。今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、という問いかけよりも、「本当はこれでよかったのか」と、まず原点に返って沈思黙考することではないのか。日本の原発推進者たちのどこかに、科学技術への過信、技術至上主義の盲信がなかったか、即ち「知の驕り」がなかったかがまずは問われるべきではないのか。
原発を作ったのが人間ならば、その存否を決定するのも人間である。それは技術が先行する問題ではなく、人間の知恵が先行すべき問題である。仏教的にいえば仏から与えられている智慧である。原発を正見し、正思し、正業するのは、文明の力以前に人間の叡智がこの難題を克服する糸口を発見し、技術文明はそれに従ったときに正しく機能するのである。これは釈尊が「縁起論」を説かれて以来仏教の根本である。
仏教を解説するほどの学識人なら何故こういうことに思い至らないのか。核の被害を三度も体験した日本の大思想家なら、これを機会に核保有国に向けて、「和光同塵」の箴言をすべきである。
私は必ずしも文明の発展を否定するものではないが、少しは仏教的視点から文明論を語ってほしかった。原子力の発見が「因」であれば、それを核兵器にするも平和利用するも、経済的理由から推進するも、廃絶するも、すべては煩悩多き人間たちの思惑である。これが文明を生起させる条件、すなわち「縁」の働きとなる。人の一生も人間の歴史も、すべて因縁生起することを釈尊は見抜かれ、しかもその根源に仏の智慧に暗い人間の「無明」を看破されたのである。
無明なる人間が犯す「業(カルマ)」とはいかなるものか、一瞬にして世界を破滅させるほどの力を持つ(核文明)に対してどのように対処すればいいのか、核のボタンを押すも押さぬも結局は人間の心である。今問われなくてはならない問題は、仏教的には明白であるにもかかわらず、科学文明の失敗をさらに科学文明で補うとは何たることか。仏教を語る人間がそれでいいのか、看過できない。
♦仏道の国日本の文化
「人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか」というなら、同じ論理で、「日本人が営々と築き上げてきた思想や文化を一度戦争に負けたくらいで放棄していいのか」という論法も成り立つはずだ。しかし、戦後の革新的な知識人の頭はそのようには回らなかった。戦後の言論界をリードしてきた知識人は、自国の文化・歴史を肯定的に語ることは無知と無教養の表出だと考え、自己懐疑と自虐史観こそがインテリの態度だと考えてきた。そしてひたすら他国の思想(マルクスや毛沢東など)を信奉してきた。
だが私は日本が思想的に遅れている国だとは思わない。世界的に見ても勝るとも劣らぬ高度に洗練された文化国家だと思っている。理由の一つは、日本人は技術文明というものが高度に発達したある時点で、文明の進展を抑えるような感性があると思われるからである。というよりも進展のベクトルを変えると言った方がいいかもしれぬ。例えば文明を道具や技術とした場合、その目的性や効率性よりもそこに精神性を求めるという、西洋合理主義からすれば、ある意味不合理な世界を追及するところがあるからである。これは物質文明を精神文化がリードしようとする日本人独特の感性であった。
このことは白人に比べて日本人が技術開発能力において劣るという意味ではない。その気になれば技術開発はいつでもできることは戦後の工業立国の歩みが証明している。もともと日本人はエンジニアリング能力の高い民族である。英米が大量の戦闘機を導入した第二次大戦では、航空工学や製造技術に遅れていた日本が、あっという間に、当時世界一高性能な戦闘機(ゼロ戦)を造って米英を圧倒した。
1543年、日本人は種子島に伝わった2丁の鉄砲を見ただけで、翌年には国産の鉄砲を造っている。これも有色人種の世界でどこもできなかったことだ。数年後、大量の旧式鉄砲を持ちこんだヨーロッパ商人たちは、日本産の鉄砲の精度の良さとその生産力に舌を巻いた。当時の日本は、諸大名が保有する国内の鉄砲の総数がヨーロッパ全土の数に相当したほどの大量生産を可能にしていた。にもかかわらず火縄銃以上の武器を発達させなかったのは何故か。
背景に様々な理由があったことは承知している。最も大きい理由とされているのが徳川綱吉による「諸国鉄砲改め」による銃器の原則所持禁止だとされるが、戦国の世が終われば武器の流通を禁じた江戸幕府の政策も、見方を変えれば、太平と文化を好む民族性だともいえる。だが私は、やはり物造りにおける日本人の精神性がどこかで働いていたように思われる。技術の発達を超えた美学とでもいうものである。
