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第十四章 満濃池[まんのういけ]の修復

 空海の故郷、讃岐国の満濃池は日照り洪水に備え灌漑用に作られました。

 周囲は山林に囲まれ、入江が多く水深もあり、水量も多いため、水圧が高く古来から何回か決潰していました。なかでも弘仁九年(八一八)には収集しがたい大決潰が生じ、この地方一帯は泥海と化してしまいます。

 そこで朝廷は翌々年、築池使路浜継[ちくちしみちのはまつぐ]を派遣し修築工事に当たらせましたが、池の大きさに対し、人夫不足して完成しませんでした。その後国司から改めて空海に工事監督としての要請願書が朝廷に出されます。

 空海は沙弥[しゃみ]一人童子四人を従者に讃岐に下り、三ヵ月あまりの間、壇を設け夜を徹して祈祷するかたわら農夫を指導し、修築工事を完成します。

 成功した理由は一つに、空海に高度の土木工事に関する設計技術の知識があったこと、二つに空海を恋い慕って雲集した農夫の力の集結があったからだといわれています。

 済生利民が空海の社会活動の理想ですが、その最も美事な結実が満濃池の完成で、空海の数限りない社会事業の伝承の中でも代表的な史実として伝えられています。

第十四章・写真

◎「今昔物語」のなかに次の一説があります。

「今は昔、讃岐国、多度の郡に、万能の池と云ふ極て大きなる池有り。其池は、弘法大師の其国の衆生を哀[あはれ]つるが為に築「つき」給へる池也。池の廻 り[めぐり]遥に広[ひろく]して、堤を高[たかく]築き廻したり。池などは、不見ず[みえず]して、海とぞ見えたり。池の内底ひ無く深ければ、大小の魚 共[ども]量[はかり]無し。亦竜の栖[すみか]としてぞ有ける」。

◎空海は治水事業に関し、直接工事指揮することはありませんでしたが、それまでの業蹟の経緯から大和国高市郡の益田池完工祈念に碑銘を依頼されます。

◎律令制国家の班田制のもとでの国家的事業として大貯水池の修築、開削は、空海の真言密教が教える鎮護国家とか済生利民という国家社会の宗教的理想と一致し、またたびたび行った降雨の修法も農耕社会の社会的要求に応じたことになります。

◎この満濃池は現在も香川県仲多度郡の満濃町にあり、洪積丘陵の侵食谷をせきとめた日本一の溜池として広く知られています。

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