胎蔵曼荼羅のパンテオンを具に観察すると、このマンダラを構想した密教の哲人の編集力に驚かされる。密教の哲人はこのマンダラで、法身・大日如来をすべての仏たちの主尊(今流に言えばマザーコンピュータ)として新たに位置づけ、従来の仏教の如来・菩薩をフルキャストで登場させ、かつ密教が護法神として取り入れたヒンドウー教の神々やその眷属、そして星宿の一一(いちいち)、冥界の鬼女までも集合させた。しかも一尊一尊の尊形・印相・三昧耶(持ち物)にはその尊の役割と仏徳がシンボライズされている。密教では仏尊本体とシンボルを同等のもの(三昧耶・samaya・サマヤ=これを「平等」とする訳例が多くみられるが「同等」の方が真意に近い)とする。
この多様壮大な仏尊の集合はまた、釈尊以来の仏教体系の集約であり、「無執着」「無明や六道からの解脱」の釈尊仏教を越え、「無我」の小乗を越え、「縁起」「無自性」「空(性)」の大乗を越え、「空(無)」と「非空(有)」の二律を越えて、密教が「真如・法如(そこにそうあるべくしてあり、そうなるべくしてなる、宇宙の真理)=空」そのものである法身大日如来が「実在」(有)であることを認め、仏教を総合したことを物語っている。
この「現図曼荼羅」は空海が唐からもたらした請来本の写しで、『大日経』具縁品に説かれる大曼荼羅、転字輪品に説かれる法曼荼羅、秘密曼荼羅品に説かれる三昧耶曼荼羅を基本としている。
胎蔵曼荼羅には、『大日経』のほか、その注釈書である『大日経疏』や他の儀軌の諸説に基づくものが多種あって、尊像の数や形や配置などは一定せず、『大日経』と『大日経疏』の間でさえしばしば差異が見られる。
古来の定説によれば、このマンダラは『大日経』住心品に説かれる「三句の法門」(菩提心因・大悲為根・方便究竟)と母胎から子が生まれ生長していくプロセスとに喩え、中心部から外周に向って第一重(菩提心因/受胎)・第二重(大悲為根/出生)・第三重(方便究竟/成育)という三重構造になっているという。
私たち煩悩と迷妄に満ちた凡夫衆生が、生まれながらに本来具有している菩提心(サトリを求める心=仏性)を発起し(発心)、三密の行(心にある仏を観想し、手にその仏の印を結び、口にその仏の真言を唱え、その仏と一体無二になる修法、=自利)と大悲の行(=利他)を積み重ね(修行)、サトリ(の仏智)を得て(菩提)、寂静な不動の境地に入って(涅槃)、衆生済度の実践を行う(ことが「一切智智」=大日如来の内証智に至るという)階梯を三重構造で示したというのである。
ちなみに、胎蔵マンダラには「中台八葉院」「遍知院」「金剛手院」「持明院」「蓮華部(観音)院」「釈迦院」「文殊院」「除蓋障院」「虚空蔵院」「蘇悉地院」「地蔵院」「外金剛部院(最外院)」の十二院があるが、これらの院が第一重(菩提心因/受胎)・第二重(大悲為根/出生)・第三重(方便究竟/成育)のどれに配属されるかは諸説あって一定ではない。
ここでは、第一重に「中台八葉院」「遍知院」「金剛手院」「持明院」「蓮華部(観音)院」、第二重に「釈迦院」「文殊院」「除蓋障院」「虚空蔵院」「蘇悉地院」「地蔵院」、第三重に「外金剛部院(最外院)」とした。