この典型が日本独特の「道」の精神である。本来敵を斬殺する技にすぎなかった剣法は礼を重んじる剣道となり、敵を射抜く戦法は弓道となり、投げ飛ばす格闘術は柔道、蹴りや突きは空手道等々、技術とともに必ず精神性を重んじた。武士道は生き方の道である。茶道、香道、商道いうように、「道」のつくものは枚挙にいとまがない。物作り技術はすべて「芸道」に通じていた。例えば本来武具にすぎない日本刀や鎧兜なども、目的性や効率性だけでなく一級の美術品にまで高める。その違いは同じ中世ヨーロッパの、戦闘の効率性のみを追求した血なまぐさい武器と比較すれば一目瞭然である。
「道」の背景が「禅の精神」であることはよく知られているが、それは釈尊の「悟り」に繋がるものでもある。日本民族の美的感覚や倫理観や死生観や自然観などの総合的な文化力は、一朝一夕に完成するわけはなく、二千年の歴史と伝統の中で培われてきたものである。言い換えれば、物質文明に精神性を求めたわれわれの祖先は、聖徳太子が治国の拠り所とした仏道精神を中核にして日本文化を形成してきたのである。
日本古来の神道は仏教と習合し、儒教や道教など、様々なアジアの英知を吸収し、咀嚼し、融合して日本独特の文化・伝統を形成した。異質なものを受け入れてしかも調和のある全体性を形成する。日本人はこういう総合力に長けた国民である。
日本仏教の黎明が聖徳太子の「和」の精神から始まったのは象徴的である。「和」を尊ぶヤマトは大いなる「大和の国」であった。日本人は人間も自然と和合し、個の命も大いなる全体の「いのち」と繋がっていると直感していた。大自然というものは、個と個の有機的なつながりの総体として感じていた。異質なもの同士がその中で相互に関係し、支え合い、最終的に宇宙の神秘的で神聖なものに収斂していくという感性を育てていた。異なる価値観が比較対立しながら共存できるという感覚はユダヤやイスラムの世界には存在しない。ばらばらに見える存在の根底には統一のとれた世界があり、人間の生き方がある。空海和上が主張した曼荼羅の世界は、現代に置き換えれば世界の平和共存をめざすものである。
江戸時代までは弘法大師は日本人の最も尊敬する、最もポピュラーで身近な存在であった。だから日本人は法身大日と共にある自分こそ、間違いなく人間本来の面目だとする精神文化を育んできたのである。日本人が精神文化を物質文明の上に置くのは当然である。
吉本氏がいうように、技術開発の努力をあきらめずにやってきたことが「他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由」とするのは、人間というものの浅い理解である。とりわけ日本人には当てはめようがない。
しかしこのような自国の歴史や文化を無価値なものとしてしまえば日本のアイデンティティーは何も残らない。階級闘争史観で日本史は語れない。西欧文明に侵蝕されるまでは、本来日本人はできるだけ自然と共存する文明を育てていたのである。近代科学というが、西欧の科学文明が今日の自然破壊、地球汚染を促進し、他の動物の命を脅かしてきたのは事実である。原発事故はこういう科学技術の延長上に発生したものであれば、技術文明の発展が他の動物より人間が優れている理由にならないことは、まともな仏教徒なら誰にでもわかることだ。
人間の人間たる面目とは何かといえば、物質文明を超えた世界をもつからである。欲望の自制,利他、神、愛、仏、慈悲、死者供養・・・。物質のように触ることも見ることもできない神聖なものを無意識の行動原理にするところがあるからである。人間の優れているところを「発展性」に置くならは、それは人間の「知力」の進化というよりも、「心」の成長のことである。日本人はそれを「慈愛」と呼んできた。そして最も進化した理想像を「菩薩」と称して讃仰してきたのである。
毎年広島では8月6日の原爆投下の時刻、平和記念公園を中心に市内は鎮魂の静寂に包まれる。被爆者も一般市民も反核団体も反原発もみな犠牲者のために冥福を祈る。広島市に住んでいた私は、吉本氏のように「反核・反原発」の人たちを猿だと思ったことはない。彼らもまた犠牲者の冥福を祈っているからである。人間の面目とはこういうことを指すのである。猿より人間が偉いとすれば、他者の苦しみや悲しみを共有できるからであろう。犠牲者の冥福を祈る猿がいるか? 菩提を弔う猿がいるか? 讃美歌を歌って祈りを捧げる猿がどこにいる?
