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053 東大寺二月堂「お水取り」(修二会)の密教化

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 関西地方に春を告げるという東大寺二月堂の「お水取り」の行事は、天平勝宝4年(752)、東大寺を開いた良弁の弟子の実忠がはじめた。実忠はかなりの高令ながら、空海が別当を務めるに際し、堂塔の修理や造営をはじめ別当の実務まで全てを任せることのできた人である。その時代から今日まで「お水取り」は一度も止むことなく1200年以上もつづいているという。新年正月に行う修正会(しゅしょうえ)におなじく、旧暦2月に厳修される法会という意味で「修二会」といわれる。現在は、新暦で3月1日から2週間にわたって行われている。また、二月堂の名前もこのことからきている。

 「修二会」は正式には「十一面悔過(じゅういちめんけか)」という。ご本尊十一面観世音菩薩の前において、世のなかの人々に代って罪過を懺悔する行を勤め、聖朝安穏・天下泰平・五穀豊穣・諸人快楽を祈願する。
 現行の行事は、東大寺によると、「別火(べっか)」といわれる前行と、二月堂での「本行」をあわせて約1ヶ月、準備期間を入れると3ヶ月になろうかという大行事である。
 毎年、開基良弁の命日にあたる暮16日、「修二会」の主役となる次の年の「練行衆」の名が発表される。「練行衆」に選ばれた者は、翌年の2月20日から「別火」の行に入り、3月1日から二月堂での「本行」に入る。
 「別火」の行は、2月20日から25日(閏年は26日)までの「試別火(ころべっか)」(前半)と、それ以降、2月末日までの「惣別火」(後半)という二つの期間に分かれ、前半は「修二会」での声明やお経を練習したり、「本行」で仏前に供える南天や椿の造花をつくったり、灯明用の灯心の用意をしたり、「紙衣(かみこ、紙の法衣)」用の「仙花紙(せんかし)」を絞ったり、「本行」の期間中に二月堂で履く「さしかけ」という履物を修理したり、「牛玉箱」というお札を入れる箱の包み紙を新しいものにしたり、大変忙しい。
 後半に入ると、私語は一切禁止となり、食事以外の湯茶も自由には飲めず、火の気もなく、外出もできず、各自1枚のゴザ以外の場所にも坐れない。2月の晦日の午後、二月堂の参籠所に移る。

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 二月堂での「本行」は、日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝の六時に分けて1日に6回、11人の「練行衆」が「悔過作法」を行うとともに、その間種々の法要や行事を行う。
 「練行衆」は正午から食堂で食事をとり二月堂に上る。一度上堂すると時には明け方の4時にもなる退堂まで一切口に入れることはできない。上堂後は、まず堂内を清浄に掃除し仏前の荘厳をして日中・日没の悔過のお勤めをする。次いで「例時の間」といわれる部屋で『阿弥陀経』の読誦をし、内陣にもどって『観音経』を唱える。次に初夜の悔過の勤めの準備をしていったん退堂し、湯屋で沐浴して宿所でしばし休む。

 初夜は「読経(法華音曲)」、初夜の「時」、「神名帳」、「初夜大導師の祈り」、「初夜咒師作法」。つづいて半夜の「時」、礼堂に出て「法華懺法」を行うのであるが、5日、6日、7日と、12日、13日、14日は「法華懺法」の代りに「走り」を行う。後夜は後夜読経、後夜の「時」、「後夜大導師の祈り」、「後夜咒師作法」。そして晨朝の「時」が勤められ、午前1時から午前4時半頃に退堂となる。

 「お水取り」とは、3月12日の後夜の「時」の途中、13日に日付がかわった午前1時頃、「咒師」以下の「練行衆」が二月堂の下の「若狭井」に水を汲みに下りる行事のこという。
 行列は、「洒水器(しゃすいき、お香と浄水をまぜた香水の入ったお碗型の仏器)」と「散杖(さんじょう、洒水器の香水を先端につけて散ずる約40㎝~60㎝の細い棒)」を手に「咒師」が先導し、そのあとに「牛玉杖」と「法螺貝」をもった「練行衆」が5人つづく。
 つづいて「咒師松明」をもつ「咒師童子」を先頭に、「堂童子」、「駈士(くし)」、警護の講社の人たちや、井戸から汲んだ水を入れる「閼伽桶(あかおけ))を運ぶ「庄駈士(しょうのくし)」も列に加わり、行列は二月堂下へと進む。途中の興成神社で祈願を行い、閼伽井屋(若狭井)に到着する。閼伽井屋には「咒師」と「堂童子」等決まった人しか入れない。そこで汲まれた水は二つの「閼伽桶」に分けられ、閼伽井屋と二月堂の間を3回往復し、「閼伽水」が二月堂内陣に献じられる。

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二月堂下、閼伽井屋
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小浜市神宮寺境内、若狭井
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同、二月堂・閼伽井の水源

 終って「練行衆」たちはまた列を組んで二月堂に戻り、後夜の「時」をまた行う。後夜の「時」が終ると「咒師」が咒師作法を修する。その後に行われるのが「達陀(だったん)」の行法である。
 「練行衆」のうちの二人が「火天役」と「水天役」となり、「鈴」や「錫杖(しゃくじょう)」や「法螺貝」の響きに合わせて踊るのである。「火天役」は堂内で大きな松明を振りまわし人々の煩悩を焼き尽くそうとし、水天役は水をまいて煩悩を鎮めようとする。最後に「火天役」のもつ大松明が礼堂に引出され、3回上下したあと床板にはげしく落とされると、堂下で見守る大勢の参拝者は、飛び散る火の粉を浴び歓声をあげる。

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松明の燃え残り

 さて、部分的ながら、空海がこの「修二会」に残した密教の痕跡がこの「お水取り」の行事の「咒師」や作法にみられる。「練行衆」は、序列や役割により「職―四職」と「平―平衆」に分かれるが、「職―四職」のなかに「咒師」がいて密教的あるいは神道的な修法をつかさどっている。行列の先導としての「洒水加持」もしかり、あるいは閼伽井屋のなかでの閼伽水の加持も想像のほかではない。
 このほか「咒師」は、先に述べたように、後夜の「時」のあと「咒師作法」を修し、「火天」「水天」による「達陀の行法」へ移る。さらに15日に、「破壇」につづく「涅槃講」のあと「神供」や「護摩」を修する。これらも密教の痕跡である。

 空海が東大寺の華厳宗に最大の敬意を示したことに呼応するかのように、東大寺はまた空海が残した密教を捨てるどころか1200年以上も飽かず護っている。

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