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第十八章 秘密曼荼羅十住心論

第十八章・写真1  日本の密教の教理は空海の教理で、空海はこの教理に関し多くの著述を残しました。

 密教と顕教とを明らかにしようと説いた「弁顕密二教論」、密教の実践目標は人間として至高の自覚に達し、この身のままで成仏することを説く「即身成仏 義」、これはわれわれ人間の体のはたらきと言葉のはたらきと心のはたらきを最高度に高め、この三つが絶対者大日如来のそれと合一すれば至高の成仏が実現さ れるというというものです。すなわち世界は絶対者大日如来の象徴でもあるとする密教の教えを示し、一切の言葉の本源も大日如来の声であり真言であると説き ます。この声と真言が展開して文字となり、言葉となり文学となり、芸術となるという、実相はすべての声と文字であるという独特の言語宗教を説く「声寺実相 義[しょうじじっそうぎ]」、吽[うん]の一字に密教の真理は示されるという「吽字義[うんじぎ]」。

 これらは空海の重要な著作物でここにはインドのマントラ、中国の文字、日本のコトダマ観が一体となった言語思想が示されています。し かし、主著は何といっても「秘密曼荼羅十住心論」と、その縮約版である「秘蔵宝鑰[ほうやく]」で、共に空海晩年の作品、生涯における教学の総決算でもあ ります。

 これは人間精神の発展を十段階に分けて考察し、当時のあらゆる宗教、哲学、思想などを批判継承したもので、人間精神の現象形態および 一切の思想様式は大日如来の顕現であるとします。様子要するに密教に一切の宗教、哲学、思想は収斂されるというのです。「秘密曼荼羅十住心論」の十段階は 次のようになっています。
  1. 異生羝羊心[いしょうていようしん] -- 教乗起因・動物的意識(迷妾の段階・倫理以前、性食をむさぼる)
  2. 愚童持斎心[ぐどうじさいしん] -- 人乗、儒教的道徳(他者への倫理発生・人間と国家を知る)
  3. 嬰童無畏心[ようどうむいしん] -- 天乗、道教、インド哲学(宗教的自覚の発生、天上界と絶対性を知る)
  4. 唯蘊無我心[ゆいうんむがしん] -- 声聞乗(固体の実在を否定してやっと無我を知る)
  5. 拔業大乗心[ばつごうだいじょうしん] -- 縁覚乗(根源的無知からただ一人だけで開放される)
  6. 他縁大乗心[たえんだいじょうしん] -- 法相宗、インド唯識派(他者の救済を知る大悲の自覚、菩薩道の発生)
  7. 覚心不生心[かくしんふしょうしん] -- 三輪宗・インド中観派(全現象の実在を否定して一切皆空を知る)
  8. 一道無為心[いちどうむいしん] -- 天台宗(全現象が区別なく清浄であることを知る)
  9. 極無自性心[ごくむじしょうしん] -- 華厳宗(あらゆる対立を越えて無尽円融の世界を知る)
  10. 秘密荘厳心[ひみつしょうごんしん] -- 真言宗(無限の展開に向けてマンダラの秘密を知る)
 このように十住心論は仏教の発展史であり、生の自覚の展開という形で書かれています。

 また、密教を語るとき、避けて通れぬ経典があります。根本経典である「理趣教」です。この経典からは偉大な生の賛美が聞こえてきます。千年にわたる仏教思想は生と肉体に死の眼を与えてきました。

 まずその肉体に向かって肯を叫んだのが"即身成仏"です。肉体と同様、欲望が復権され、男女の交合はすばらしい生命の歓喜であり法悦の瞬間であり、こうした性の欲望を通して、あらゆる欲望の復権がはかられるのだと歌い上げます。

 また感覚の復権があります。顕教では五色の色は精神をまどわす色とされてきました。密教芸術の絢爛たる五彩の色で描かれた曼荼羅の中央には大日如来が描かれています。

 怒りの情念もまた仏教においては否定されていましたが、不動明王をふくめ五大明王は忿怒の像で造られています。大我にもとづく怒りは生の力を肯定するものなのです。笑いもまた同様に復権しました。特に大いなる笑は大いなる楽しみなのです。

 心を堅固に保てば小さな欲望にとらわれることなく大きな欲望に生き、無碍自由な境地に生きることができるというのです。この欲望の肯定と制御によって人間の自由が可能になり、それによって三界に自在を得て、大安楽で富饒な境位が得られるというのです。

 また密教の儀式は、このような生の解放を行う神秘の行であり、密教の芸術はすべて生の歓喜を表現し、人に伝える一手段だとされました。

 さらに、空海のいう絶対者としての大日如来は、すべてを生み出す存在であり、胎蔵金剛両界は女性原理と男性原理の象徴であり、和合の原 理を示すものと考えられました。それは精神と物質の和合、知恵と慈悲の和合でもあり、その和合の中に多くの生命が生み出されます。この和の原理にもとづく 世界の解釈が曼荼羅であり、万有の生命の和合、多次元的価値観の容認であり、共生の原理なのです。

 密教には六大という考え方があります。世界は地・水・火・風・空の物質要素と精神要素の識大が加わり六大で構成されているというので す。むろん、生きとし生けるもの、衆生も仏も、これらが住む世界も六大からできています。この考え方を進めていくと、すべて存在するものは、他の存在する ものをおのれの中に宿し、すべての存在するものの中に、すべてのものがあるというホロニックな存在関係がみえてきます。

 このようにみてくると、密教は自然の中に、またわれわれの中に同じ仏を見る思想ということになり、この自然崇拝の思想はわが国固有の信仰と一致し、神仏統合を可能にした宗教であるといえます。

 そして密教は知恵を重要視します。小さな自我の欲望や執着から離れ、大宇宙と一体となる自由自在な創造的な知恵を得て生きること、これが大日如来の知恵で密教の根本知なのです。

 根本知は様々な形であらわれます。円満具足は密教の願う知恵であり、その知恵は人間ばかりか、山川草木あらゆるものが平等であるという知恵でなくてはなりません。さらに実践の知恵でなくてはなりません。

 生にはこれら総合した知恵が必要ですが、生の深さは容易に認識できません。しかし、この深さはシンボルによって示されます。この深い生の語る言葉が曼荼羅だともいえます。

 曼荼羅は生の深い知恵のあらわれであり、この深い知恵は仏の形で示され、人間がそのまま仏になるので、仏は人間の形となります。ここで大宇宙の生命は人間の形となり、それによってさとりへの道がシンボリカルに示されるのでした。

 また、曼荼羅は指の形によって抽象化され(印相)、サンスクリット語で示され(種字)、その文字の中に深い神秘の世界が示されました。仏の働きによって深く秘かな真理が示されるのです。

第十八章・写真2

◎第一住心から第十住心までを次の姿で表現してあります。
  <第一住心> 牡羊の性欲と食欲の姿
  <第二住心> 反省、自制がきく姿
  <第三住心> 宗教心が芽生えた姿
  <第四住心> 声聞の姿
  <第五住心> 縁覚の姿
  <第六住心> 弥勒菩薩の姿
  <第七住心> 文殊菩薩の姿
  <第八住心> 観自在菩薩の姿
  <第九住心> 毘盧遮那仏の姿
  <第十住心> 大日如来の姿

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