文化の根源に仏教を置いてきた日本の国柄は、しかし内実のある高度な文明国家でもあった。だから、ハーバード大学のサミュェル・ハンティントン教授は、地球上の高度な文明社会を七大文明に分けたとき、その一つに日本文明を入れて独立させざるを得なかったのだ(『文明の衝突』)。(ちなみに世界の高度な文明の分類は、類似文明の組み合わせや分割など、学者によって数の差はあるが、どの学者も日本文明を独立したものと認めている。)
いずれにせよ日本人は単なる技術主義、合理主義を至上のものだとは考えなかった。しかし戦後の知識人は、一度敗戦しただけで、自国の歴史を否定し、祖国の文化伝統を冷静に見る目を放棄してきたのである。未曽有の国難に対して、科学技術で対応しなければ文明の後退だと言い、他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由は、科学技術を開発したことであり、原発技術の失敗を更なる原発技術で克服すべしなどというということを日本人は言うべきではない。「知の驕り」は本来日本人の心ではない。
池上彰氏は東日本大震災により一瞬にして多くの命が失われたさまを見ると、「無常」という言葉を思い出すと語っている(『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』)。それは命の儚さであり、また物質文明の儚さである。諸行無常を教えたのは仏教である。そして諸行無常を乗り越えて生きる勇気を教えてきたのも仏教である。戦後最大の思想家であり仏教を語るほどの人であるならば、「反核・反原発」の人々を猿呼ばわりする前に、日本人としてもう少し深みのある発言ができないものかと思わずにはいられない。
♦震災と原発事故から学ぶもの
私は現在沖縄に住んでいる。沖縄の人々は日常的に文化を愛する風習が強い。舞踊であり、歌謡であり、音曲であり、沖縄芝居エトセトラ、それらは季節の祭ばかりでなく日常的に楽しむことが多い。沖縄芸能が盛んな背景には琉球王朝が主導したということもある。中国との外交上の目的はあったにせよ、琉球王国が文化王国であったことは注目してよい。
武力よりも守礼を重んじた琉球王朝では、首里城に仕える武士階級は腰に刀を帯びない。代わりに帯に扇子を差す。日本の武家屋敷の床の間には刀掛けに大小が置かれるが、琉球の武家の屋敷の床の間には三線が飾られる。「武」より「文」を愛した証拠である。
さて沖縄は東京からみれば最果ての地方都市である。福島の原発のように地方が中央の需要を、いや日本全体にかかわる戦略的な需要を負担するという構図は沖縄も同じである。しかし日本国は地方公共団体だけで成り立っているのではないので、国に対して各自治体が応分を分担することもまた必要である。
となれば国家全体の問題に関しては地方も口を出す資格がある。霞が関の官僚や各種審議会の学者や知識人など、一部の知的エリート集団で国の舵とりをすることに私は大きな矛盾と疑問を感じている。現代の高学歴の政治家なども同様である。法的な整合や専門的な技術論を受け持ってもらうのは結構だが、予想できない未来や国の方向性などは、むしろ末端の知恵が正しく働くことがある。この知恵のことを文化力と私は言ってきた。そして文化力こそ地方が国の方向性を修正できるものではないかと思う。何故なら多くの無名の人々の無意識が社会に参加しているからである。
大江健三郎氏は23歳で芥川賞を受賞し、ノーベル文学賞も受賞した東京大学文学部卒の秀才である。彼の作品も吉本隆明氏と同様に多くの知識人に影響を与えてきた。ところがそんな優秀な大江の子供が知的障碍者として生まれた。長男大江光氏である。
一般的には言語能力と知性の高いものが社会に参加し、知的障碍者は周辺人だと考えるだろう。ところが光は、父健三郎が逆立ちしても太刀打ちできない作曲という方法で社会に参加した。光は埋もれていた天才的な才能を開花させて、音楽で世の中にメッセージを発信したのだ。光の音楽は今でも多くの人々に感動を与えている。
