平安時代初期を代表する英邁な君主でもある嵯峨天皇も唐の新しい文化の移植に力を尽くしました。
薬子の乱直後の御修法で、天皇の心をとらえた空海との特別な親交も文化活動や唐の文物の贈物によっても進行しました。
「世説」の秀句を揮毫した屏風・劉希夷[りゅうきい]の詩集・徳宗皇帝の真跡・急就章[きゅうしゅうしょう]の文、梵字帖・唐代の著名な碑文・法帖・その他文学・書道の請来品等数多くを空海は天皇にささげ、変わったものでは乙訓寺のミカン、狸毛筆なども献上しました。
これに対し天皇からも空海に数々の贈りものが与えられました。そして空海はここに真言密教に説く、文化国家を建設する理想の帝王の姿を嵯峨天皇に見出すことになります。
その一方で、文化の国風化も進み、和と漢が渾然となり、はなやかな文化が共存する時代を迎えます。
漢風の大極殿や屏風、和風の紫宸殿[ししんでん]や御簾[みす]、几帳[きちょう]などがそれです。