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第九章 大いなる構想の時
大同元年(八〇六)判官遠成一行と共に帰国した空海は筑紫の太宰府か観世音寺に止住したといわれますが、定かではありません。帰国後の京都の情況はあわただしく変転しています。
桓武天皇はすでに崩御し、最澄の社会的地位と仏教会に占める権威は入唐前にもまして高く、京都の情勢から見ると朝廷は空海の入京を見合わせたとも考えら れます。その後はほどなく空海は上京し槇尾山寺[まきのおさんじ]に入り、山岳の民の血のおもむくまま山林修行者と行動を共にし、自然と合一しつつ民衆信 仰の理解を深めていたともいわれています。
一方、槇尾山寺の日々は、それまでの南都六宗とは全く違う、新しい密教世界を創り出す大いなる目標のために全力を注ぐ時でもありました。
ブッダの成道[じょうどう]における神秘性、マントラやマンダラ表示の象徴性、護摩を焚くことにもみえる豊かな儀礼性、空海の若い日からの特色である総合性と包摂性、非常にラディカルな活動性を統括する大胆な芸術宗教を創出し、実現する大いなる構想の時だったのです。
そして太政官符が和泉の国司に下り、空海は上京を許され、高雄山寺に入住します。