それだけでなく、父親にも名誉と喜びを与えた。健三郎は光の生後、知的障碍者をもつ自己の苦悩を作品(『個人的な体験』)にしたことが評価され、作家としての方向性が見え、その後ノーベル文学賞受賞の道を歩むことになるのである。光が父の才能を引出し作家として大成させたとも言える。
ちぎり絵細工の山下清も知的障碍者であり言語障碍者であったが、彼は「日本のゴッホ」と称賛されたほど、その作品は多くの人々から讃嘆された。このような例は文化活動が知的レベルの程度に関係なく、どんな人間でも社会に参加できることを物語っている。であれば、国民すべての問題である原発事故は、知的技術文明の問題ではなく、文化を「主」にし、文明を「従」にしてきた日本人の叡智に一度立ち帰るべきではないだろうか。東日本大震災と原発事故はこのことを問いかけているように思われてならない。
無論文明は全ての人がその恩恵を享受できるものだ。山下清もバスに乗れるし、光も飛行機で外国にも行ける。しかし清や光は原子力の発電プラント機器の製造には関わることができない。国民の多くはせいぜい労働者としてしか参加できないのだ。この意味では文明の「従者」である。だが文化的な活動には、知的レベルに関わらず誰もが「主人」として参加できる。光や清の例を挙げたのはこのような意味である。さらにいえば宗教は言語も不要な「感性」で参加できるのだ。
真に成熟した国とはどういうものか。真の先進国とはどういうものか。パクリ国家中国が世界に誇り始めたGDPの高さを、今後も日本は同様に国家目標とするのか。このまま化石エネルギーに頼るのか。グローバル化した世界とどのように向き合うのか、腹を据えて考える刻(とき)である。国家の進むべき骨格を考えるのが人間とサルの違いである。その基本的な哲学のない文明先行の思想は危険でさえある。目先の需要や技術文明の退行を恐れて、ひたすら原発という道具を使おうとすることは、それこそ「原発をもったサル」である。このとき文明は凶器となる。
仏がご覧になれば、すでに地上は「核を持ったサル」が支配し始めていると思われるだろう。真に進化した国には「核兵器を持ったサル」は不要である。文明が人間の偉さだというが、簡単な道具なら猿でも使う。成熟した文明は猿には形成できない。哲学・宗教を持つことはさらに無理である。包丁は料理道具であるが使う人間によっては殺人の道具にもなる。
国民がどうしても原発を必要とするならば、一度原点に戻って、国家の成熟とは何かと考えてみよう。人間として成熟した生き方はどういうものか考えてみよう。現在、日本は先進国である。モノは溢れ、生活は便利になり、国民は最先端の文明を享受している。しかし一度胸に手を当てて自問してほしい。「この国は豊かだろうか、いま私は本当に幸せだろうか?」と。
核保有国がどうしても核を必要とするならば持てばよい。しかし地球を破滅から守るためには、人類は「核を持った菩薩」を目指すほかないのである。核兵器を持つ菩薩は存在しない。だから諸国の指導者がみんな菩薩を目指すなら、必然的に地上から核兵器は消えるのである。
そのようなことを世界に発信できる国は、本当は日本しかない。だが、仏を捨て(廃仏毀釈)、神を引きずり降ろし(GHQ神道指令)、修身に唾棄し(日教組)、祖先を冒涜してきた知識人(東京裁判史観)が目を覚ますまでは無理だろう。東日本大震災の後は、首都の直下地震が接近しているそうである。日本は世界の注目を集めている。時間のあるうちに英知を結集すべきである。
ただ私は、つつましく暮らしている人々の中に、「知」に穢されていない人々の中に、まだ仏の光が微かに残っているのを感じることがある。地から湧き出る仏の光を信じて、そこに希望を失ってはいない。